01


名前は高等科の校舎の教室の前に立っていた。『2―E』と書かれたプレートが扉の上に貼り付けてある。間違いなく自分のクラスだ。手の中に明日までに提出しなければならないプリントが入ったクリアファイルがあるのを見て、ああ、忘れ物を取りに来たのだなと確認した。これは夢か。真っ暗な校舎なのになぜかはっきりと廊下や教室が見えた。

「帰んなきゃ…」

高校二年生の教室は三階だ。名前は階段に向かって歩いた。ワックスが綺麗にかけられた廊下を歩き、階段を降りていく。踊り場に取り付けられた鏡が厭に不気味だった。三階から二階に降り、二階から一階に降りる階段へ足を踏み出した所で名前は足を止めた。ぴちょん、と水の落ちる音がする。全神経が耳に集中した。ずるずると何かを引きずるような音も聞こえてきた。ぶわっと全身の産毛が逆立ち、背筋を薄ら寒いものが駆け抜ける。だんだんと音が近づいてくるような気がした。ぴちゃん…と背後で大きな音がした。

「…ッ!!!!」

ぎこちなく動く首を必死に回し、名前が見たものは二メートルほどの白い何かだった。人型のそれと目が合う。大きな口が三日月形に歪んだ。その口から涎のようなものが落ちる。ぴちょん、と音がした。後ずさる。恐怖で声がでない。恐怖で足が動かない。動け、と念ずるも動いてくれない。からからに乾いた口内を潤そうと唾を飲み込んだ瞬間、そのモノは名前に飛びかかってきた。

体のバランスを崩し階段から転げ落ちる名前は頭を庇おうと腕を回す。肘とモノがぶつかったのか、濡れた感覚がした。鏡にぶつかる。そう思って目を閉じた名前だったが、何故かぶつかることはなく、再び階段を落ちる衝撃がきた。気がついたら一階の踊り場まで落ちていた。呻いた名前が慌てて立ち上がる。全身が痛かった。階段の方を振り返ると鏡の中にそいつはいた。これは夢だろう。壁を伝うように体を支え、やっとの思いで校舎を出た。

「あれ?名字?」

突然掛けられた声に名前の体は跳ね上がる。だが、声の主が頭の中で一致し、安堵の息を吐いた。校庭の真ん中にいたのは見知った人物だった。

「ゾエ先生…」
「こんな時間になにしてるの?ってかこの時間帯って生徒立ち入り禁止じゃね?」
「えっと、忘れ物を…」
「ちょっと、すごい怪我してない?!」

名前の姿を懐中電灯で照らしたハンジは驚いた。規定より短いスカートから出た足は擦り傷だらけで、長袖の制服には血が滲んでいる。一体彼女に何が起こったのだろうか。最悪の想像をしたハンジは辺りに誰かいないかと視線を巡らせた。

「階段から落ちただけです」
「…本当?私に嘘ついてない」
「はい…あの」
「なに?」
「さっき、変な生物がいて」

恐る恐る名前は先ほど見たことをハンジに話した。ハンジなら信じてくれるような気がしたのだ。名前の話を聞いたハンジは顎に手を当てて唸る。生物の先生らしく興味を持ったようだ。バイオハザートというゲームを知っているか、と話しだしたハンジだったが、時間を思い出して口を閉じた。

「この話は明日話そう。送ってあげるからおいで」
「いえ、大丈夫です」
「こんな時間帯に女子高生が歩きまわるものじゃないよ。ほら、早くおいで。どうせ私も帰るつもりだったし」

ハンジがスーツのポケットから車のキーを出した。名前は頷く。一度は断ったが、あんな恐ろしいものを見て一人で夜道を歩くのは怖い。助手席に乗り、カーナビに住所を打ち込んでいく。車なら五分もしないで着くだろう。何かを考えているようなハンジに話しかけることができない名前は無言のまま流れる景色を見ていた。

「はい、ついたよ。明日寝坊しないようにね」
「ありがとうございました」

ハンジに一礼して名前は門を開けた。去っていく車のライトを見送りながら自分の家を見上げる。夢のはずだ。それを証明するように玄関には鍵がかかっておらず、あっさりと彼女を向かい入れた。痛む体を押し、二階にある自室に向かう。階段がトラウマになりそうだ。そのまま自室に入り、ベッドに倒れこむ。目を閉じるとすぐに眠りについた。


■ ■ ■


目覚まし時計の音で名前は目を開けた。両腕を伸ばし、欠伸をする。はっと自分の服装をみると制服のままだった。だが、足にも腕にも怪我はない。もちろん痛みもない。制服のまま寝たからあんな夢を見たのだろうか。一階におり、シャワーを浴びる。

「おはよう」
「おはよう。お弁当ここに置いておくわよ」
「今日は何時に帰ってくる?」
「八時ぐらいだと思うわ。夕ごはんお願いね」
「わかった」

父はもう会社に言ったらしい。区役所で働く母親も準備に追われてばたばたしている。上着を探す母親を尻目に名前はテレビを付けた。暇つぶしのためにニュースを見る。ニュースが天気予報に変わった頃、母親が名前にクリアファイルを差し出した。

「これ、サインしておいたから」
「え?」
「あなたが昨日机の上に出しっぱなしにしてたんでしょ」
「あ…うん」

そのプリントは名前が昨日夢の中でとりにいったプリントだった。狐につままれたような顔をする名前に母親は「おかしな子ねえ」と首を捻る。いまいち食欲の出なかった名前はサラダだけを平らげ、母親を送り出した。

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