ふと喉が渇いた私は、ひっそりとした夜半の船内を歩き水を飲みに向かっていた。
なんとなく甲板へと出ると、夜風がひんやりと眠気を覚ましていく。
ふと、話し声が聞こえて耳を澄ます。不寝番をしていたペンギンとシャチがキャプテンのことを噂しているようだった。

話の発端は、どうやら先日上陸した島での出来事らしい。それはそれは大層な美人にキャプテンが口説かれていたことは、クルーなら誰もが知っていた。そしてその美人の誘いをにべもなく断る姿も、記憶の中で鮮明に残っている。
キャプテンって、どんな女がタイプなんだろうな。
軽い世間話のようなノリでペンギンに問いかけたシャチの言葉に、私も確かにと疑問に思った。
言われてみれば、キャプテンはあれだけ人の注目を集める見た目をしているのに、女っ気がまったくと言って良いほどない。少なくとも私がこの船に乗るようになってから、女の人を買っているところも見たことが無かった。それどころか、女の人がお酒を注いでくれるようなお店に行くことすらほとんどない気がする。
街によっては海賊が入れるお店は限られていて、たまに大きな宴会をするためにそういうお店を貸し切りにすることがあっても、船長から積極的に女の人と喋ることは無くて、騒ぐクルーを楽しそうに、だけどちょっと遠巻きに眺めて、自分は静かに飲んでいる印象が強かった。
女の人が苦手、ってわけではないと思う。飲み屋に行くと高確率で綺麗な女の人に声を掛けられているが、それを特に困っている様子もなくただただ面倒くさそうにあしらっている姿はよく見かける。本当に心底どうでもいいといった態度を取るので、自分から声をかけてきた女の人も機嫌を損ねたように去っていくことが多かった。
ペンギンとシャチの会話に混ざるつもりはなく、私は二人から離れて自室へと向かいながらキャプテンのことを考える。
もしかして、キャプテンって女の人に興味がないのかな。
そんな風に考えて、ちょっとだけ安心する気持ちと望みが完全に打ち砕かれた虚しさの両極端な気持ちが心の中で入り乱れた。

ちょうどキャプテンの部屋の前を通りかかる。さっきの噂話が頭に引っかかり、特に意味はないが立ち止まって扉をじっと見つめてみた。
日付がちょうど変わる頃だ。キャプテンは今頃、ひとりで眠っているのだろうか。
そのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。

「あっ、キャプテン」
「ん……あぁ、なまえか」

どうやら酒盛りでもしていたらしい。頬を赤く染めたキャプテンがふらふらとこちらにむかって歩いてくる。
部屋の前で立ち止まっていたことを見られたことが恥ずかしくて俯くと、キャプテンはそんなこと気にも留めない様子で私の目の前を通り過ぎ、それから振り返った。

「こんな時間になにやってんだ」
「えっと…」
「…誰かの部屋にでも行くつもりだったのか?」

吐息に混じるアルコールの匂いが、私まで酔わせるようだった。首を振ると、ハァと大きなため息が吐き出された。

「お前はいつもふらふらしてるからな、もう少し気を引き締めておけ」
「は、はい」

今ふらふらしているのはキャプテンの方じゃないか、と思ったけれど口には出さなかった。
キャプテンから見ると、私はいつもふらふらしているように見えていたらしい。褒めている口調ではないのだから、これはきっと小言なのだろう。
嫌われるのは嫌だから直さなければいけない。心が少しだけぎゅっと締め付けられた。

それにしても、キャプテンは存外お酒に弱い。こうして壁に寄りかかりながら部屋へと戻る姿は何度か見たことがある。
私は気を遣ってドアノブに手をかけて、彼の代わりに部屋の扉を開けてあげることにした。暗い部屋の奥に大きなベッドが見える。
手探りで壁にある明かりのスイッチを押してから、キャプテンの方を振り返った。

