十時に待ち合わせ、ってやっぱり少し早すぎたかな。
心臓がそわそわと落ち着かない。見たい映画の時間に合わせて余裕を持った待ち合わせ時刻に設定したつもりだったけど、できるだけ長く一緒にいたいという気持ちがバレてしまうんじゃないかと今更ちょっとだけ後悔する。
私にとっては大事なデートだけど、気合が入りすぎていることがバレたら引かれてしまうのではないか。待ち合わせ時間が近付くにつれて、不安が少しずつ大きくなっていく。
私のことを意識してほしい。でも、この気持ちがバレてしまうのはまだ怖い。
ふわふわする心を落ち着かせたくて、待ち合わせ場所が書かれたメッセージを何度も確認する。無駄に腕時計をチラチラと見て、前髪も何度も何度もいじる。
リップ、はみ出ていないよね。鏡を見たばかりなのにまた不安になって、カバンからもう一度手鏡を取り出して確認する。…良かった、グロスも綺麗なままだ。
そうホッとした瞬間、目の前から彼の声が聞こえた。

「悪い、待たせちまったな」

パッと顔を上げる。そこには私服姿のマルコさんがいて、白いシャツが眩しくて思わず息をのんだ。
今までは仕事帰りのスーツ姿しか見たことがなかったから、初めて見る私服姿にときめきが止まらない。シンプルで質の良さそうなシャツにカジュアルなスラックス。モデルのようにスラっとした長身は、周囲の女性の視線を確実に集めていた。

「い、いえ!私も、来たばかりです」
「嘘つけ。そこで立ってんの、改札出たところからずっと見えてたぞ」

からかうような笑顔を向けられて、ますます私の心臓は苦しくなる。改札を出たところから、もう私のことを見つけてくれていたんだ…とついつい自分に都合よく解釈して嬉しくなってしまう。
ニヤけそうになる頬をぐっと抑えて私は平気な顔をして返事をする。

「でも、待ってたのはほんの数分ですよ」
「じゃあ次約束するときは、もっと早く着くようにするよい」

次、って。まだ会って数秒なのに、もう「次」のデートの予約ができるなんて。
出だしからあまりにも好調すぎて、もしかして夢なんじゃないかと疑いたくなる。ほっぺをこっそりつねってみたけれど、隠れながらだと力をこめられないので対して痛まず、結局夢か現実かなんてわからなくて私はふわふわした気持ちで少し前を歩くマルコさんについて行った。

初の休日デート。止まらないドキドキ。緊張している私を見て、マルコさんは余裕のある笑みを浮かべていた。



幼馴染であるエースの職場の先輩としてマルコさんと知り合ったのは、もう一か月以上前のこと。たまたま友達と飲んでいたお店で隣の席に先輩たちと飲みに来ていたエースがいて、その場の成り行きで一緒に飲むことになったのが最初の出会いだった。
落ち着いた雰囲気や、低い声、高い身長。見た目だけじゃなくてちょっとした気遣いなんかもスマートで、同世代との恋愛が上手くいかず干からびかけていた私にとって、大人の魅力にあふれるマルコさんは心をわしづかみにして、恋に落ちるのは本当にあっという間だった。
帰り際、気持ちが高ぶったせいか少し飲み過ぎてしまった私を心配して家までタクシーで送ってくれたマルコさん。タクシーを降りる直前に今世紀最大の勇気を振り絞って連絡先を聞いたら、あっさりと教えてもらえて、お礼を兼ねて二人でご飯に行くことになったのがつい三週間前。マルコさんの話は面白くて一緒にいると楽しくて、私はますます彼のことを好きになってしまった。

それから少しして、エースからこの間の飲んだメンバーで合コンしようと誘いがあり、私はマルコさんに会いたいという気持ちだけですぐに了承した。
合コンに来るということは、おそらく彼女はいないはず。恋人の有無はまだ聞けていなかった私にとっては渡りに船の会合でもあった。
当日、どうやらマルコさんではない別の先輩が私の友達を気に入って開催された会だということを、一次会の終わりごろにこっそりと聞かされた私は翌日の仕事の関係で、ひとり二次会には行かずに帰ろうとした。その日も、わざわざマルコさんは駅まで送ってくれた。

嬉しくて、ちょっとだけ期待をしてしまって、思い切って休日のデートを誘ってみると。これまたあっさりと了承されて、そして今日に至るのだ。



「見たい映画があるんです」なんてベタな誘い文句。マルコさんはどう思ったのだろう。
私から誘ったにもかかわらず、さっとチケットの支払いを済ませてしまうマルコさん。大人の男の人って、みんなこんなにスマートでかっこいいものなのか、それとも。
映画まで少し時間があるので、近くのお店を見てまわることにする。「どこか見たいお店ありますか?」と聞いても私の行きたいところへ行きたい、なんて言われてしまって、とりあえず目についた雑貨屋さんへと入る。
背が高いマルコさんの隣に並んで歩くと、私が見上げない限りは視線を合わせなくてすむのが唯一の救いだった。
隣にいるだけでこんなにドキドキしているのに、目まであってしまったら心臓が大変なことになってしまう。

緊張のせいでどうでもいい話をぺらぺらと喋り続ける私に対して、落ち着いた様子で聞いてくれるマルコさん。私は一緒にいれるだけで幸せけど、マルコさんは私なんかと一緒にいて退屈していないだろうか。私ばかりが楽しくて、楽しい分だけ不安になる。



