番外編A
その光景を目撃したのは偶然だった。目の前にいる男女が美男美女であることも合わさって、まるでドラマのワンシーンのようだった。私はと言うと、口の前に両手をあてて目を見開くという古典的なリアクションしかできず、けれどもそのリアクションは間違いなく、その場にふさわしいリアクションだった。
時間は一時間前まで遡る。アルバイト中であるはずのサスケくんから電話がかかってきたのは金曜日の午後八時だった。カンクロウくんに拝み倒されてシフトを変わったサスケくんをコンビニまで見送ったのが四時間前。一体何事だろうかと首をひねりながら電話に出た。
「もしもし?」
「ああ名前、悪い。頼みごとがあるんだが」
「頼みごと!?サスケくんが!?私に、頼みごと!?」
「お前後で殴るからな……そうじゃなくて、兄さんから家の鍵受け取って来てくれないか?」
「家の鍵?」
サスケくんは説明するのもめんどくさそうだった。後ろからカンクロウの声が聴こえる。どうやらサスケくんを呼んでいるらしい。
「両親は旅行で今月いっぱいいないんだよ。で、兄さんは明日から三日間出張」
「サスケくん、自分で自宅の鍵持ってなかったっけ」
「今日たまたま家に忘れて、本当なら兄さんが届けてくれるはずだったんだけど、忘れていたらしい。明日は寄る暇ないから名前ちゃんに取りに越させてって」
うちは兄弟は私のことをなんだと思っているのだろう。もともとサスケくんには下僕扱いされることが多かったとはいえ、まさかイタチさんからも似たような扱いを受けるとは思わなかった。
「お前店の場所知ってるだろ?タクシー代は兄さんが払うから届けてくれ。どうせ暇してんだろ」
「暇してたけど」
テレビを見ながらプリンを食べていた私は素直に認めた。
「なら頼む。兄さんから鍵を貰ったら絶対に、寄り道するなよ」
「はいはい」
サスケくんとの通話を切って、外に出かける支度をした。イタチさんの携帯に今から行く旨のメールを飛ばし、軽く化粧をして家を出た。そしてタクシーを捕まえて、イタチさんがいるという店へ向かった。昼はサラリーマン、夜はホストと忙しそうだ。
そして何事もなくタクシーから降りた瞬間、サソリさんが女性に強烈なビンタを食らわせられたのを目撃してしまった。店の目の前での出来事に路行く人の視線も集まる。周囲をみると、私と同じようなリアクションをしている女性が沢山居た。
「最っ低!あんたなんか好きにならなければよかった!!!!」
真っ赤なルージュを塗った女性はヒールをカツカツと鳴らしながら繁華街へと消えていった。呆気に取られていた私と、忌々しげに舌打ちをしたサソリさんの視線が、合った。しまった!と思うも後の祭りで、サソリさんは悪魔のような笑みを浮かべてまっすぐにこちらに向かって歩いてきた。
「お前、なにしてんだ?」
「……サスケくんのパシリでイタチさんに会いに来ました」
「おう。中入っていけよ」
言葉は勧誘であるが行動は強制である。腕を捕まれ半ば引きずられるようにホストクラブの中へと入っていった。今度は裏口からではなく、正面口からだ。入り口に並べられた写真や出迎えてくれるお兄さん達、そして壁一面に飾られた酒瓶。視界に入ってくる情報を全て吸収しようとしたせいか、目が回りそうだった。
「おら、仮眠室行くぞ」
「えっ、あそこ煙草臭くてイヤなんですけど」
「煩え喋んな」
理不尽だ。通路を堂々とあるくサソリさんと対象に、連行される私は身を小さく小さくして四方八方から飛ばされる視線に耐えた。男性からの好奇心の視線も痛いが、女性からの嫉妬混じりの視線が痛すぎる。身体に穴が空くんじゃないかと思うほど突き刺さる氷柱のような視線に泣きたくなった。
やっとのことでたどり着いた仮眠室のソファーに、だらしなく座り込んでもしかたのないことだと思う。
「死ぬかと思った」
「なかなかない体験ができてよかったな」
やはり確信犯だったのかとサソリさんを睨みつけても、私の視線に殺傷力はないようでサソリさんは痛くも痒くもなさそうだった。しかし、サソリさんの左頬が赤く腫れているのをみて少し溜飲が下がった。私の視線でどこを見ているのか気がついたらしいサソリさんは、自分の頬に手を当てて舌打ちをした。
