西の居館の作りは東の居館と変わらないようだった。エレンの後ろについて歩く名前は地下に降りる階段から登ってくる嫌な予感に足を止めた。下が見えないことと暗さにあおられるように第六感がやばいと告げている。思わず後ずさった名前の手首を掴んだエレンは問答無用で階段を降りていった。臆する彼女を気にすること無く、最下層の扉をエレンが勢い良くノックした。
「待っていたよ!!!!君が名前だね!」
内開の扉が勢い良く引かれ、壁にあたったのか派手な打音を響かせた。扉を開いた勢いのままに飛び出してきたハンジは名前の前で大きく腕を広げる。そのテンションに引いた彼女は顔を引き攣らせた。
「さあさあ入ってくれよ」
「えっちょっとやめ……」
「ほら早く」
エレンが名前の背を押す。とても引き下がれる状況ではなかった名前は仕方なく部屋に足を踏み入れた。大小のランプで照らされた部屋は明るい。だが、床は書物が散乱して足の踏み場に困った。ハンジはソファーを示す。ソファーの周りだけは綺麗に整えられていた。
「こんばんは、名前。私はハンジ、ハンジ・ゾエだ。君と同じ人間で、此処に来たのは十五年前さ!」
「はあ……」
「君の話は勿論知っているよ。君が来るだろうって話はエルヴィンからも聞いていたしね」
「エルヴィン……?」
「今は留守にしているこの城の主さ。もうすぐ帰ってくるんじゃないかな?」
「その人がどうして、私が来るだろうって知っていたんですか?」
「さあね。エレン、紅茶を淹れてくれないか?」
ハンジは戸棚を指さした。エレンはため息を吐いて戸棚を開ける。三つのティカップを取り出した彼は隣の小部屋に入っていった。どうやら給湯室らしい。エレンが給湯室に行ってしまい名前は困った。ハンジと二人っきりにされても気まずい。彼女はぎらぎらとした目で名前を見つめている。ハンジと目を合わせないように視線を逸らしていた名前だったが、諦めてハンジの目を正面から見た。
「やーっと私を見てくれたね」
「あなたは私に何の用があるんでしょうか?」
「私がここに来た理由は吸血鬼について研究するためなんだ。もともと研究家だったんだけど、君の故郷の事件に疑問を抱いてね。そんなところに君が来てくれた!ぜひともいろんな話を聞きたいんだ。あのことを話すのはいやかい?」
「嫌と言うわけではないけど、二十数年前のことなんて明確には覚えてないですよ」
「それでも構わないよ。その代償に私はあなたからの質問も受け付けるつもりだ。ああ、エレンありがとう」
エレンが三つのティカップを運んできた。名前は香りの良いそれを口に運ぶ。ハンジは一息に紅茶を飲み干すと、早速と言ったようにペンと紙を手にとった。エレンは名前を観察するように横目で見る。
「あの日のことを話してもらってもいいかい?」
「……あの日、確か日が落ちてすぐに叫び声と悲鳴が聞こえました。夕食中だった私達家族は何事かと顔を見合わせて、父が様子を見に外へ行きました。怖くなった私は母の腕の中でずっと震えていた記憶があります。なにより父が心配でした。母も同じ気持だったのでしょうね。私を物置に隠すと、すぐ戻ってくると行って家を出ていきました。ええ、母はすぐ戻ってきました。血相を変えて私を物置から出すと家から飛び出したんです。裏手の森に逃げ込んで、大きな木の根元に私を入れた。で、またすぐに戻ってくるって言って戻ってこなかった。家から森に行くまでに多くの人とすれ違いました。男の人はみんな武器を持っていた。「狩れる前に狩るしかないだろ!!」って言葉を何度も聞いた。家を飛び出すときに「吸血鬼だ!」って声が沢山しました」
「そうか……」
「街に戻った私が見たのは灰の山でした。死んだ吸血鬼も吸血鬼に殺されたものも残るのは灰だけなのはご存知でしょう。そこで私は確信しました。ああ、みんな吸血鬼に殺されちゃったんだって」
「ああ、直接見たわけじゃないんだね」
名前は頷きエレンが淹れた紅茶をすすった。エレンはこの話が初耳なのか目を大きくしていた。ハンジも険しい顔で名前の話を聞いて頷く。名前にとってもうこの話は話し慣れている。以前は生々しく思い出せたものも、もう霞がかかったようにしか思い出せない。
「名前の居た街は、人里から離れていたんだよね。吸血鬼にかかわらず異形対策はしていたのかい?」
「ええ。街の周りをぐるっと囲うように柵を立てていました。あとは街の人が自分たちで訓練をして守りを固めたり」
「ハンターを雇ったりはしなかったのかい?」
「そんな記憶は無いですね。そもそも私達の街は山の近くにあったけれど、以前は被害を受けることはなかったので。昔はあったのかもしれないけど、私の記憶には襲われた記憶はありません。母もこの街は神に愛された街なのよ、って言っていました」
今思えば、人間集団からも孤立していた街だったのだろう。人は集団で固まることで異形から身を守る。だが、名前達の街はそもそも異形が襲いにこなかったのだ。何故かはわからない。
「とても興味深いね」
「奥の森に吸血鬼が住んでいるって噂はあったけれど、それはたぶん子供が勝手に遊びに行かないように戒めるためのものだったと思います。実際母と水汲みとかに森によく行ったけど何もありませんでした」
ハンジはメガネの奥で名前をじっと観察した。彼女の一挙一動を逃がすまいといった気配に名前は困惑した。