一週間ほどすれば冷蔵庫の中は空になり、休日の名前は再び食事を放棄するようになっていた。動かないのでお腹が空かない。部活に所属していないため、ひたすらネットサーフィンや本を読むだけでやることもなかった。ごろごろ。ごろごろ。動かないが、食べないので太らない。猿飛や妙からはちゃんと食べるように言われていたが、自炊なんかするはずもなく名前は腐っていた。明日は二限から五限まで講義。提出レポートはもう済まして或るぶん気は楽だった。心置きなくクズな生活を満喫していた彼女はメールの着信に気付いた。高杉からの返信である。
「……?!」
慌てて飛び起きた名前は布団をたたみ、カーテンと窓を開けて換気をした。散らばった洗濯物と漫画をクローゼットに押し入れ、パジャマから着替えて顔を洗いに行った。溜まった洗い物も片づけ、軽く掃除機をかける。今から来るとはなんと非常識な。名前が無意味にあたふたしていると追い打ちをかけるかのようにインターホーンが鳴り、訪問者を告げた。嫌な汗が額を伝い、恐る恐るドアスコープに近づいて覗き込んだ。煙草を吹かす高杉の姿を目にした名前は居留守を使うか真剣に迷った。会いたくないわけではない。むしろ会いたいのだが、心のどこかが高杉に会うことに対し臆病になっていた。ドアの前で頭を抱えた名前に待たされることが大嫌いな高杉はドアを軽く蹴り飛ばす。それは脅しに十分な威力を名前に伝え、二度目のインターフォンが鳴った時、渋々というように扉は開いた。
「よォ」
「いらっしゃいませ……」
「邪魔するぜ」
凶悪な笑みを浮かべた高杉は押し入るように部屋に入ると勝手に鍵を閉めた。真っ先に向かったのは冷蔵庫。後を追ってきた名前が必死に開けさせまいとするのを簡単にあしらうと取っ手に手を掛けた。予想通り、中は空っぽである。水すらもない。戸棚を物色してもこないだ購入しておいた携帯食は出てこなかった。無表情で無言になった高杉に逃げ出したくなる名前は一歩下がったが、蛇に睨まれた蛙のごとくピシリ、と固まる。
「いや、こないだはどうも御馳走様でした……?」
「お前昨日、飯は食ったのか?」
「………食べてないです」
「………」
「えっと、買い物行くのが億劫で」
恐る恐る両手を肩の高さまで上げて名前は弁解しだす。買い物に行くのがめんどくさかったと素直に言ったはいいが、それは決して弁解になりえなかった。高杉が名前の頭を叩いた拍子に彼の腕時計が当たった名前は眼に涙を浮かべながら抗議の視線を投げた。あなたには関係ないでしょう、と言わんばかりの視線に高杉は彼女の頭を右手で掴み、じわじわと力を込めていく。締め付けられるような鈍痛に名前はギブアップを必死に訴えた。
「買い出し」
「はい?」
「買い出し行くぞ」
「まじっすか」
じゃあ化粧してきます、と言った名前に高杉はそのままで構わないと言った。しけた面で隣を歩くなと言われたから気を利かせていったのに。なんとなく理不尽を感じた名前だが、高杉の言うことに逆らって勝てる気が全くしないので素直に頷いておいた。
■ ■ ■
ラフな私服の高杉はやっぱりかっこよかった。スーパーに行く途中にすれ違う女子高生の集団は小さなざわめきと熱い視線を寄越し、井戸端会議中のおばさまも黄色い声を控えめにあげる。慣れているのか全く意に関さない高杉を名前は尊敬の目で見つめた。自動ドアが神々しく開くような錯覚に陥った名前は眼をごしごしと擦った。カートを引く名前の前を歩く高杉は家族連れの多いスーパーには決して馴染まない。体力がないことと周りの視線が痛いことですでにぐったりしだした名前を高杉は少し心配するように見た。
「大丈夫かお前」
「なんかもう色々疲れましたよ。てか何買うんですか。あたし自炊できませんよ」
「レトルト大量買いしとけ」
「レトルトならmamazonで頼みましょうよ…外出るのあんまり好きじゃないんですよねえ」
「……」
レトルトコーナーで色々物色しだした高杉を眺めるだけのお買いもの。お母さんですか、と突っ込みたい衝動を抑えて名前はメールの確認をしていた。レトルトカレーやら里芋の煮つけやらチキンライスの素やら仕舞にはエビチリの素やパエリアの素も買いだした。なんでもあるんだな、と感心してると次は野菜売り場に行くという。重たくなったカートを押しながら野菜売り場でトマトを選ぶ高杉にボソッと話しかけた。
「野菜あんまり好きじゃない」
「好き嫌いすんな」
「というかやっぱり高杉さんモテますね。さっきからあのカップルの彼女、あなたに熱い視線おくってますよ」
「知らねえ」
「日常茶飯事ですか」
「傍から見れば俺たちもカップルだろ」
「……」
高杉さんの言葉に名前は凍りついた。確かに、確かに休日のカップルに見えないこともないかもしれないけれども、釣りあいというものがあるだろう。高杉に似合うのは美人でグラマラスなお姉さんだ。名前は平々凡々な大学生。カップルというよりも似ていない従兄妹の方がしっくりくる。というか、カップルなんかに見られてるとは嬉しさを通り越して恐れ多い。挙動不審になって距離を置こうとする名前の腕を掴んだ高杉は、名前の腰に手をまわして「照れんなよ」と囁いた。脳天に何かが落ちてきたような威力である。擦れた美声に固まった名前を彼女にはとうてい向けないであろう凶悪な笑みを浮かべて見ていた。