「大丈夫ですか?良かったら、お水も取ってきますが…」
「なまえ」

私の言葉を遮るようにしてキャプテンが口を開く。
部屋に一歩足を踏み入れていた私のすぐ目の前に立ち、さらに中へと押し込むような体勢でぐっと顔を近付けられた。

「それは、誘ってるつもりか?」
「…へ」

鼻先が、視線が、吐息が、すべてが近くてクラっと倒れてしまいそうだった。
問いかけられている意味が分からず間抜けな声を出した私に対して、キャプテンはさらに距離を詰めて後ろ手に扉をパタンと閉めた。

「お前は本当に、警戒心がなさすぎる」
「はぁ…」
「そんなんだから、おれは……」

一体何を言いたいのだろう。意図が読めず首を傾げた私の肩に手を置いたキャプテンは、再び深いため息を吐いた。

「こんな夜中に、酔って理性のない男の部屋へ躊躇いもなく入るような軽率な行動は慎めって言ってんだ」
「それはつまり、キャプテンが今酔っていて理性がない…ってことですか?」

私なりの解釈を口に出してみると、なんだかとっても滑稽なことを言っているような気がして恥ずかしくなってしまった。
キャプテンが酔っているのは珍しいことじゃないけれど、理性を無くすとか、そういうのは全く想像ができない。
こんな言い方をしたら、まるで私がキャプテンに襲われるとか、そんな風に想像をしていると思われるようでいたたまれなかった。
チッ、大きな舌打ちが頭上から聞こえてくる。やはり、私は失言をしてしまったのだろう。

ごめんなさいと先手を打って謝ろうとした瞬間、私の体はキャプテンの腕によって引き寄せられて、そして気が付けばぽすんと彼の胸元に収まっていた。

「理性はある。だからこの程度で済んでるんだ、バカ」

ぎゅう、と背中に回った腕が強く私を抱きしめている。多分、抱きしめるという表現が、今の状態にはふさわしい表現だと思うけれど。思考回路がチカチカして何が起こっているのか、私はいまいち理解できなかった。

キャプテンに対して、恋心をいただいていると自覚したのはいつからだったか。
強くて、頭が良くて、カッコ良くて、冷たいように見えて実はとても優しいキャプテンのことを、好きにならない女の人なんていないと思う
。同じ船に乗って、そばにいて、一緒にいる時間が長くなればなるほど好きという気持ちは膨れ上がっていく。
それでもこの気持ちを口に出してはいけないことくらい私は分かっていた。キャプテンが私のことをただのクルーとして以上に見てくれるはずがないと、それくらいはちゃんとわきまえていた。
あんなにキレイな女の人にも靡かない人が、女性としての魅力に欠ける私に振り向いてくれるだなんて、想像することすら許されないような気がしていた。

だから本当に今のこの状況が現実とは思えなくて、すぐ目の前にある胸の奥から聞こえてくる鼓動がとてつもなく早いだなんて信じられなくて。

「言っとくが、おれは悪くないからな」
「え?」
「無防備すぎるお前が悪い。自業自得だ」

キャプテンの言葉と、心音。
どちらも私にとって都合の良いようにしか考えられなくて、どうしたらいいか分からなかった。なんて答えるのが正解なのか、全く見当がつかなかった。
だってそれを言葉通りに受け取ったら、まるでキャプテンも私と同じ気持ちを抱いていると言っているようなものじゃないか。
そんなわけがない、とキツく抱きしめられた腕の中で首を振る。キャプテンだって自分で酔っぱらっていると言っていた。普段はあまり冗談を言うタイプではないけれど、これがただの戯れじゃないと言い切れる保証はどこにもない。
目の前の心臓と同じくらい早鐘を打つ自分の心拍を必死に抑え込もうとしたけれど中々うまくいかなかった。
頭上からは再び溜息が聞こえてくる。

「こんな夜中にひとの部屋の前でうろつきやがって、勘違いしたくなるだろうが」
「ご、ごめんなさい…?」
「本当に、思わせぶりな態度が多すぎる。そういうの、他の男の前でもやってたら絶対に許さねェ」