映画の時間が近づいて自分たちの席へと向かう。映画館に来ること自体久々なのに、好きな人とだなんて本当に思い出せないくらい久しぶりで、想像以上に近い椅子の距離になんだか少しだけ手が汗ばんでしまう。
ひじがちょっぴり当たるこの距離感。私の下心が透けてしまうんじゃないかと、またも胸がドキドキと音を立て始める。ちらりと隣を見上げると、ちょうどマルコさんもこっちを見ていたみたいで、目がバッチリと合ってしまいドキンと心臓が大きく跳ねた。
慌てて顔を伏せて、「この映画、すごく楽しみだったんです」なんて早口で呟くと、マルコさんは「そうか」と笑いながら相槌を打ってくれた。

約二時間後。あたりが明るくなり、ぞろぞろと周りの人達が立ち始める。
正直、映画の内容はほとんど頭に入ってこなかった。楽しみにしていたのは本当だ。だけど、どうしても隣に意識が持っていかれてしまって、時々当たる腕が熱くて、マルコさんは今どんな気持ちなんだろうってそればっかりを考えてしまった映画の内容を覚えていられるほどの余裕は私にはなかった。
マルコさんは立ち上がりながら「確かに面白かったな」と話を振ってくれたけど、私は曖昧に笑って「本当ですね」と返すことしか出来なかった。

お茶でもしようかとカフェに入ろうとしたが生憎満席で、テイクアウトでコーヒーを買って少し歩くことにした。
相変わらず私が財布を出すよりも早くマルコさんは会計を済ましてしまう。「ここくらいは私が」とお金を渡そうとしたけど、首を振って「これくらいかっこつけさせてくれよい」と断られてしまう。
マルコさんの負担になってないか心配で、私は嬉しいけど複雑な気持ちでありがとうございますとお礼を言った。

カフェの近くの遊歩道を歩いていると、周りがカップルだらけで、ふと私達は周りからどんな関係性に見えるのだろうと気になって考えてしまう。恋人同士…に見えるのだろうか。かっこいいマルコさんと私なんかじゃ、そうは見えないかもしれない。
せいぜい会社の先輩後輩、とか。自分で考えて自分で落ち込んでしまい小さくため息を吐いたら、「どうかしたのか?」とマルコさんに覗き込まれるように聞かれて、ビクリと肩が揺れた。

「あっ、いえ、なんでもないです」
「ならいいが…」
「今日は付き合ってくれて、ありがとうございました。すごく楽しかったです」

ぎこちないながらもお礼を言うと、マルコさんは笑って「こちらこそ」と返してくれる。笑顔が、眩しい。好きという気持ちがとめどなく溢れていく。
立ち止まって近くのベンチに座ろうと促される。先に座った私の隣に思ったよりも近い距離でマルコさんが腰を下ろしたから、密着した体のせいで体温が一気に上昇する。

「…今日、本当に楽しんでくれたのか、おれは半信半疑だけどな」
「え?」
「全然こっちを見ない上に、映画も上の空だったみてェだし。期待していいのかダメなのか、若い女の考えることはわかんねェな」

突然振られた会話の意味が分からずにポカンとしてしまう。映画中、ぼーっとしてしまったこと、バレていたんだ。
頬が火照る。期待していいのか、って。それって、どう考えたって私にとって都合の良い言葉にしか聞こえない。
私は俯いたまま、膝の上で握った手のひらをじっと見つめていた。マルコさんの指が私の耳に触れる。

「耳、真っ赤だなァ」
「……っ!」
「あんまり可愛い反応されると、本気にしちまうよい」

至近距離で囁かれる言葉は、私の心臓をめちゃくちゃにする。
それはこっちの台詞だと言いたいけれど声は出なくて、マルコさんの方を見る勇気もなかった。映画館にいたときよりも体は近くて、私の腕はマルコさんにぴったりとくっついている。
このままだと、大きすぎる心音はきっとバレてしまうだろう。いやでも、バレてもいいのかな。とっちらかった思考では今自分が取るべき最善策など思いつくはずがない。
ぐるぐると沸騰しそうな脳みそを抱えていると、ふっと頭上でマルコさんが笑ったような気がした。耳を触っていた手がするすると降りてきて、顎に軽く指が引っかかる。
少しだけ力を込められて、それがこっちを向けと言っていることはすぐに分かったけれど、僅かな抵抗をしてしまうのは私のなけなしの乙女心だったのかもしれない。
攻防戦はあっという間に敗北を喫して、諦めた私がゆっくりと視線を上げると、マルコさんの顔が思ったよりも近くにあって思わず体を後ずさろうとした。しかし、すかさずベンチの背もたれに置かれていたマルコさんの腕が私の腰にまわって逃げられないようにがっしりとホールドされる。

「あ、あの、私」
「可愛いなァ」
「っ…」
「まぁ、最初に会った時からずっと可愛いって思ってたけどな」

可愛いの破壊力、底知れず。真っ赤になって再び下を向いてしまった私を気遣ってか、腰に回った手は戻してもらえて少しだけ心臓が余裕を取り戻す。
くすくすとずっと笑っているマルコさんは確信犯だ。私が彼の一挙一動にこうして翻弄される姿を楽しんでいる。

「…マルコさん、ずるい」
「好きな女をいじめたくなるのは、男の性分だから仕方ない」

もう、それは確定的なワードだ。沸騰した思考回路じゃなんて返したらいいかを考える余裕もない。

もう一度ゆっくりと顔を上げたら、マルコさんはとても優しい表情で私を見つめていた。思わず、息をのむ。

「なぁ、おれと、付き合ってもらえませんか?」

改まった口調でそう言うから、あぁやっぱりマルコさんはかっこいいなぁって負けたような気持ちになる。
私は大きく頷いて「私なんかで良ければ」と呟いた。
声が上手く出なくて、ちょっと上ずってしまう。それをまた、マルコさんは愛おしそうに笑ってくれた。



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