霜月の種(ss)

白い書物に記された話。86ページ目。


ーガシャン、
「あ。」
「……あ。」
それはどちらが悪いというわけでもなく。いやどちらかといえば
赤羽が悪かったのだが、わざとではなかったのだろう。
それでも数歩遅れて発された紅花の声は少し悲しんでいるような、僅かな変化があった。勿論、表情はいつもと変わらず乏しいものだったが。


【霜月の種】


「…………、あーあ、何やってんの赤羽兄。硝子は怪我するよ?」
「なぁこれ紅花の?見たことない硝子玉やけど…瓶に入れてたってことは大事なもんやったやろ」
「見たことない?」
「見たこと…ないよな?」
店を一時的に閉じて赤羽がいた奥に入ってきた紅花は呆れた感情を声色に滲ませ、中身の硝子玉と共に割れてしまった瓶を片付け始める。そのてきぱきとした動きに赤羽は大人しく場所を開ければこんな硝子玉はいつ仕入れただろうかと首を傾げた。
赤羽は記憶力が自分でも把握している程弱い。それは分かっていた。だからこそ何気なく“見たことがない”硝子玉の存在を不思議そうに問いかけたのだった。
その問いかけにピクリ、と破片を片付けていた紅花の動きが止まる。
『本当に見たことがないのか』
そう語りかけてくるような問いかけにもう一度まだ掘り返せる記憶を遡るも地面に飛び散っている安っぽい赤い破片は全く覚えがなかった。
「そう…じゃあもういいよ、あと捨てるだけだから店番しといて。」
「あ、紅花ちょっと、」
「あとまた次の休みまでに在庫確認表、作っといて。赤羽兄いつも忘れるやろ。」
それでも赤羽の奥深くに引っかかったのは、破片を集めきり袋に包み立ち上がった紅花の顔に少し影が差していたからだろうか。更に問いかけようにも追随を許さないかのような淡々とした言葉でその場はあやふやにされてしまった。

「ーってなことがあってんけど、」
価値がなさそうな赤い硝子玉なんて何かあるのか。
酷く困ったという表情で端正な眉を寄せ唸っている赤羽に、一族の当主の代わりに頼んでいた商品を受け取っていた蛟の妖である実翠と翠果は訝しげな視線を送りつつ、そのらしくない姿に肩を竦めた。
「君が商売に関係ない話すなんて珍しいな。」
「だって気にならん?それこそおれ以上に商売にしか興味ない紅花が気にしてたし…そもそも在庫を置いてた場所にあったもんやからてっきり稀少な物なんかと……。」
「紅花殿の私物なんじゃないか?それなら別に高価な物じゃなくても話がつくだろう。そんなことよりも…」
「ん?」
「謝ったのか?」
すっと実翠の瞳が鋭く研ぎ澄まされる。普段ろくに批判的な感情を出さないだけに赤羽はうっと言葉を詰まらせる。
その反応で十分に伝わったのか赤羽の前で品物を確認していた実翠は深いため息を吐く。
「君は兄なんだろう。弟の私物を壊してしまったわけなんだし、謝った方がいいぞ。」
「え、ええ…でも今更その話掘り返すと気まずくならへん?」
「……その気まずくなることをしたのは赤羽、なのに?」
今まで黙って聞いていた翠果にさせそう言われてしまえば思わず押し黙るしかなかった。別に自分が悪くない、と言ってほしいわけではなかったがこうも自分達と同じ双子に言われてしまえば何とも言えない気持ちになってしまう。
「堪忍してや、もう…。」
「赤羽からお話ししたのに…どうして?」
「どうもこうもないって…翠果ちゃん見逃してほしいわ。」
「はは、君がこうして狼狽えるのも面白いな。これを機に君は一度じっくりと弟のことを考えてみればどうだ?」
「…自分が思っている以上に、相手も貴方のことを見ているよ。」

「―――って、言われてもなぁ…。」
さてさて困った、と赤羽は都がある人里へ続く道を降りながら一人ぼやく。蛟の里では隠しもしなかった鬼の証である角も術を使用してしまえば何事もないただの人間であるように姿は変わっていく。別に祓われても問題ない、という考えの元、好きに過ごしているわけだが弟とこうして気まずいまま祓われるのは勘弁願いたかった。
「はぁ、どうせ退魔師さんの双子のところは行かなあかんかったし、少し探してみるかな…。」
本当に弟が持っていたものは高価なものではなかったのだ。自分の手持ちでもすぐに買えそうなような硝子玉であった。
割れてしまった破片が頭から離れず、紅花のあの悲しそうな声が忘れられそうになかった。だから珍しくもこうして自分から動こうとしたのだ、別に他人に言われて気付いたわけではない。ただ、ほんの少しだけ、見ないふりをしていただけであった。
「…………忘れんうちに済ませよ。」

