05

 
夜中、名前は目を覚ました。枕元の時計を見ると深夜二時を廻ったところである。布団に入ってからまだ三時間しか経っていない。もう一眠りしようと欠伸をして布団の中に潜った名前の耳に小さな声が届いた。

「名前……名前……」

名前はその声から逃げるように頭を布団に押し付ける。目を固く閉じたところでその声は止んだ。名前は左胸をパジャマの上からぎゅっと押さえる。肺の奥から絞り出すように吐き出した空気は狭い布団の中を巡回してまた名前の肺のなかへと戻って行った。あぁ、と名前は息を漏らす。布団を剥いで上体を起こした。真っ暗な部屋のなかを見渡す。当たり前だが、そこには誰もいなかった。

「レベッカ……嘘だよね…?」

名前が先ほど耳にしたのは、間違いなくレベッカの声だろう。名前は掌で顔を覆う。どうしようと声が漏れた。座っているのに貧血を起こしたような感覚がある。閉じていた目を開け、名前は水を飲むためにベッドから降りた。冷たいフローリングをスリッパを鳴らしながら歩く。キッチンでミネラルウォーターを飲んだ名前は顔を洗うために洗面台へと移動した。冷たい水で顔を洗う。顔を上げたとき、名前の呼吸が止まった。

「レベッカ……」

鏡に映ったレベッカは空気にとけ込むように消えてしまった。名前は膝の力が抜けてしまう。ああ、ついに現れてしまったか。レベッカが行方不明になってから一ヶ月半。彼女は、ついに名前の前に姿を現してしまった。名前はレベッカの死を知った。


■ ■ ■


翌朝、気分が優れない名前は講義に出席はしたものの、ノートを取る事も無くぼうっとしていた。共に近代思想の講義を受けていたジャンは名前の顔色を伺う。ジャンと名前は幼なじみだ。彼女の様子からただ事ではないと察したジャンは自分と名前がサークルを休む旨を連絡した。これは、話を聞いた方がよさそうだ。幸い火曜日は四限で講義が終わる。講義が終わるとジャンは二人分の出席カードを提出し、名前の腕を引いて駅に向かった。

「なにがあった?」
「……」
「酷い顔しているぞ」

ジャンは行きつけのコーヒーショップの奥の席で名前と向かい合うように座った。店主がジャンの頼んだアイスカフェラテと名前の分であるアイスココアを運んできた。名前はココアに手を付けようとしない。名前はジャンを見て、少し涙を浮かべた。

「昨日の夜、レベッカを見たの」
「……それはあれか」
「鏡に写って……」

最後まで言葉を言い終わる前に名前の涙腺の堤防は決壊した。薄く化粧を施された頬を涙が伝って行く。ジャンは名前の言いたい事を把握した。ガムシロップを入れていないカフェラテは苦い。下を向いて涙をはらはらと落とす名前にジャンはハンカチを投げた。

「そうか……」

嗚咽を堪えた名前はぐずぐずと鼻を鳴らした。泣き方は幼い時から変わっていない。涙は遠慮なく流すくせに声は漏らさない。ジャンが公園で名前を突き飛ばした時もそうだった。名前の母親が死んだときもそうだった。思いっきり泣けば良いのに、と思ってしまう。ジャンも片手で目を覆った。

「ど、うしよう」
「どうしようもないだろ。お前がレベッカの幽霊を見ましたって言っても信じるやつなんて滅多に居ないし、レベッカの……死体が見つかったときに面倒に巻き込まれるのもお前だぞ」

名前は、ジャンに見えないものが見えている。それを受け入れられるのはジャンが名前と長い間一緒にいるからだ。高校は別だったものの、幼稚園小学校中学校と一緒に過ごしてきた。名前の誰にも言えない秘密をジャンは共有している。

「どうしてレベッカはお前のところに来たんだろうな」
「分からない。けど、レベッカの着ている服が、私の服と似ていた気がする」
「お揃いで買ったのか?」
「ううん」

名前は頭を振って否定した。お揃いのキーホルダーは持っているが、服は買った記憶がない。レベッカの霊を見た後に自分の洋服ダンスをあさったところ、やはり瓜二つの服がでてきた。どうしてレベッカがあの服を着ているのだろうか。

「まあ、お前はいろいろ寄せ付きやすいらしいからな……レベッカも惹かれちまったんだろう」

ホームに立つ幽霊。交差点に佇む幽霊。道を走って去って行く霊もいれば、階段に座り込む霊も居る。どこか遠い存在の彼らとレベッカが同じ存在になってしまった。本格的に嗚咽を漏らしだした名前の頭をジャンは乱暴に、優しく撫でた。

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