終電で帰宅した名前が翌日の一限に起きられるはずもなく、一限と三限の講義しかない彼女が大学に行くはずもなかった。シャワーを浴び、部屋にある時計を見ると時刻は12時。約11時間睡眠である。けだるい体を引きずり、何かお腹に入れようと冷蔵庫を開けると先日買ったいくつかの缶詰があった。冷凍庫の白米を解凍し、缶詰を湯煎しておかずにする。台所で立ち食いをする彼女の携帯が震え、電話の着信を伝えた。着信『猿飛あやめ』である。口の中のコメをミネラルウォーターで飲み下し、着信に出る。
「もしもし」
「もしもし?今日大学来ないの?」
「めんどくさいし、いかない」
「じゃあ、今日の夜は空いてない?」
「暇だけど?」
「一緒に来てほしいところがあるんだけど……」
「別にいいけど、どこ?」
「秘密」
語尾にハートマークのついた言い方を耳にし、名前は暗黙の裡にどこに連れて行かれるのかを察した。じゃあ、また電話するね!と勢いよく切られた電話に一抹の寂しさを感じる。大学に行くのはめんどくさいが、なんやかんやで一人は寂しい。気分転換として昼ご飯を平らげた名前は部屋を片付けることにした。時間はあるのだ。部屋に散乱している脱ぎっぱなしの衣類や、洗濯はしたものの仕舞っていない衣類。さらには絡まったコンセントや無造作に積まれた新聞、部屋のワンスペースを陣取るペットボトルを順々に整理していった。小ざっぱりとした部屋は気分がいい。窓も全開にしたところで溜まりにたまったペットボトルをコンビニに捨てにいくことにした。今日はペットボトル回収日ではないから家のゴミ捨て場には捨てられないのだ。コンビニまで行くならなにか食料と暇つぶしを買いたい。徒歩三分ほどのコンビニにTシャツ、ジーパン、サンダルと女子力休戦状態でやってきた彼女はまず大量のペットボトルを回収箱に突っ込んだ。そして、入店。カップラーメンを吟味した後は菓子コーナーで、目についたお菓子を適当にカゴに放り込む。最後にペットボトル数本とアイス、ケーキやプリンを好きなだけ買い込むとレジに向かった。総計二千円と少し。会計後にレジ横のATMによって今月の生活費が振り込まれていることを確認した彼女は三万円ほど下ろし、財布にしまった。案外食費はかからない。ついでにこれといった趣味もないためお金はそこまで必要ではなかった。オフ日を無駄に作ってあるから洋服もそこまで必要ではない。けれどもそろそろ秋服冬服を購入しなければ。実家からある程度送ってもらったが、それだけでは足りないだろう。猿飛らへんを誘って買いに行くことを決めた。
■ ■ ■
午後八時時に新宿駅東口。欲望の迷宮都市と呼ばれる歌舞伎町だけあって日が沈みだしたその町は独特の雰囲気に包まれていた。大人っぽい私服に身を包んで綺麗なお化粧をした猿飛は周りの男が視線を投げるほど色っぽかった。学友の普段と違う姿に複雑な気分になる。同時に華のない自分が少し嫌になった。どうせ今日は引き立て役だから丁度いいといえば丁度いいのだけれども。
「で、どこ行くの?」
「そんなのもちろん決まってるじゃない……銀さんのところよ」
「……でしょうね」
「名前が銀さんと知り合いだったなんて知らなかったわ。こないだお店に行った時、今度は名前ちゃんも連れてこいやァって銀さんが言ってたの」
「それで誘ったの?」
呆れた。普通なら好きな男が他の女を連れてこいと言ったら嫉妬の一つや二つするもんじゃないのか。それなのに猿飛ときたら嬉しそうに銀時に言われたから、と名前を誘う。純粋だと言えば聞こえはいいが、傍から見れば愛に洗脳された可哀想な子にしか見えない。慣れたように道を進み、意気揚々と攘夷へと向かう猿飛は店の前でもう一回鏡を取り出して化粧の確認をした。恋する乙女、である。
「いらっしゃいませ。お二人様ですね?」
「はい。銀時でお願いします」
「いつもありがとうございます猿飛様……お連れの方は初回ですか?」
「え、二回目ですけど」
「指名は銀時でよろしいですか?」
クエスチョンマークを浮かべる名前に猿飛は永久指名制について説明する。ホスト同士の客の取り合いを無くすために二回目に来店した時、指名のホストを決めるというのだ。今後はそのホストしか席に呼べない。そこで彼女が思い出したのが高杉だ。思い出した、というか入り口のところに掲げられた写真に彼がいたから。いろいろ恩がある高杉である。NO2と書かれている彼に自分が貢献できるとは思えないが、ここで銀時を指名するのは義理に反する気がした。猿飛にその旨を説明するとあっけなく、「いいんじゃない?」と了承された。丸いメガネをかけた地味な店員に高杉を指名すると伝えた。
「高杉ですね……あ……」
「???」
「すみません、ただ今彼は席を外しておりまして。代理のものを用意させますので少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
「じゃあ一緒に銀さんの席に入りましょ」
「あたしはいいけど」
「了解いたしました」
席に案内された猿飛は慣れた手つきでメニューを受け取り、名前は慣れない空間に居心地の悪さを感じた。いつもより丹念に化粧をしてきてはいるが、絶対田舎者丸出しな雰囲気がでているにちがいない。緊張している名前に、慣れていなかったのかと猿飛は意外に思った。高杉と親し気だったことから常連だと思ったのだ。珍しく塗られたグロスにくすりと笑う。
「お待たせしました」
「あ、銀さん」
「なんだお前らかよ」
「とか言っちゃっても本当は嬉しんでしょ!もう!」
「いいからホラ、真ん中開けろ」
「きゃっ」
腐ってもお客に対してお前らとは。だがこの気さくな感じに惹かれる人も多いのだろうな。名前と猿飛の真ん中に座った銀時は二人に注文を聞く。猿飛はワイン、名前はひとまずオレンジジュースを頼んだ。昨日の酒がまだ残っているのだ。酒を酒で洗い流すような真似はできない。注文を終えたあと、さりげなく猿飛の頬にかかる髪を払ってやった。それに対し名前は胡乱な目つきを向ける。
「え、ナニ名前ちゃん、その目」
「なんでもないですよ……ふーん」
「……そういえばこないだ高杉とあの後どうしたの?」
「あの後?」
「初めて来たとき高杉に連れていかれてたけど、あの後」
「何もありませんでしたよ」
「ならいいけんだけどよォ」
「逆に何かあったんですか?」
「名前ちゃんのこと色々聞かれたからなー」
「こわ」
「銀さん、さっちゃんに構ってくれないと寂しいゾ…いや、これは放置プレイ?!やだっ興奮するじゃない!!」
「さっちゃん……」
豹変する友人を寂しい目で見つめた。銀時は慣れているのでさらっと流しているが、猿飛のこんな姿初めてみる名前は色々動揺を隠せなかった。運ばれてきたワインとオレンジジュースを銀時が二人に注ぎ、乾杯、と声を上げる。銀時の注文はいちごミルクだった。