ぶつぶつと呟かれる私への小言はほとんど独り言に近かった。
ほかにも、距離が近いとか笑顔が可愛すぎるとか、ひとしきり私への愚痴のようなものを吐き終わった後、ようやく少しだけ腕を緩めてくれた。
真上からじっと見つめられるとなんだかバツが悪い。私は何か話さなきゃ、と考えて先程ペンギンたちが話していた会話を思い出した。

「……キャプテンって、女の人にも興味がある…んですか?」

聞いてから、もっと良い聞き方があったのではないかと後悔した。随分と失礼な物言いになってしまったことに気付いて、私の顔はさーっと青ざめる。

「どういう意味だ」

キャプテンは不服そうな声でそう返した。
言ってしまった言葉は戻せない。腰に回る腕の力が再び強くなって、私の心臓がドキンと大きな音を立てた。

「いや、あの、この間の島でも、女の人の誘いを断ってたし…。普段も、ほかのみんなと違って女の人と夜を過ごすこととかもないから、もしかしてそういう可能性もあるのかな…って」

もしもキャプテンが女の人に興味がない人だったら、それはそれで良いな、と思う。キャプテンが誰かのものになるなんて考えたくないし、キャプテンが自分以外の女の子に優しく笑いかける姿なんて想像すらしたくなかったから。
だけどそれは同時に、私自身にも万が一の希望がなくなってしまうことと同義であり、私は複雑な感情を抱えていた。

「それは、お前が…」

何か言いかけたキャプテンは、そのまま私の肩に顔をうずめて来た。首筋がこそばゆくて身じろぎすると、さらにキツく抱きしめられる。

「お前が、誠実な男が好きって言ったからだろうが」
「へ?」
「女遊びをしない、チャラチャラしていない、誠実な男がタイプだとお前が言ったから、おれは……」

語尾が段々尻すぼみになっていく。私が言ったというその台詞を脳内で反芻してみた。
それは随分と昔のこと。確かに、飲み会の場で私はそんなことを話した記憶がある。深い意味はなかった。
ただ聞かれて、ぱっと思いついたことを言っただけ。
海賊をやっているくせに誠実な男がタイプだなんて、とクルーから揶揄われたことも思い出した。キャプテンもあのときはみんなと同様、くだらないと言って笑っていた気がするのに……。

「おれは、好きな女以外抱く気はない」
「そう…ですか」
「だけど、お前がどんなにおれに興味が無かったとしても、適当な女で妥協する気も無理強いする気も一切ない」

それはもう、半分告白のようなものだった。
何も言えなくて黙り込んだ私のことなど気にせずに、キャプテンは言葉を続けていく。

「お前は本当に分かりづらいんだ。おれのことを好いてはいるのかもしれねェが、それがベポやペンギンやほかのクルーへの気持ちと同じなのか、それとも特別な感情なのか、まったく判断がつかない」

そっか、私の気持ちはちゃんと隠せていたんだな、とそんなことを考える。
恋心がバレたら近くには置いてもらえないと思っていた。いきなり船を降ろすなんてそんな酷なことをする人ではないだろうけれど、気まずくなったり普通に話せなくなってしまうのが怖くて、ずっとずっとひた隠しにしていたのだ。

「…きっと、おれから誘ったら、お前はおれを好きでも好きじゃなくても応えちまうだろう。だから何も言えなかった」

酔っぱらいの戯言だと、そう言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
だけど今のこの瞬間だけでも、私は都合の良いように考えたかった。私はキャプテンに大切に想われていたと、そう勘違いをしたかった。

「今だけ、こうやって抱きしめるくらいは、別に良いだろ。これ以上は何もしないから……」

随分と弱気な声だった。
私は意を決して、おずおずと腕を伸ばしてキャプテンの背中にまわしてみる。
広い背中は熱くて、なんだか火傷してしまいそうだった。

酔いが醒めた後、キャプテンは今言ったことをすべて覚えてくれているだろうか。

今だけは、抱きかえしても良いよね。キャプテンの真似をしてそんな風に口の中で呟く。心音は混ざり合って、二人分の呼吸とともに静かな部屋を満たしていた。



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