******

「…………で?」
「今言った通りだけど。」
「んなことを聞きにここの領域まで来たのか、ご苦労なこったな。帰れ。」
「お得意様にそんなこと言われたくないなぁ。」
「この集落への立ち入りを今すぐ剥奪してやってもいいんだぜ、鬼の商人殿?」
何だか物珍しいものを持ってきたから通せと言われて鬼の片割れを自分の所まで通してみたら、持ってきたものは物凄い面倒話であった。ここの烏天狗の次期当主である與市の眉間にはくっきりと不愉快で仕方ないといったように皺が刻まれている。
すっかり自分相手に片割れの真似をした何処ぞの地方訛りの言葉を使わず、猫被ること止めた鬼の兄だか弟だかはこちらが怒りを見せたとしても一向に帰る気配はなかった。それどころか図々しく使用人が出したお茶を飲んで一息ついている。流石、色んな場所へ出入りしているだけありその肝っ玉は据わっているようだった。
寧ろ自分が早く帰りたい、弟の與未に会いたい、抑え込んでいる妖力を解放して村の外に放り出してやろうか、そんなことを與市がくどくどと思っているのを知ってか知らずか紅花の口が再度のんびりとした調子で開いた。
「当主様が掌中の珠かってほど散々言ってるほど大事な大事な弟くん、いるじゃん。」
「はあ?目の中に入れても痛くないの間違いだろ。馬鹿にしてんのか。」
「急に思考が馬鹿になるの止めて欲しいんだよねぇ、大体同じ意味だから気にしないでよ。その弟くんが大切……ってわけでもないけど、持っていた物を当主様が壊しちゃったらどうする?」
「土下座……?」
「うーん聞く相手間違えかな。」
流石の紅花でも困ったようにこめかみを解すように指で押す。自分達の得意先でも双子仲が良い、と思われる烏天狗の里を目指したは良いが思ったものと違いすぎた。いつもはそれなりに同族以外には傲慢、冷徹を貫くこの男でも弟関連のことになればてんで駄目のようだ。
寧ろ素でこれをやっているのだから逆にすごい。仲が良いと思われる、という推測になっているのは体が弱いだとかなんだで紅花が未だに屋敷にいつもいるという烏天狗の弟とまだ会わせてもらったことがないからである。
「なんだ、喧嘩でもしたのかよ。」
「ううん別に。喧嘩なんてしたら面倒臭いだけじゃん…やだよそんな体力使うこと。だるい。ただ……そうだね、赤羽兄の忘れっぽさに少し寂しくもあったりというかなんというか。」
「双子とはいえ、片割れが考えてることが全部分かるわけじゃねぇからな。何か堪えるばっかじゃなくて言ってみたらどうだ。意外と兄貴って、はっきり言われないと気付かない馬鹿な時とかあるんだぜ。」
「………………。それは経験談?」
「さぁなぁ、どうだったか。」
驚いた。急にそれらしいことを言われるとどう反応すればいいか分からなくなりそうだと紅花は微かに反応が遅れる。いつも見せる当主の顔ではなく、目の前の相手はその弟の前ではいつもこうなのであろう。いつも冷たく感じるその瞳にはどこか寂しげな、子供のような色が伺えた。
しかしそんな瞳に感銘を受け、同じ双子でもここまで違うものなのだなと少し真剣に向き合ってみるかといざ紅花が悩もうとした時だった。與市は既に興味を失ったように自分の爪を見つめてこちらを見ていない。その瞳は早く終わらないかと訴えているようにも思えた。
本当に烏天狗という種族は、いやこの與市という男は高慢チキな印象を受けて仕方がない、一瞬流されかけた自分が可笑しかったのだとため息を一つ零す。
「あ。」
「あ?」
「烏って光ってるもの好きでしょ。あんた達も硝子溜め込んでたりしてない?」
「よし、外出ろ。」
当然外に出された。

