一回目は、酔った勢いだった。

ほとんどのクルーが酔い潰れていたあの夜。お酒の強さには自信がある私ですら結構な量を飲んでいたし、足元に寝転がって意識を手放したクルー達ほどではないが相当に酔っていたと思う。
恐らくこの場で意識を保っているのが自分だけになり、少し風に当たろうと甲板に出たときはまだまだ一人で歩けるくらい元気だった。外へと出る扉を開けると、ちょうど甲板から戻ってくるキャプテンと鉢合わせた。
驚いた拍子に足がもつれたところまでは本当だ。だけど倒れる間際、咄嗟にキャプテンへと抱きついたのは、単なる事故とは言い切れなかった。

「大丈夫か?」
「大丈夫、れす」

足はもつれたけれど、倒れるほどじゃない。抱きつく必要なんてない。わざとそうしたのだ。
腰に回された手は熱かった。私はキャプテンの胸元にしがみついたまま、呂律のまわらないフリをした。心臓の音が、聞こえる距離だった。

「ったく。飲み過ぎだ、バカ」
「はい…すいません」

真上から降ってくるお小言を、私はしおらしく聞いていた。キャプテンの胸に顔をつけたまま呼吸をする。トクントクンと聞こえる鼓動は心なしか早足のような気がした。アルコールに蝕まれた思考は、すべてを自分に都合の良い方向で捉えてしまうらしい。
しばらく無言が続いた。ゆっくりと顔を上げると、ほんの数センチ先にある綺麗な瞳が私をじっと見つめていた。

「キャプテン…」

唇を押し付けたとき、私は怖くて目を閉じてしまっていたから、キャプテンがどんな顔をしていたかは分からない。
素面だったらきっとこんな大胆なこと出来るはずがないので、そういう意味ではお酒のせいだと言い訳しても良いのかもしれない。
柔らかな唇の感触。自分からしたくせに、息も出来ないくらい胸が苦しかった。
一秒にも満たない刹那の口付けの後、恐る恐る目を開けるとキャプテンの端正な顔がすぐそこにあった。
途端、私はとてつもない後悔の念に襲われる。あぁ、なんてことをしちゃったんだろう。酔っていただけ、で済ませられるはずがない。だけどスキンシップの延長だとか、唇がぶつかっただけとか、いろいろと無理のある言い訳しか思いつかなかった。
とにもかくにも、まずは体を離そうと腕に力を入れた。キャプテンの体の熱が私の思考を蝕んでいて、一旦冷静になりたかったから。
しかし、何故か私はその場から動けなかった。背中にはいつのまにかキャプテンの腕が回っていて、キツく抱きしめられていた。

「逃げんな」
「え…」
「お前が、誘ったんだろ」

ぼそりと熱い吐息が鼓膜に響く。そして、今度はキャプテンから私にキスをした。
お酒の味が交じり合う唾液。そういえば、途中で姿が見えなくなったけれど序盤はキャプテンも結構飲んでいたなぁ、ともはや遥か遠い過去となった数時間前の光景がふわりとよみがえった。
静かな夜。私はキャプテンの舌の動きに合わせるのに必死で、随分とみっともない呼吸になっていたと思う。酸素を求めて口を開けると、今まで自分ですら触れたことのない粘膜を舐められて喉の奥から声が漏れた。
宴会をしていたクルーはほとんど寝てしまっている。不寝番も、ここからは離れた場所だ。今ぐらいの声だったら私たちが何をしているか気付くクルーはいないはず。
それでも僅かに生まれた羞恥心が、反射的に目の前の厚い胸板を押し返していた。それに気づいたキャプテンは、一旦キスを止めて私をじっと見下ろした。不審そうな、睨む瞳だった。

「……ここ、じゃ」

やだ、という最後の言葉はほとんど吐息で聞こえなかったと思う。それでも、私の言いたいことは伝わったらしい。絞り出すように呟いた私に対して、ふっとキャプテンは口元を緩めて「そうだな」と優しく返事をした。
手を握られ、二人連なって廊下を歩く。会話は無くて、キャプテンの部屋に通されてから、私たちは三回目のキスをした。





