高3梓と大学生宮地




今の俺は、あの日とは違うことを願えるだろうか。


12月のある日、木ノ瀬からのメールを開いて小さく溜息を吐いた。『宮地先輩にお話ししたいことがあるんです。今夜、会えませんか?』と改まった一文が小さな携帯電話の画面にならんでいる。木ノ瀬の言う"話"というものが何なのか大体予想はついていて、それは今までずっと分かっていたはずなのに目を逸らし続けてきたものだったから余計に向き合うのが怖くて、返事を送る指を鈍らせた。聞かなければ話さないであろう木ノ瀬にどうしても聞くことができなかったもの、皮肉なことに聞かずともその答えは想像するに難しくなかった。

(木ノ瀬の、進路)

文字を打つことができずに真っ白なままの返信画面に、ゆっくりと文字を入力していく。こんな俺の思いが杞憂に終わって、いつものようにどうでもいいような話をしている様子を必死で頭に浮かべるけれどそれさえも上手くいかなくて。自分の考えは間違っていないと直感がそう伝えてくるのだ。

『わかった。今日の講義はもう終わったからいつでも大丈夫だ』

返事を返すと、すぐにまたメールがやってくる。近くの公園に20時、ほんの何時間かしたら訪れてしまうその時に、胸が重くなるのを感じた。
いつだったか話したことがあった。あいつは迷いもせずに宇宙飛行士になると、高校を終えたら留学するとそう言ってのけた。あの時はあまりにも木ノ瀬らしい言葉だと思っていたのに、それなのに。

(こんな矛盾を持つようになるなんて…)

ゆっくりと沈んでいく赤い夕陽に向かって息を吐けば、白い靄でオレンジに濁る。雲も無くカラリと冷えた空気に、今夜の星空は綺麗だろうということが窺える。綺麗な星を、見ることができる。



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部屋に戻っても何をする気にもなれず、外に出たのは予定の一時間前だった。公園までの道をゆっくりと歩く。もうすぐ雪も降るだろう、それくらいに冷えて寒い。寒くて辛い代わりに、その星空はいつにも増して美しいもんだから切なさに浸ることもできない。

「こんばんは、待たせちゃいましたか?」

制服にマフラーを身につけて少し小走りでやってきた木ノ瀬の頬は寒さで少し赤らんでいた。

「大して待ってない」
「本当ですか?」

近づいてきた木ノ瀬の掌が俺の頬を挟む。

「嘘ばっかり、冷えちゃってるじゃないですか」
「いや…これはだな…」
「…僕のせいですね」
「え?」

もっと早く来てたら宮地先輩に寒い思いさせずにすんだのに、と言う口調はいつも通りなのにその顔は何処か強張っているように見えたから、もっと別の、核心を突くような意味を持っていたのではないかと思ってしまう。勝手に落ち着かなくなって、居ても立ってもいられなくなったのは俺の所為なのに。

「宮地先輩、早速お話してもいいですか」

心臓が揺れた。そうだ、木ノ瀬にとって用があったのは話があるからであって後に伸ばす必要なんてないのだ。少なからず動揺をしてしまったのはそれを聞きたくないと、そう思ってしまっていたから。大きな振り子時計のようにゆっくりと大きく揺れ動いている心臓、身体の表面は冷たいのに、身体の中はぐるぐるとあつくて吐き出しそうで涙が出そうになる。言葉を出せずに小さく頷くとじゃあ、あっちにいきましょうと手を引かれてブランコの方へと連れて行かれる。握られた手を握り返すことができなかった。

「ブランコとか、久しぶりじゃないですか」
「そうだな…」
「宮地先輩がブランコって、あまり似合いませんね」
「…」

返事を返せずに言葉に詰まれば、二人の間に流れる沈黙。無理にいつも通りに話す木ノ瀬に気付いていた、そして自分の予想が間違っていないことを悟る。正面を向いていた木ノ瀬の顔が俯き、落ち着いた声が夜の公園に静かに響く。