その後も転々と見知った双子がいる一族に顔を出して見たが成果は得られず。とりあえず割れてしまった破片だけでも新しく買ってきた瓶にでも入れようかと瓶だけは買ってきた紅花が現在仮宿にしている入口の扉を開けようとした時であった。
扉に手をかけようとした所で、ばったりと同じく出掛けていた赤羽と鉢合わせすることとなったのである。喧嘩をしたわけではないのにも関わらずやけに気まずい雰囲気が漂うのはなぜだろうか。
「犬神には罠仕掛けられそうになるし…。」
「退魔師さん機嫌が悪うからって挨拶代わりに祓おうとせんで欲しいわ…。」
「あ。」
「あ、紅花。」
そういえば兄は午前中、商品を届けに色んな種族のところへ行くと言っていなかったかったか。自分が色々と場所を渡り歩いていたところと被らなくて良かった、と紅花は胸を撫で下ろす。
そんな紅花の反応に気付いたか気づいていないのか分からないが、些か赤羽は気まずそうに視線をさ迷わせていた。
兄がそのように何かを言い難そうにしていることは珍しい、自分が寝酒にとっていた酒をくすねてこっそり飲んでいたことがバレた時以来ではなかろうか。
「なぁ、紅花…。」
「え、俺の酒また飲んだの。」
「え?!飲んでないんやけど?!」
「じゃあ何。」
「あのな、おれ昨日紅花の硝子割ってしもうたやん。」
「あぁ、あれ。いいよ、とりあえず新しい瓶買ってきたから…」
「ごめん!」
珍しい。兄が自分の仕出かしたことを悪いことだと把握して謝っている。いつもならばくどくどと言い訳を並べ立て、結局が自分がどうでもよくなり諦める―、ということか常だった筈だ。
紅花は思わずその珍しさに一拍子遅れてしまった。その隙を見逃さなかったのは流石生まれた頃から付き合いのある相手だったも言えるだろう。
「あんな、紅花が大切にしていた硝子玉。おれこういう頭は働かんしどこで買ったものかも分からん。だから代換え品で本当に申し訳ないんやけど…。」
「……赤羽兄が買ってきたの?自分で?選んで?」
「それ以外何があるん…?」
赤羽から差し出されたのは恐らく元々瓶に入っていた数とほぼ同数であろう硝子玉が入った袋。
まさかわざわざ買ってくるとは思わなかった。買ってきたとしてもいつものようにへらへらとした笑いで酒など代換え品にしてくると思っていたからだ。
なかなか受け取ろうとしない紅花に焦れたように赤羽は胸元に押し付ける。こういう時ばかり負けず嫌いが似なくても良かったのに、と思わなくもない。
「………一つでいい。」
「は?」
「だから、新しいのは一つでいい。赤羽兄、どうせこの硝子玉何なのか分かってないでしょ。」
「え?!……ご、ごめんな…まさか相当高価な……。」
「珠玉。」
たった一言、紅花が呟いた言葉に赤羽の動きが止まる。弟の珠玉は確か過去の事件で失われているはずだった。だからこそ、紅花の口からその言葉が出てくるとは思わなかった。
しかしそれと同時に、脳内にいつの間にか忘れ去ってしまっていた映像が浮かぶ。
まさか弟がそれをそんなにも大切にしているなんて。忘れっぽいと常々言われている自分が覚えて今年もそれを繰り返す等という保証はないのに。いや、去年も渡した覚えなどないため、本当にいつの間にか忘れ去ってしまっていたのだけれど。
「……おれが毎年、誕生日に紅花に珠玉の代わりだって上げてた硝子玉…。」
「え。」
「え、違ったん?!」
「いや、合ってるけど。嘘、本当に思い出したの?万年忘却症候群の赤羽兄が???」
「せめていつもみたいに忘れっぽいって言うて。」
即ち馬鹿だと言われているようではないか。いつも面倒を見てくれている紅花からすれば同じようなものなのかもしれないがその言葉を受ける自分としては受ける気持ちがまた違うのだ。
赤羽の珍しく非常に気まずそうな表情を受けてかこれまた珍しく肩を震わせて紅花がくすくすと笑いだす。
「ふ、ふふ……いつもならそのまま忘れたままでいる癖に、何で今更?」
「それは俺の脳味噌に聞いてほしいわ。でも紅花、ほんまにその……割ってしまってごめんな。」
「いいよ、ちゃんと思い出したし。まぁ赤羽兄はまた忘れるかもしれないけど。」
「そんなことない、……とは言えないのが面目無さすぎる…。」
「赤羽兄だからなぁ。まぁその辺はもう諦めてるし、受け入れもしているから。じゃあ、はい。」
