気が遠くなるほどの長さを誇る螺旋階段を上る名前の息は切れ始めていた。城に縁がない名前は塔をなめていたのだ。所々にある小窓から自分がいまどのくらいの高さにいるのか確認しながら登っているが、一向に上にたどり着かない。
三分の一ほど登ったところで名前は背を壁につけて休憩した。魔術でも掛かっているのだろうか。足取りがひどく重い。壁を注意深く見守って登る名前が再び小窓を覗いた時、窓ガラスに薄く彫られた模様に気がついた。
「錯乱術?違うか……」
魔術に対して殆ど知識のない名前はもしこれが魔術だったら、と考えてその模様を爪でカリカリと削った。そしてまた階段をのぼる。心なしか足が軽くなった気がする。プラシーボ効果だったとしても儲けものだと名前は思った。
塔の上には恐らく部屋のような空間があるのだろう。名前の目がそれらしき扉を見つけた。ノックをする。返事がなかったので名前は扉に耳を付けた。音がする。居留守を使われているようだ。名前はドアノブに手をかけて引いてみる。開かない。押しても開かない。
「……あの、」
もう一度ノックをした名前だったが、やはり同じように返答はない。ノブを乱暴にがちゃがちゃと回していると部屋のなかからの力が働いたのを感じた。ノブを握ったまま、手の力を抜くと扉が開いた。扉が引かれ、名前もそのまま前へと足を踏み出す。その部屋にいたのは小柄だが、鋭い目をした男だった。全身に纏う気迫に名前は思わず息を飲んだ。
「怪我は大丈夫なのか」
「え……」
「首を打ったと聞いた。頭も打っただろう。異常はないか?」
「あ、はい……」
「そうか」
名前が頷くとリヴァイは口を歪ませるようにぎこちなく笑った。彼のペースに飲まれかけていた名前だったが、此処に来た目的を思い出し、男を伺いながら口を開いた。
「どうして私の手当をさせたんですか?」
「……」
「あなたの正体は何ですか?吸血鬼?」
「さあな」
「………二十年前に吸血鬼に滅ぼされた町について何かしりませんか?」
「どうだろうな。知りたいならば自力で調べるがいい。まあ、異形ばかりの街だが勘弁して欲しい」
「どういうこと……?」
「名前よ。俺たちはお前を歓迎する。自由に調べるがいい」
男は名前の肩をおして部屋の外へと出した。あっけに取られる名前は慌てて部屋の中に戻ろうとした。だがそれは許されなかった。閉まっていく扉の隙間に指を伸ばす。
「リヴァイ!城にいる人間は……」
どうしてか、彼を知っているような気がした。彼を見た時に感じた謎の既視感の原因が分かった。それは男の後ろに飾られた絵画だ。どこで見たのかは覚えていない。絵を見た名前が目を見開いたように、彼女に名前を呼ばれたリヴァイも三白眼を見開いていた。彼女を追い出した部屋で、リヴァイは椅子に腰を降ろす。普段から考えられないほどに心臓が鼓動を打っていた。
リヴァイの目は小さな机の上に置かれた手紙に向く。名前の視線から隠すように本の下に突っ込んだせいで端はくしゃりと折れてしまっている。その文言を何度も、何度も読み返した。そしてリヴァイは悩み続けている。名前に直接会ってなお、その悩みは尽きることがなかった。むしろ悪化した気がする。リヴァイの耳に階段を駆け下りる音が聞こえた。窓の下を見ると名前が駆け出していくのが見えた。
■ ■ ■
塔の下で待っていたライナーは名前が入り口から恐ろしい早さで飛び出してきたことに目を剥いた。二段飛ばしで階段を駆け下りた名前はそのままの勢いで塔から飛び出す。森に向けてまっすぐにかけていく彼女を慌ててライナーは追いかけたようとして、ふと上を見た。塔の上の部屋からリヴァイが見下ろしている。ライナーは彼を一瞥したのち、名前を追った。
「おい!」
暗い森のなかで名前のブロンドだけが浮いていた。それを頼りにライナーは駈ける。呼びかけられても名前の走るスピードは変わらなかった。疲労を感じさせないその足取りにライナーは舌を巻く。数キロある森をある程度進んだところで名前は足取りを緩めた。ライナーがやっと追いつく。
「おい、どうしたんだ?なんでいきなり走りだしたんだ?」
「いや、あっ、なんでだろう」
「何かあったのか?」
「特に何かあったわけじゃないんですけど」
名前はライナーにそういった。だが、冷や汗がそれを否定している。名前はライナーに気が付かれないように手を隠した。名前が飛び出したのは探究心ではない。恐怖だ。あの男の近くにいたくないという恐怖が名前の足を走らせた。彼女の内心に気づかないライナーはそのまま話を進めた。
「街に行くつもりだったのか。夜は危ないから俺も付き添おう」
「ありがとう。少し聞いていいですか?」
「ああ」
「どうしてこの城には人間と異形が隠れていたんですか?」
「…この城にいる奴らは人間から迫害されてきた奴らだ。俺も同じ人間に追われ、お前と争ったエレンやミカサも人間から迫害されてここに匿われているんだ」
「ミカサも人間……?」
「いや、あいつは魔女だ。もともと魔女も魔法使いも数世紀前の異端裁判で根絶やしにされちまったから希少価値が高い。売買目的に攫われたところをエレンに助けられたそうだ」
「そうでしたか……」
思っている以上に厄介な街だと名前は額の汗を拭った。