それが最初で、二回目はその一週間後だった。

夜明け前、酔いが醒めて我に返った私は羞恥心に耐え切れず、物音を出来るだけ立てないようにして自分の部屋へと逃げ帰った。キャプテンは、多分寝ていたと思うけれど、真相は分からない。
部屋に戻りシャワーを浴びながら、断片的な記憶の中にあるキャプテンの手や息遣いを何度も何度も思い出した。体の奥が、熱く苦しかった。
翌朝といっても昼近くになった頃に私はようやく部屋を出た。船内で見かけたキャプテンは酷く不機嫌な顔をしていたけれど、おずおずと遅めの朝の挨拶をするとほんの少しだけ顔をほころばせて「おはよう」と返してくれた。
正直なところ、キャプテンの部屋に入ってからのことはかなり曖昧にか覚えていない。記憶の欠片をつなぎ合わせると、私は随分と大胆にキャプテンのことを求めてしまったと思う。
恥ずかしさで目が回りそうだ。それでもキャプテンが私に対して邪険な態度を取っていないところをみると、一夜の相手としては及第点だったということだろうか。
まぁ、キャプテンも男の人だし、と考える。そういう欲求はもちろんあって、たまたま近くにいた私で解消しただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
クールに見えて、仲間に対しては愛情深い人だ。きっと今までは事後にギクシャクしてしまうこととかを考えて同じ船の女性に手を出すことはなかったのかもしれないけれど、今回先にちょっかいを出したのは私の方だ。それならばきっと後腐れもないだろうと応えてくれたのかもしれない。
自分の中で昨晩の答えが出て、私はようやくしっくりときた。同時に安心する。良かった、あんなことになってしまったけれど、私はまだキャプテンと同じ船に乗っていても良いんだ。
理由が明確になり納得したことで、キャプテンに対し気後れすることもなくなり、その後は普段通りに接することができたと思う。時々一人になるとあの夜を思い出して切なくなったりしたけれど、一夜の良い思い出だと割り切るのはそれほど難しいことではなかった。


だがそこから一週間。私と一緒に不寝番を任されたもう一人のクルーが風邪で寝込んでしまったため一人で静かな夜の海を眺めていたとき、何故かキャプテンが私のもとへとやって来たのだった。

「どうしたんですか?何か用でも…」
「あいつの代わりだ」
「えぇ、キャプテンが?」
「問題あるか?」
「ないです、けど」

どういう風の吹き回しだろう、と疑問に思いつつも私たちは並んで毛布にくるまって座り込んだ。無言の時間が暫し続く。

「体、大丈夫か」
「え?」
「この間、結構無理をさせた」

キャプテンのいうこの間が一体いつのことか分からず、数秒間記憶を辿った。そして、あの夜のことを言っているのだと気が付く。

「あ、え、はい、別に何も…大丈夫です」
「そうか」
「はい…」

気を遣ってくれたのだろうか。いきなりこんな話題になるとは思っておらず、面食らってしまう。
あの夜、私は無理をさせられたのだろうか。思い出そうとすると耳が熱くなる。違う話題を探そうとしている間に、キャプテンは続けて口を開いてしまった。

「じゃあ、今日はもう抱いていいだろ」

ガサゴソと毛布がずれる音がして、すぐ隣でふわりと体温を感じた。驚いて横を向いたと同時に、唇が重なった。
キスをされていると自覚したときには既に押し倒されて、キャプテンの背後に広がる果てしない星空がチカチカと視界を眩ませた。

「こ、こんなとこじゃ」
「誰も来ねェように言っといたから問題ない」
「そんな…」
「一週間、おれは我慢したぞ」

抵抗しようとしたが、駄々っ子のように縋る瞳が可愛くて思わず怯んでしまった。
そんな可愛い顔をするなんて、ズルい。手が止まったのを見てキャプテンは再びキスをして、そしてあの晩をなぞるように私を抱いたのだった。





