耳に息を吹きかけるとかならまだ理解できる。だが耳に煙草の煙を吹きかけられた場合のリアクションはどうすればいいのだろう。煙からパーラメント独特の香りがした時に背後に立つ人物の正体が割れた。
「サソリさん…」
「お前何してんだ?未成年はさっさと家帰れよ危ねェぞ」
「プチ家出中ですよ。一人暮らしですけど」
「ふーん…」
バンバン流れてくる副流煙に顔を背けると真後ろに車が止まっているのに気づいた。こんなのあったっけ。サソリさんの方に顔を向けるとその車に寄りかかるようにして煙草を吸っていた。あれ、おかしいな。こないだサソリさんと映画に行った時は赤い車だったのに。この黒い車もサソリさんのだろうか。というか、スーツ姿ってことは、これから仕事なのだろう。こんな所で油売っててもいいのだろうか。
「行かなくていいんですか?これから仕事ですよね…?」
「プチストライキ中だ」
「……」
「家帰りたくないんだろ?」
「…ん、まぁ」
「仕事場連れてってやるよ」
ふわっと今度は顔面に煙がかけられた。もともと鈍い私が避けられるわけもなくて鼻と口から入りこんだ煙にゴホゴホと噎せる。うっすら涙まで浮かべた私を見るサソリさんの嬉しそうな顔。この人は真性のドSに違いない。開けられた助手席側のドアに乗り込んで車内に入れば、しっかりとパーラメントの匂いが染み込んでいた。
「煙草吸いすぎですよ。吸い殻、溢れ返ってるじゃないですか」
「すぐ溜まるもんだ。気にするな」
「この車内、煙臭くで嫌です。赤い車は全然平気だったのに」
「こっちは、アレだ」
「?」
「文句あるなら放り出すぞ」
運転しながら私のシートベルトを外そうとするから驚きだ。二重の意味で恐ろしい。煙草を吸いながら運転するその横顔に信号機や電灯の灯りが映えてとっても綺麗だ。右手の人差し指と中指に挟まる煙草の灰を器用に落として、再び口に含む。対して会話しなくともサソリさんのその仕草をみているだけで十分な暇潰しにはなった。現在二十二時。制服姿が見つかったら補導もんだ。
「夕飯は?」
「え?」
「夕飯は食べたのか」
「コンビニのティラミスなら…」
その返答に舌打ちを一つ。いきなりハンドルを回したと思ったら右に曲がり目の前にはバイト先のコンビニがあった。一台も止まってない駐車場に留められた外車はなんとも歪な光景だろう。降りるように促された私はさっきぶりの店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいま…名前?」
「あ、カンクロウくん。お疲れ様です」
「今日は帰ったんじゃないのか?」
「多分お客として…いたっ」
入り口近くで話していた私は邪魔だったようで後から入ってきたサソリさんにグイッと押しやられる形になった。
「さっさと買え」
「夕飯ですか?」
「そうだよ、早くしろグズ」
あんまりな言い方じゃないか。奢ってくださるのは嬉しいけどカンクロウくんとのコミュニケーションを遮られたのは不服だ。じっくりと見ているとまた何か言われそうだから、前から食べたいと思っていたお弁当とポッキーを手に取ってサソリさんの元に走った。レジのカンクロウくんが興味深そうにサソリさんをジロジロ見ていた。
ホストクラブっていうと洋風のキラッキラしたようなイメージだったけれど、サソリさんが車を止めたそこは和風と洋風をちょうど折半したような所だった。せめてスーツの上着を貸してくれないだろうか。深夜の繁華街で制服姿は目立ち過ぎている。そう思ってサソリさんの方を向けば何を勘違いしたのかうやうやしく門を開けて頭を下げた。あぁ、ドラマよくあるような。
「…入れと」
「いらっしゃいませお嬢様」
「…お客として入れと」
「特別サービスで仮眠室にご案内だ早くしろ」
良かった…!残金2000円の身としては本当に良かった!もうなんか…何で自分何してるんだろうとか思ってしまうけどもういいや。明日学校だけどどうしようとか、もういいや。さすがにお店の入り口から入るわけにはいかなくて裏口に回るものの一歩踏み出した瞬間、色んな種類の煙草が混ざったような匂いがして思わず立ち止まった。うえっ気分悪くなりそう。
「肺癌になりそう…」
「タオルで口でも抑えとけ」
「ってかサソリさんが仕事あるのにあたしはどうすればいいんですか?」
「…寝てろ」
裏口から入って二人目のドアを開ける。ソファーとテレビしかないそこが仮眠室らしい。相変わらず煙草臭いことに併疫しながらも窓があることに安心した。換気代わりに開ければマシになるだろう。
「絶対にここから出るなよ」
最後にそう念押ししてサソリさんは出て行った。なんだか誘拐でもされた気分だ。とりあえず換気に、と窓を開けてソファーに腰掛ける。寝てろ、と言われたからには寝ていたほうがいいに決まっているが、体を横にするとソファーに染み付いた煙草の匂いがまとわりついてくるようで不快だったから、どうしても寝る気になれなかった。残る選択肢は携帯をいじるか、テレビを見るか。…テレビって勝手に見てもいいのかな。黒いリモコンを手に取るも、なかなか決心がつかずに持て余していた。仕方なく携帯を開く。そろそろスマートフォンに替えたいな。
「…サクラから不在着信だ」
着信アリのアイコンを押すとサクラから電話があったことを告げた。またサスケくん絡みかな。ふぅとため息を零した。ついでに腹の虫も鳴いた。悲しいやら情けないやらで。さっきサソリさんに買ってもらったお弁当を開いて静かに手を合わせる。豚カツをつつきながらも静かな部屋では自然と先ほどの事を思い出してしまう。明日学校に行ったら二人が付き合うのか付き合わないのかはっきりするだろう。でも現実を直視できる気もしない。失って初めて気づくもの、なんて言うけれど、私って思ってたよりサスケくんのこと好きだったんだ。大切な何かを盗られた気分。サクラもサスケくんも悪くない。私が悪いんだ。
「学校…行きたくないな…」
サソリさんは私をどうするつもりなんだろう。