「んっ…ふぅ……!」
「もっと口開けろ」
「ゃ、あっ…むりっ」


塞がれた呼吸。苦しくて離れようとしたが後頭部にまわされた手によってがっちりと首は固定されており、ほんの少し顔を背けることすら出来なかった。
上顎を丁寧に刺激されると声が漏れて立っていられなくなる。マルコ隊長は、多分それを分かっていてそこばかり執拗に責めてくるのだ。体重をかけるようにして縋りつくと、ようやく唇を離してもらえて私はそのまま隊長に倒れこむようにしてハァハァと荒い息を整えようとした。
一体、どうしてこんなことになったのだろうか。あの日以来、『キスの練習』と称してマルコ隊長は隙あらば私の部屋や物陰や隊長の部屋でこうして突然唇を重ねてくる。
私から『練習』をお願いした手前、あからさまに抵抗することが出来ない状況なのがとても歯がゆい。他に人がいなくなった途端抱き寄せられて顎を持ち上げられて、慌てて離れようとしても「お願いします、っつったのは、お前だよな?」と言われてしまい言い返すことも出来ずに逃げ道を塞がれてしまう。
最初は触れるだけだったキスも、いつの間にか舌が絡み合う激しいものに変わっていき、私のキャパシティは常に逼迫し続けていた。
付き合っていない男女がこうも頻繁にキスをしていいものなのだろうか。誰かに相談しようにも、隊長とのキスを思い出すだけでいっぱいいっぱいになってしまい、この関係をどう表現したらいいかも分からず私は一人悶々と頭を抱えていた。
そのため、最近はなるべくマルコ隊長を避けて行動することを心掛けて自分の心の平穏を取り戻そうと努力をしていた。しかし、同じ船に乗っているのだ。どれだけ意識して立ち回っていても、相手がこちらを探して動いていたら当たり前のように見つかってしまうし、一度目が合ってしまうと隊長は決して私を逃がしはしなかった。


「お前、最近おれのこと避けてるよなァ」
「い、いや、そんなことは……はは」
「惚けてんじゃねェよい」


お風呂上り、濡れた髪の毛を拭きながら自室へ戻ろうと歩いているとこれまた運悪くマルコ隊長と鉢合わせてしまう。ドキッと高鳴る心臓に、私は慌てて踵を返そうとしたがその前に腕を引っ張られて、廊下の陰に追い込まれた。
マルコ隊長の口元は微笑を浮かべていたけど、目は少しも笑っていなかった。
そりゃあこれだけ露骨に避け続けていたら、本人だって気付くだろう。でも、私だって好きで隊長のことを避けているわけではない。男女のそういった関係に疎い私の心臓は、幾ら練習と言えどこうも高頻度に憧れの人からキスをされる状況に、もう耐えられないと悲鳴を上げ続けているのだ。自分を守るために仕方なくこうしているというのに、それすらも隊長は許さないというのだろうか。
困ったように肩を竦めて隊長を見上げると、更に顔を近づけられて、鼻先が触れ合う距離で名前を呼ばれた。


「あ、あの、隊長」
「おれがなんでお前の『練習』に付き合ってるか、本当に分かってねェのか?」


なんで、って……。あの夜、廊下でキスをしていたサッチとナースを見て、色恋沙汰に耐性の無い私が挙動不審になったのを見兼ねて、隊長が『練習』すればこうして誰かのキスシーンにかち合っても動揺せずに済むんじゃないかと提案してくれたのが理由だと、そう素直に思っていたけれど。
後ずさりたいのに、後ろはもう壁で、私は視線を逸らすことすら出来ずに冷や汗をかいていた。
唇をそっと親指でなぞられて、思わずびくっと体が震えた。吐息のかかる距離で「なァ」と隊長は口を開いた。


「キス、したいか?」
「ッ……」


唇がつくかつかないか、本当にスレスレのところで隊長はそう私に問いかけた。喉から心臓が出てくるじゃないかというくらい、とんでもない音量で脈を打つのが聞こえる。呼吸すら憚られる近さだった。唇を少しでも動かしたら、多分、重なってしまう。
何度練習したって、隊長とのキスに慣れることなんてなかった。それどころか、キスをする度に私の気持ちは溢れるほど強くなり、頭の中は隊長のことで埋め尽くされていた。意味なんて考える余裕は、私にはなかった。真っ赤になっているだろう私を見つめて、隊長は不敵に笑った。


「お前がしたいって言うまで、このまんまだぞ」
「そ、そんな。なんですかそれっ」
「しっ…誰かくる」


隊長は少しだけ体を離し口元に人差し指を立てて静かにとジェスチャーをして、視線を廊下の端へと向けた。
誰かの足音と、話し声が聞こえる。そのときようやく私がここが廊下であることを思い出す。廊下なんだから、誰が来てもおかしくない。こんなところを見られたら、誤解されてしまう。私は慌てて離れようと隊長の体を押したが、隊長は相変わらずビクとも動かなかった。焦って見上げる私を余裕そうに見下ろして、そしてもう一度私を壁に押し付けてそのまま強引に唇を重ねられた。


「んっ、んん……!」


我慢しようとしたが絡まる舌に思わず声が漏れてしまい、私は隊長にぎゅっとしがみついた。こちらへ向かってきていた誰かは、私達がキスをしているのに気付き踵を返したようだった。人気が無くなっても、しばらく私は隊長に翻弄されていた。ようやく離れた唇からはどちらのか分からない唾液がつぅと銀色の糸を引いていて、私は更に赤面して顔を逸らした。


「この間と、逆だな。こんなところでキスしちまう奴らの気持ちが少しは分かる気がするよい」


くつくつと笑う隊長の肩を押してどうにか逃げ出そうとするが、やっぱり意味をなさず私はようやく諦めてため息を吐いた。
大人しくなった私に隊長は機嫌を良くしたようで、頬を優しく撫でられた。隊長の手の感覚が気持ち良くて、なすがまま触られていた。


「お前は本当に可愛いな」
「……可愛くないですって」
「好きな女がキス如きで真っ赤になって自分に縋ってんだ。可愛くねェはずがないだろ」


何言ってるんですかと返そうとして、ん、と留まった。今の発言、私の聞き間違いだろうか。ばっと顔を上げると、隊長は可笑しそうに笑いながら私を見下ろしていた。


「えっ、隊長、今……」
「好きな女、っつったんだ。お前のことだよい。早く気付け、馬鹿」


ぽかんとする私に、隊長は笑ってちゅっと口付けをした。不意打ち。私は反射的に口元を手で隠すように覆った。好きな女と、そう言った。つまり隊長は、私のことが好きということで。頭がパンクしそうである。そんな私に追い打ちをかけるように隊長は問いかける。


「お前がおれのことをどう思ってんのかもちゃんと聞く必要があるし、さっきのキスの続きもしたいんだが。おれの部屋に来るか、それともここで続けるか、どうしたい?」


なんとも意地の悪い質問だった。私は今、呼吸をすることで精一杯の状態だというのに。どうにか振り絞ってやっとこさ出てきた声で「………部屋に、行きます」と答えると、隊長は満足そうに笑って私の手を引いて歩き出した。

 



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