それからは、頻度はまちまちだが概ね週に一度、多いときは二日に一回ほど私たちは体を重ねる関係になった。

これは世間一般的に言うセックスフレンドというやつなのだろうか、と一人きりの時間に考えてみる。好きだとか付き合おうとか、そういうことを言われた記憶はない。というか、そういう関係をキャプテンが望んでいるとは思えなかった。
船旅は長いし、同じ船に乗る人間とそういうことができるのはそれなりに効率の良いことなのかもしれない。セフレだからといってキャプテンは私のことをぞんざいに扱うことはせず、行為自体はとても丁寧で慎重だった。こんなに大切に抱かれるとついつい勘違いしそうになる、なんてことは本人に言うつもりはないけれど。
キャプテンに抱かれるようになってから、どうやら私は以前と比べて女性らしさが増したらしい。街へ降りるとナンパをされたり、今まであまり話したことのなかったクルーから冗談交じりに言い寄られることが増えた。思えば随分長いこと干物状態だったから、久しぶりの行為で何かフェロモンでも出てるのかしら、なんてふざけたことを考えたりする。
まぁ、キャプテン以外の誰に口説かれても、心が揺れることなんてないのだけど。
最初は一夜限りだからと割り切れた感情も、継続するとなると話は別だ。キャプテンに呼ばれて体を重ねるたびに、行き場のないどうしようもない想いが生まれてしまう。好きな人に優しく触られたら、それだけで心は疼くのだ。
キャプテンは効率よく発散出来て良いけどさ、と胸の中で愚痴る。嫌なら拒めばいい。拒む相手を無理やり犯す人ではないことは、私自身が良く分かっている。だからこそ、ノーとは言えなかった。私が断ったらそこで終わってしまう関係だと分かっていたから、多少の痛みは感じないふりをしていた。
恋人になることはできなくても、これはこれで特別な存在と言えるのかもしれない、なんて無理やり自分を納得させる。


その日の夜も、キャプテンに呼ばれて部屋へと向かった。
いつもはすぐにベッドへと向かうのに、今日は何故か椅子へ腰かけるように言われて私は大人しく従った。

「この間の島で買った。サイズは多分大丈夫だと思うが…もし合わなかったらすぐに直させる」
「………これ、指輪?」

渡された小さな箱の中には、細いリングが入っていた。小さな石が一つ埋め込まれているシンプルなリング。
一瞬、頭に浮かんだのは婚約指輪だった。どこかの国には結婚の約束をする際に男性が指輪を送る文化があると聞いたことを思い出す。しかしキャプテンが私にそんなものを渡すとは思えない。困惑した私の顔を見たのか、キャプテンは説明を付け足した。

「エンゲージリングではない。…それはもっとちゃんとした奴を…別に用意するつもりだ」
「はい…?」
「なんでもない。これは普段使い用、付けてても邪魔にならなそうなやつを選んだ」

婚約指輪ではないことは分かった。それなら、これはただのプレゼントなのだろうか。どの指にはつければいいか迷っていると、指輪を持ち上げたキャプテンによって左手の薬指にはめられた。

「ありがとう、ございます…?」
「これで最低限の男除けの役割は果たすだろ」

そういわれて、ようやくこの指輪の意味が合点する。なるほど、最近の私は確かに異性からそういう目でみられることが増えて辟易していた。優しいキャプテンは、その問題を解決しようとしてくれたらしい。

「でもこれ、高くなかったですか?」
「お前が気にする問題じゃない。それより、絶対外すなよ、それ」
「外さないですよ。でも、この指輪どうしたの、とか聞かれたらちょっと困るかも」

なんて答えればいいのだろう。さすがにキャプテンからもらったなんて正直に話すわけにはいかないし。自分で買ったと話したところで本末転倒だ。うーんと悩む私に、キャプテンはやや苛立ったように答えた。

「おれにもらったって、そのまま話せばいいだろ」
「えぇ、それはさすがに…」
「……おれと付き合ってること、まだ隠すつもりなのか」

へ、と間抜けな声が出る。指輪を撫でていた手をピタリと止めて、キャプテンの言葉を反芻する。
誰が、誰と付き合ってるって?
はて、と考え始めた私にキャプテンはさっきよりも苛立ちを隠さずに言った。

