吸血鬼は外傷以外で死に至る以外は不老不死とされている。つまり、彼らの身体のなかには対病、対加齢の細胞またはなんらかの酵素があると考えられる。この文から始まったハンジのレポートは三十枚近くに及んでいた。実験結果や考察が何個も綴られている。どうやら吸血鬼の体内で重要なのは酵素のようだ。これらは日光の恐らく紫外線に弱い。そして、この酵素を生成するために必要なのが血液らしい。
「さすがハンジだな」
「そうだな。さて、リヴァイ。私はさっきこのレポートに目を通した訳だが、恐らくダンピールは、吸血鬼に比べてこの酵素のみが欠落しているように思える」
「吸血鬼が吸血鬼である所以がこの酵素らしいからな。これがないだけで随分と人間に近くなる。頭の回転が早く、筋肉がつきやすい人間だ」
「だが、ハンジの研究によるとお前たちダンピールにもこの酵素は少なからずあるようだ。つまり、この酵素を意図的に体内で増やせれば、お前たちの身体も吸血鬼に近くなれるだろう」
「問題は、どう増やすかだ」
酵素を増やすと言われてまず思い浮かべるのはダイエットという単語だった。貴族の女達がこぞって嗜む趣味。肥満の原因は酵素不足だという。それを解消するために生野菜や生果実を多く食べるとか。とにかく、酵素を増やすことだけならば可能そうだ。
「吸血鬼が酵素を生成するのに必要とするのが、人間の血液なのだろう。また、我々吸血鬼は弱った仲間に自らの血を与えることがある。恐らく、血液を通してこの酵素を分け与えていたのだろう」
「お前と俺の血は合わなかったが、名前とお前なら合うかもしれない」
「リヴァイ、私はあの女のために身を削るつもりはないよ。お前の為ならまだしもね」
「それもそうだな……俺と名前が共に生き延びなきゃ意味がない」
「ハンジのレポートによれば、この酵素は自分の体内よりも他者の身体に入った時のほうが活発に働くようだ。つまり、お前たちで互いの血液を交換し合えば、元々体内にあった酵素が活性化するんじゃないのか」
エルヴィンの言葉にリヴァイは目を瞬かせた。だが、説得力はある。問題は、ダンピールが普段吸血行動をしないということだ。他人の血液を口にするなんておぞましい。リヴァイの顔が歪んだ。それを見てエルヴィンが笑う。
「ハンジに頼んで輸血してもらえばいい」
「なるほどな」
それなら抵抗は薄そうだ。リヴァイは頷いた。明日からでもハンジに実験を進めてもらおう。名前にもこのレポートを渡す必要がある。
「お前に相談して正解だった。礼を言おうエルヴィン」
「構わないさ。私よりハンジに礼を言ってあげた方がいいだろう」
「まあな」
リヴァイはすっかり落ち着いたようで眉間の皺も薄くなっていた。名前はもう寝てしまったのだろうか。時計を見ると二時を過ぎたところだった。もともと睡眠をあまり取らないリヴァイと違って、名前は規則正しい生活を営んでいる。もう、寝てしまっただろう。
「エルヴィン。名前も此処に住む」
「ああ。構わないよ。どうせ私はまたしばらく留守にする。ここを頼んだよ」
「任せろ」
エルヴィンは教会と交渉を行っている。異形と呼ばれる彼らが住み良く暮らせるよう、領地拡大を抑えるよう交渉しているのだ。難を極めているようだが、エルヴィンのお陰でクロルバも平和に存在していられる。
「一つ、面白いことがわかってね」
「なんだ?」
「名前の母君は貴族だったらしい。行方不明だと言われていた彼女はどうやら吸血鬼と駆け落ちしたようだね。ダンピールだとしても名前は貴族の血を引いている。あの街の生き残りとわかっても無碍に殺すこともできなかったようだ」
「ほう。育ちが良さそうな顔をしているとは思ったが、貴族だったとはな」
リヴァイはあまり興味を持っていないようだ。エルヴィンは早々にこの話を打ち切った。
■ ■ ■
名前はハンジの手を引いて書庫に連れて行った。先ほどリヴァイがやったように本棚に手をかけて回そうとする。だが回らない。唸りながら全力で力を込めると本棚が嫌な音を立てて軋んだ。
「名前、そこの本を出して、鍵を解除しなきゃ」
「あっ」
「やろうか?こんなところに何の用があるやら」
「お願い。さっきリヴァイさんと来た時にボタン落としちゃったみたいなんです」
名前はここに来る途中で引きちぎった袖のボタン跡を見せた。あららと言いながらハンジは隠し扉を開けた。名前は書庫のロウソクに明かりをつける。ボタンを探すふりをしながらゆっくりと部屋を見渡した。
「ハンジさんの研究資材もあるんですね」
「ああ。もう私の部屋には入りきらなくてね!毎回必要なものはモブリット達に持ってきてもらうんだ」
「へえ、少しは整理整頓した方がいいんじゃないですか?」
名前は引き戸を片っ端から開ける。ハンジは特になにも言わなかった。それをいいことに名前は好き勝手に部屋を物色する。
リヴァイの棚にも容赦なく手をかけたが、まあ彼は許すだろうとハンジは判断した。そして名前は最奥のドレッサーに手をかける。自分の研究資料をいじっていたハンジは止めるのが遅れた。名前は観音開きの鏡を開けてしまった。
「コレって……」
「あちゃー。そのドレッサー、エルヴィンのだよ。リヴァイのはともかくエルヴィンの私物をいじるのは良くないね、名前」
「コレって人間の心臓ですよね」
「名前、そこから離れて」
「ライナーにベルトルト、アニの心臓ですよね」
鏡の裏に並べられた、心臓。つい先程リヴァイによって見せられた己の心臓と似ていた。だが、これは名前のではない。名前の心臓は左胸で鼓動を打っている。ハンジの手によって鏡は閉じられた。名前は口を抑える。ライナー達が必死で探していた彼らの心臓がやはりここにあったのだ。