夜中、みんなが寝静まった頃。そっと聞こえる足音にため息を吐く。吸っていた煙草を灰皿に押し付け立ち上がり外へ出ると、ちょうど彼女が目の前を通ったところだった。


「こんな時間に、どうしたの」
「あ、サンジ、くん…」


まさかおれが起きているとは思わなかったのだろう。驚いたように目を開き、そして気まずそうに視線を逸らされる。胸元が空いたニットに下着が見えてしまいそうなほど短いスカート。普段みんなといる時じゃ絶対着ないような派手な服に身を包んだ彼女は、濃い化粧と香水の香りを纏いまるで別人のようだった。


「私、その」
「なぁ、行くなよ」


一歩前に出ると彼女は一歩後退る。手を伸ばしたけれど届かず、諦めて腕を戻した。


「金が欲しくて、どこの誰かも知らねェ男と寝てるわけじゃないんだろ?」
「なんで、それを…っ!」


バッと顔を上げた彼女の表情は驚きと絶望が入り混じっていた。バレていないと思っていたのだろう。実際、彼女の身売り行為はまだおれ以外気付いていないはずだ。
いつ頃からだろうか。島へ上陸する度に彼女は夜中になると一人で船を降り、一晩の相手を探している男を誘い体を重ね、そして朝方何事もなかったかのように船へと戻るのだ。昼間の快活な笑顔からは想像がつかない夜の淫交に、おれは最初自分の目を疑った。しかし後を追って何度もその姿を見るうちに、彼女の心に抱える闇を救うことができない自分に腹が立ち、そして彼女を抱く名も知らない男たちに狂ったような嫉妬心を抱くようになっていた。
何度も彼女に声を掛けようとしたが、その苦しそうな背中を見る度になんて声をかけて良いのか分からず、いつも伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。なんという体たらく。自分が彼女に抱いている好意を感じ取られてしまったら、おれは彼女を抱く名もない男たちと同じになってしまう。彼女への恋心は下心であり疾しいもののように思えて、尚更彼女を救うなんてそんな厚かましいことが出来るはずもなかった。
だから、今日こうして声を掛けたのは、おれにとって一大決心であり、そしてこの不毛な関係を終わらせるための最後のチャンスだとも思っていた。


「大丈夫、他の奴らは誰も気付いてないよ。おれだけさ」
「……私、別に、なにも」
「おれは、純粋に君を、支えたいと思ってるんだ。そんなこと君は望んでいないかもしれないけど…」


もう一歩、彼女へと近付く。今度は後退らなかった。縮まった距離に、おれは再び手を伸ばす。その柔らかな髪に指が届き、優しく、慎重にゆっくりと撫で下ろした。


「サンジくんは、優しいから……」
「優しくなんかねェよ。……支えたいなんて言っても、結局は君を自分のものにしたいっていう、しょうもない男のエゴに過ぎねェんだ。だけど、それでも、少しでも君が傷付くことが減るなら、おれは」
「私は、別に、傷付いてなんかない」


彼女の頬を伝う涙に気付いて動揺する。髪を梳いていた指をピタリと止めた。泣かせるつもりはなかった。焦ったように目尻を拭うと、彼女は乱暴におれの手を払い除ける。


「やめてっ」
「ごめん、でも」
「私、……私、サンジくんのことが好き」
「……おれだって、君のことを」
「好きだからこそ、サンジくんの好意を感じる度に、怖くなるの。今は好かれていても、いつかきっと嫌われちゃう気がして。私には、なんにも取り柄なんかないから。……男の人が私の体を求めて、体を愛してくれる時だけが、唯一、自分の価値を感じられるの、だから。……傷付いてるわけじゃないの、ごめんなさい」


彼女はそう言って俺の横をすり抜けていく。慌てて腕を掴むと立ち止まってくれたが、こちらを振り向くことは無かった。俯いた顔を月明かりが照らそうとするが、長い髪の毛がそれを邪魔してしまう。


「なんで謝るの」
「だって、私」
「頼むから、一人で抱えようとするなよ」


後ろからゆるく抱き締めたが、抵抗はされなかった。腕の中の小さい体に、愛おしさと切なさを感じる。素肌を撫でたとしても、彼女の心の距離は永遠に縮まらないのだろうか。抱き締める力を少し強くする。鼓動が微かに伝わってきた。


「何も怖いものなんかねェよ」
「…でも」
「おれは、絶対に君の手を離したりしない。……信じてくれよ」


肩に顔を埋めてそう呟いた声は一層情けなく聞こえた。彼女は何も答えず、だけど逃げ出すこともせずにその場から一歩も動かなかった。月が雲に隠れ、あたりは再び暗闇となる。彼女の体温と悲しい鼓動が腕の中で悲しく響いていた。
 



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