ザラザラと割れてしまった硝子玉の破片を新しく買ってきたのであろう瓶に入れ直したと思えば、紅花は赤羽の目の前にそれを突き出した。
紅花の表情を伺えば、特にどこかだるそうな、もしくは面倒臭そうなものはあまり変わらないがその瞳は今持っている硝子玉を入れろと無言で訴えてきている。
過去の自分は何と言いながらいつもこの硝子玉を渡していたのかは定かではない。自分たちの誕生日も特に今日がその日というわけでもない、確か記憶が正しければもう少しだけ先だ。
だがこの弟は何処か頑固な所がある。今断れば再度へそを曲げられてしまうのが目に見えたし、この買ってきた硝子玉を受け取って貰えないのだとすると自分の大損だ。
「じゃあ……ちょっと早いけど、誕生日おめでとさん紅花。」
「赤羽兄もおめでと。」
破片の上に入れたからであろう、瓶の中に入れた音よりも僅かにそのまま割れてしまいそうな歪な音が聞こえた。本当に大丈夫なのだろうかと赤羽が紅花を伺えば思った以上に満足そうに瓶の中を見つめている。表情自体は全く変わってはいないが。
「……何、そんなに見つめてきて。俺から赤羽兄へはまだ何もないよ。」
「いや別に強請ってるわけちゃうて。紅花ちゃんはなんだかんだ優しいなーって思て。」
「ちゃん付けしないでくれない?ところで赤羽兄、これ買ってきてくれたのはいいけれど俺が前頼んだ在庫確認表は?」
「…………あ。」
「……………………。」
「今から作り、ます…。」
本日何度目かの紅花からの重い溜め息につい標準語になってしまいつつ赤羽は大人しく仮宿の机に向かう。今日中に、という約束の話であった為今から取り掛かり朝日が再度顔を覗かせる前に紅花に渡せばチャラだと筆を走らせ始めた。
その時、
「……えっとぉ、紅花ちゃん?」
「ちゃん付けしないで。手動かして。」
背中にのし、と重みを感じて振り向けば自分に背中をくっつけてこちらに体重をかけてくる紅花の姿が赤羽の後ろにはあった。
紅花もやることがないわけではなく、新規入荷してきたものを袋に小分けしたりと色々手は動かしているらしい。やりにくくはないだろうか、自分としてはとてもやりにくい、という思いから声を掛けてみても特に良い反応は得られなかった。仕方なく、紅花の好きにさせることにしてその体勢のまま仕事を進める。恐らくいつか飽きるだろうという算段だ。
「……ねぇ、」
「んー?」
「赤羽兄今年でいくつになった?」
「いくつやっけ。外見はこの二十後半からあまり動かんくなったよな。」
「じゃあ二十五ってことにしよう。今年の誕生日何欲しい?」
「金。」
「却下。」
「酒。」
「またそれ?」
「特に思い付かないんよ。」
「じゃあさ、俺からも今年から硝子玉あげる。」
―そうしたら、今年からいくつ歳とったか分かるし俺がいくつまで一緒にいれたか分かるよね。
続けられた言葉に咄嗟に紅花の方を向こうとすれば、またいつもの声色で手を止めるなと叱られる。
紅花には珠玉がない、本人がそれを気にしていない以上あまり赤羽自身もそこには触れてこなかったが、一応そういったことを話す気ではいるようだ。
だが紅花から今後硝子玉を自分も貰えるのであれば、年に一度のこの行為も忘れてしまうことが無さそうだ、赤羽がそう考えて頷けば後ろからは満足げな雰囲気が伺えた。
「じゃあ瓶を買ってこないとな。」
「俺が明日硝子玉と一緒に買ってきてあげる。」
「うわ、どしたん。紅花ちゃん優しすぎひん?おにーちゃん泣いてしまうわぁ。」
「気持ち悪いから止めて。」

それ以降、二人の腰に結びつけられた酒瓶の横には透明の硝子瓶が見られるようになったという。
兄の瓶の中は青い硝子玉、弟の瓶の中は割れた破片と共に新しく上から入れられたのであろう赤い硝子玉。
人里に降りればどこにでも売っている安価な物であったが、物に執着をしていない彼等にしては珍しく大切にしていた物であった。
その後、彼等の瓶の中にどれほどまで硝子玉が貯まったのかは誰も知る由もない。


(鬼の双子の誕生日……11/11
星言葉:プシー・ボーティス(うしかい座)/高い理想・強い信念)

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