「先輩、僕、アメリカに行きます」
「そうか」
「…はい」
「だから…」

このまま時間が止まればいいと思った。そうしたらこの後に続く言葉を聞かずにすんだから。木ノ瀬の言葉を遮って、行かないでほしいと言うことだってできただろう、でもそれをしなかったのは何を言っても木ノ瀬の気持ちは変わらないと分かっていたから。そして小さな俺のプライド。自分の願いを伝えることよりも、木ノ瀬が好きだと言ってくれた"宮地龍之介"を守ることを選んだ。だから…

「さようならです、宮地先輩」

木ノ瀬の声を聞きながら、眩しいくらいに澄んだ夜空を見上げた。思っていた以上に星が良く見える。もし、この瞬間にこの夜空を翔るように星が流れたら間違いなく俺は女々しくもこう願うんだろう、これが全部夢でありますように、と。どんなに美しく星が瞬いていても、それが流れることはなくただただ見上げることしかできなかった。

「…気をつけて、行ってこいよ」

やっとのことで喉を出た言葉はそんな言葉で、木ノ瀬は小さく口元を持ち上げて微笑んだ。目は寂しさを抱えたままに。

(そんな顔をするくらいならば、言わなければいいだろう)

それはただの八つ当たりだとは分かっている、年下である木ノ瀬に言わせてしまったくせにこんなことを考えるのは間違っているとも分かっているのに…それでも零れてくるのだ。

「先輩は、こっちで幸せにしててくださいね」
「お前も、だ」
「…そうですね」
「お前の夢を、俺は応援している」
「ありがとうございます」

きい…木ノ瀬がブランコを小さく揺らし、こちらを見つめた。暗くて良く見えないけれど、その瞳にうっすらと涙が浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「宮地先輩、僕は必ず宇宙飛行士になりますよ」

右手の小指を突き出して、俺の方に向ける、所謂、指きりの形で。

「先輩は幸せでいてください。さようならって言ってアメリカに行っちゃうような僕が悲しくなってしまうくらいに。…約束、してください」

ああ、そんな言葉で現実を突き付けようとすることなんてないのに。自分に言い聞かせるように言葉を続ける木ノ瀬は何処か痛々しくて、本当に思ってもいないことを必死にこれが一番正しいと言わんばかりに伝えようとしているのだ。どんなに鈍感な俺でも、それくらいは分かる。だから、差し出された指に自分の小指を絡ませた。きっとこれが最後。お前に触れられる最後の瞬間。先程まで、痛くて、熱くて仕方なかった心臓は気付くと驚くほどに凪いでいてそれは何か諦めにも似ていて。

「ありがとうございます。じゃあ、長々いても宮地先輩に風邪ひかせてしまうので、僕はこれで帰りますね」
「あ、木ノ瀬…」

立ち上がった木ノ瀬を呼びとめるようにして立ち上がろうとすると、振り返った木ノ瀬が泣きそうな笑顔を浮かべてこちらを見た。

「先輩、"さようなら"」

そしてすぐに向けられる背中。言葉を返すこともなく、その背中を見送るだけの自分。どうしてこんな不器用な別れしかできないのだろうか、それでもこれ以外に答えを見つけられずにこの結末を選んだのは間違いなく自分たちなのだ。段々と小さくなっていく木ノ瀬の背中を見ながら、零れそうになる涙を堪えた。お前が振り返らずに進めるようにと。
夢を追うお前と、それを見守る俺を照らすのは一緒に見たはずの綺麗な星、これから進む道が変わっても、いつだって同じ空の下で同じ星の光に照らされている。今はそれだけが救いで、それだけが残されたものだった。

「さようなら、か…」



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数年経った今でも、あの日のことを思い出す。そして、自分が今幸せでいるかを自分自身に問いかける。あの日、木ノ瀬と交わした約束を胸に置いて。社会に出てからのこの数年でものの見方や、感じ方が多少なりと変わってきたことは間違いないけれど、約束だけは何一つ変わることなく俺の中にあった。

(流れる星を見つけられたら…)

きっと俺は違うことを願えるだろう。

(木ノ瀬も幸せでありますように)



同じ星の下で






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