エレンに名前が襲われているようにも見えるこの状況。説明しろ、と血も凍るような冷たい声で尋ねられ、名前とエレンは硬直した。だが、名前は素早く服を掻き寄せ前を隠す。舌打ちをしたリヴァイはエレンの耳を引っ張り廊下へと出て行った。名前は急いで制服を着る。
「すみません…もう大丈夫です…」
申し訳無さそうに名前は言った。エレンはまだ顔を赤くしている。リヴァイと名前が知り合いであることを疑問に思ったのか、エレンは二人を見比べた。
「えっと、リヴァイさんは私の小さい頃からのご近所さんでして…家庭教師もして頂いています」
「へー。俺はここで知り合った。あ、俺とこいつは先輩後輩です」
「陸上部への勧誘がしつこいって話した先輩がイェーガー先輩です」
「おい!」
リヴァイへの説明で墓穴をほった。エレンは名前の頭を軽く叩く。エレンの格好は学校指定のジャージだった。リヴァイとエレンはテロの後、避難所として寄った学校で知り合ったらしい。どうやらミカサやアルミン、ジャンもいるという。
「あいつらも今頃屍退治をしているだろうよ。あ、でもミカサとサシャ達は仮眠中だ」
「屍?」
「死体が動くからな。あの化け物を俺たちはそう呼んでいる」
屍というのか。昼も夜も気を休める隙がないため、交互に仮眠をとっているらしい。
「名前は今までどこにいたんだ?この場所以外にも避難場所があるのか?」
「えっと。ううん」
「今はいいだろ。名前を安全な場所に避難させるのが先だ」
リヴァイが助け舟を出すように口を出した。再び階段を登り、最上階の四階まで上がった。息が上がる。ぜいぜいと荒い息を漏らす名前にエレンとリヴァイは心配そうな目を向けた。生き残るためには体力が不可欠だ。ただの高校生の名前にはつらいものがあるだろう。四階の生徒会室の前にはジャンとユミルがいた。中に入ると、数人の人影が見えた。
「え…名字!?」
「いいからさっさと開けろよ」
驚くジャンにエレンは突っかかる。アルミンとジャンは見張りらしい。リヴァイは名前にコートを渡した。確かに少し寒い。ありがたく受け取った。
「少し寝ていろ」
「リヴァイさん達は…?」
「俺達は見張りだ」
エレンとリヴァイは直ぐにでていってしまった。集まってくる屍を駆逐するらしい。名前はリヴァイのコートの袖に腕を通し、生徒会室のなかで寝る人の顔を一人ひとりチェックしていった。ベルトルト、サシャ、クリスタ、ミカサ、アルミン。高等科の制服を着ているのはこの五人だ。あと、私服姿の人間が四人。私服姿の人間は名前の知らない人だった。エレンやリヴァイの様子から学校にいる人達以外の生存は絶望的だと思われる。これだけしか生存していないのか。部屋の隅で膝を抱え、名前は目を閉じた。
■ ■ ■
朝、目が覚めた名前は生徒会室の中に設置されている給湯室で顔を洗った。水道は通じているようだ。顔をじゃぶじゃぶと洗い、ポケットの中のタオルで顔を拭く。部屋の中に戻るとミカサとアルミンが起きていた。名前を見て驚いたように小さな声を上げた。
「おはようございます」
「名前!?どうしてここに!」
「昨日の夜助けていただきました。先輩方もご無事でなによりです」
ミカサが名前の怪我をみて眉を下げた。エレンとミカサとアルミンは中学陸上部での先輩だ。頼りになる先輩がいて名前は安堵した。知り合いが多いというのは心強い。記憶が曖昧だと言う名前をミカサは慰めた。
「あんな恐ろしい体験をしたから、しょうが無い」
あの日、ミカサ達はエレンの宿題をするために早めに学校に居た。七時過ぎだったと思う。何の前触れもなく遠くから爆発音が聞こえたのだ。何事かと席を立ったミカサが今度は衝撃で倒れる。学校の目の前にあったビルから炎が出ている。続いて再び爆発音。街のいたるところから炎が上がっているようだった。
「火事?」
「と、とにかく広い場所に逃げよう。ここも何が起こるかわからない」
「職員室に行こう」
エレンとアルミンとミカサは職員室に向かった。先生方が中庭へ避難するよう呼びかける。その直後、職員室に男が駆け込んできたのだ。避難民かと思った教師たちはその男の手に持つ物体に動きを止めた。
「エレン…っ」
ミカサはアルミンとエレンの腕を引いて職員室から飛び出した。そののちの、爆音。廊下にまで飛んでくる腕や血にアルミンは口を抑える。非日常だった。ここはいつの間に戦場になったのか。校庭の隅で肩を寄せあっていると続々と避難民が集まってくる。災害時の避難場所に指定されているので当たり前といえば当たり前だった。みな、自分のスマートフォンでニュースを見ている。
「テロ、だって。今のところ被害の確認されているのはこの街だけみたいだけど…」
「くそっ…意味わかんねーよ」
「もうすぐ政府からの救助が来るはず」
日もくれた後、救助は来た。暖かい毛布や食事をとると肩の力が抜けた。三人は学生寮に入っているため両親の安否の心配はなかった。電話は繋がらないが、きっと回線が混んでいるからだろう。遠くで職員室から遺体が運ばれていくのが見える。校門の方から悲鳴が聞こえた。その悲鳴はだんだん大きくなる。悲鳴をあげる人数が増えた。
「な、なんだ?」
「暴動…?」
「巻き込まれたら危ない」
少し見てくるというエレンにミカサは自分も行くといって立ち上がった。アルミンも行くと言う。結局三人で様子を見に行くことになった。悲鳴と怒号。兵士が何かに対して銃を向けている。懐中電灯で照らされたそれは、人間に白かびが生えたような外見だった。右半分が白カビで覆われている。呻きながら手を伸ばし、牙を向く。数体いるそれにエレンは唾を飲んだ。その内の一体が、懐中電灯を照らす兵士の後ろから這い寄っているのが見えた。そして、その足に噛み付いた。兵士の声が上がる。振り払い、警棒でその生物を振り払った。仲間が彼を支える。
「なんだよ…アレ」
「わからない、わからないけど。マズイ」
「あれは人間?…の、ようにも見えた」
嫌な汗が三人の額を伝い落ちた。結局その夜は寝れるわけもなく、朝を待った。
「エレン…兵の様子がおかしい」
「え?」
「撤退の準備をしてるみたいだ」
「撤退!?俺達はどうなるんだ?!」
アルミンが指差す兵士たちはトラックに乗り込んでいた。そして去っていく。呆然と其れを見送るしかできない避難民だった。食料や衣料はまだあるが、兵士はどこにいってしまったのか。警察官の服装をしているものは皆に問い詰められていたが、彼らも避難民だ。何もわからないとかぶりを振るだけだった。
「オイ!これをみろ!!」
大声を上げた男がいた。周囲にいた人はその男が手に持つスマートフォンを見た。
「シガンシナ町全滅…?おい嘘だろ。俺達はまだここにいるぞ…」
「病原菌の疑いだって?隔離ってどういうことだよ!」
アジテーターはおおきな声によって生まれる。不安が爆発した住民は次々に校庭から出て行った。自分の家へ戻るらしい。エレンとミカサも一旦寮に戻ることにした。だが、寮は火事に巻き込まれたのか中に入れそうにない。もともと築年数も建っていたし、崩壊するのも時間の問題だろう。アルミンの提案で再び学校へ戻った。その道ですら死体が転がっている。ミカサはエレンの手を握り、目を逸らした。