「見んなよ」
「サソリさんがこっち向くのが悪いんでしょ。一体何をしたらあんな綺麗な女性に殴られるんですか?」
「色々思うところがあって、客以上の関係になった女と手を切り始めたんだよ。こっちは穏便に済ませようとしたんだが、見ての通りだ」
客以上の関係ってなんだろう。聞こうとも思ったがやめておいた。聞いても理解できない気がする。適当な相槌を打ちながら、仮眠室の冷蔵庫を漁った。目当てのものを見つけてサソリさんに差し出した。
「冷やしたほうがいいと思いますよ。まだお仕事ありそうですし」
「お前意外と気が利くな」
「失礼ですね、まったく」
よしよしと私の頭を撫でたサソリさんは流れるような動作で私のカバンを漁り、ハンカチを抜きとった。意外と器用なようで、保冷剤をハンカチでクルクルと包み、頬に当てた。
「自分の使えばいいじゃないですか。思いっきり胸ポケットから出てますし」
「これはファッションだから使えねーんだよ。まあ、私服がダサいお前にファッションを語っても仕方ないか」
小馬鹿にしたようなサソリさんの態度にムッとしたものの、サスケくんからも可愛げのない私服と称されたことがあったので押し黙ることにした。元々口では勝てない。
廊下からバタバタと足音が聞こえたと思ったら、仮眠室の扉が開いた。
「イタチさん!こんばんわ」
「遅くなってごめんね名前ちゃん。サソリに変なことされてない?」
私が否定する前に、サソリさんが思いっきり嫌そうな顔を作った。誰がこんなガキに手を出すかと顔に書いてある。イタチさんはそんなサソリさんの顔を見てやれやれと溜息をついた。
「はい、これ鍵。あと、タクシー代」
イタチさんから渡されたのはトマトのキーホルダーがついた鍵と一万円だった。ここまで来るのに三千円もかかっていない。
「お釣りは気にしなくていいから。なんならサスケとなんか食べておいで」
わざわざ来てもらったしとイタチさんは言った。イタチさんにお釣りを返そうとしても受け取らないのは十分知っていたのでありがたく頂くことにした。
「大切な彼女をこんなところに長居させるとサスケに怒られるからね。店の外まで送るよ」
「いえ、大丈夫ですよ。イタチさんもお忙しいと思いますし」
先ほどちらっと見たイタチは立ち上がろうとするのを三人の女性に押しとどめられていた。抜け出すのも大変なのだろう。
「遠慮しなくていいよ。俺がサスケに怒られるのが困るんだ。それにサソリをそろそろフロアに戻さないと店が回らない。サソリ、お前早く戻れよ」
「もう少し冷やしたら戻る。お前こそ戻れよ。その馬鹿は俺が送っていく」
サソリさんの言葉にイタチさんは盛大な溜息を吐いた。呆れかえっているような溜息だった。私としては一人で帰れるので二人とも戻って欲しい。
睨み合う二人をそろそろと見比べながら、私は鞄を手に取り立ち上がった。
「いや、本当に大丈夫なんで」
「「送る」」
結局睨み合ったイタチさんとサソリさんを連れて裏口から出ることになった。タクシーを呼んでくれていたらしい従業員の男の人が奇妙なものでも見るように私を観察してくる。恭しく開けられた扉からタクシーに乗り込み、イタチさんとサソリさんに手を振った。
「木の葉町の猿飛コンビニまでお願いします」
鍵を握りながら携帯をチェックするとサスケくんからメールが入っていた。コンビニの休憩室で待っているらしい。
コンビニからの帰り道、爆笑ネタがあるんだけどとサソリさんが殴られた話をしたらその後のことを根掘り葉掘り聞かれた。全く笑っていなかったのが恐ろしい。
「兄さんの役立たず」
サスケくんがぼそっと言った言葉を拾った私が「本当にね」と鍵を取りに行かされた恨みを込めて言えば、お前が言うなと抓られた。サソリさんと同じように赤くなった左頬を押さえながら理不尽だなぁ、と溜息を吐いたタイミングとサスケくんの溜め息のタイミングが完全に一致した。
翌日、ハンカチを返しに来たらしいサソリさんとレジに入っていたサスケくんの壮絶なバトルがあったとカンクロウにネチネチと責められた私は、やはり理不尽だと頬を抑えた。
END