「どういう理由で隠したいのか細かく聞くつもりはないが、そろそろ腹括ったらどうだ。
この船に乗ってる限り、おれはお前を離す気なんか一ミリ足りともねェぞ」
ちらりと私の薬指を見て、それからキャプテンは再び私の目をじっと見つめてきた。いつ見ても吸い込まれそうな瞳だなぁと思う。視線を逸らせなくて、仕方なくその体勢のまま数秒。それから、私はあの…と声を出した。

「あのですね、私とキャプテンって、お付き合いをしているんですか…?」
「は?」
「いやあの、まぁ、セフレもある意味では付き合ってるって表現になるのかな。私はてっきり、その」
「セフレだと?」

ガタンと大きな音がした。それはキャプテンが私の座る背もたれを勢いよく掴んだからで、椅子と共に私の体はやや後ろへとずれる。怒った顔が正面にあり、ドアップの迫力にやや気圧された。

「お前、ずっとセフレのつもりでおれに抱かれてたのか」
「え、違うんですか…」
「……最初に好きだなんだ言ったのはそっちだろうが」

最初とは、あの夜のことだろうか。私が酔っぱらって、キャプテンにキスをした夜。断片的な記憶の中で、僅かだが「好き」と呟いた光景が浮かび上がる。

「おれが、好きでもなんでもない女を、ただ溜まった欲求を解消するためだけにお前を呼
んで、ああやって抱いてたって、本気で思ってるのか?」
キャプテンは、いつも優しかった。指先は甘く、とろけるほど丁寧に私の肌をなぞった。キスの合間に名前を呼んで熱い吐息が吹きかかるたびに、私はこの人のすべてが自分のものになればいいのにと切に望んでいた。
同じように、キャプテンは私のことを想ってくれていた、そう言うのだろうか。

「あ、うそ、私……」
「そういうことか、ようやく違和感の正体がわかった」

ハァ、ととてつもなく大きいため息を吐くキャプテンに私はなんて答えるべきか分からずオロオロと立ち上がった。

「どこ行くつもりだ」
「いや、どこ行こうとかじゃなくて」
「どこにも行かせねぇぞ」

キャプテンに近付こうとしたつもりだったが、本人には帰ろうとしていると勘違いされたようで、私は手首をぎゅっと掴まれて引き寄せられた。
抱きしめられて、聞こえてくる鼓動。温かい腕の中で、私の心臓はキャプテンよりも大きな心音を奏でていた。

「お前、最初の夜の記憶がねェんだろ」
「…ごめんなさい、実は、ちょっとあやふやで」
「おれを好きだと言ったんだ、お前が。何度も何度も。おれの名前を呼んで、好きだと縋ってきた」


それは本当に記憶なのか、それともキャプテンの言葉から想像したただのイメージなのかはわからなかった。けれど、体を重ねながら、不躾にもキャプテンのことをローと呼んで、そして好きだと涙を流しながら喘ぐ私の姿が脳裏に浮かんだ。
「好きな女が自分の名前を呼んで乱れていて、おれのほうが夢かと思ったんだ。だから終わった後に聞いた、付き合う気があるのか。……頷いたのを、確かに見た」
眠りに落ちる寸前のキャプテンの声がよみがえってくる。そうだ、私は頷いた。だって、キャプテンのことが好きで、大好きだったから、頷く以外の選択肢なんてなかった。

「今更なかったことになんてできると思うなよ」

ぎゅう、と強く抱きしめられる。そっか、だからあんなにも優しく抱いてくれたんだ。まるで恋人とする行為のように、甘く名前を呼んでくれたんだ。
記憶と現実がつながって、私はようやくキャプテンの背中に腕を回すことができた。胸に頬をくっつけると、何故か瞳から涙がこぼれてきた。

「好きです、キャプテン」
「…あぁ、知ってる」

キャプテンの声を聞きながら、ふと左の薬指が、熱を持ったような気がした。



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