27


ふと目が覚めて起き上がると、外は真っ暗だった。月も雲に隠れていて、辺りはほとんど何も見えなかった。
もう一度目を閉じて寝ようとしたが、なかなか寝付けず、私はそっとベッドから抜け出して上着を羽織って明かりも持たずに扉を静かに開けて廊下へと出た。

だんだん目が闇に慣れてきて、周りのものが浮かび上がるように見えてきた。足元に気をつけながら廊下を進み階段を下る。外へ出る為の少々重い扉を開けて、私は空を見上げた。


「月、見えないな…」


月は相変わらず厚い雲に覆われていて、ぼんやりとした輪郭しか分からなかった。

夢を見ていた。白い灯りがあちこちに浮かんでいて、そしてその中で誰かに優しくキスをされる夢。柔らかい光に包まれて、私は切ない気持ちになる。その誰かの熱が唇から伝わってきて、それが言葉なんかじゃ表せないくらい私を幸せな気持ちにさせるのだ。
生まれてこの方、私は男の人とそういう関係になったことはないはずだ。キスだって、そう。だから、これはきっと夢なのだと思うのだけれど、やけにリアリティなのだ。相手の顔や声などは分からない。だけど、彼の体温が、吐息が、はっとさせるくらい鮮明に伝わってくる。
あそこは現実にある場所なのだろうか。彼は誰なのだろうか。私の疑問は、結局答えの出ないままモヤモヤと私の胸のわだかまりとなってくすぶっている。
そのせいで眠れなかったのかもしれない。私は歩きながらそんなことを考えた。

しばらくぼーっとしていると、視界の隅に夢で見たような小さな光が見えて目を疑った。目を凝らすとそれは小さな蛍で、自分が川の近くまで来ていたことを知り、そして周りを不規則にゆらゆらと飛び回っていた。


「蛍……」


頭の端で何かが引っかかった。こんな風景をすごく最近に見た気がするのだ。
必死に記憶の中を探っていると、後ろからガサゴソと物音が聞こえた。ヒヒかな?こんな時間に起きてるなんて珍しい。そう思って私は振り向いた。


「え……」
「こんなところで何をしている」


そこにいたのは、予想に反してミホークさんだった。
彼は少し怒ったような顔をしていた。私は言い訳するように、眠れなくて…と小声で答えた。


「…そんな顔をするな。怒っているわけではない。ただ、こんな夜中に明かりも持たずに出て行くから心配しただけだ」
「心配…。私のこと、を?」
「当たり前だろう」


ミホークさんはそう言って、私の頭を軽く撫でるように触った。ざわつく胸。この感情はなんだろう。湧き上がるこの想いは、一体何なのだろう。

なんだか気まずくなってしまって目を逸らすと、先程よりも蛍の数は増えて、まるで夜空の星のようにあたりに灯りが浮かんでいた。綺麗…、そしてまた、デジャヴ。ミホークさんも「蛍か…」とやや驚いたように同じ光景を見ていた。


「綺麗、ですね」
「そうだな。……あの日を、思い出す」
「あの日…?」
「…そうか、まだ…」


私の返事に、ミホークさんはまた少し傷付いたような顔をした。彼のそんな表情を見ると、胸の奥が鈍く痛む。そんな顔をさせたくないのに、だけど、自分が何故そんな事を思うのかは分からない。

思い出せない記憶がもどかしい。名前を付ける事の出来ない、この感情が煩わしい。

二人の距離は曖昧だった。二人して向かい合って立って、そして蛍を見て。無言だけど、それを苦痛だとは思わなかった。むしろ、夜が明けるまでずっとこうしていてもいいと思えるような、そんな気持ち。


「…私も、この風景を何処かで見た事がある気がするんです。いつだったか、誰といたのか、そういうことは分からないけど…。でも、もしかしたら、私が見たその景色とミホークさんの言う『あの日』は一緒なんじゃないかって、そんな気がしたんです。……気がした、だけですけど」


ゆっくりと、私はそう言葉を紡いだ。ミホークさんは少し目を見開いたようにして、そしてふっと小さく笑みを浮かべた。また、どき、と高鳴る胸。俺は、と口を開いたミホークさんから視線を逸らせなくなる。


「お前が、全部思い出すまで待とうと思っていた。時間はいくらでもあるから、焦る必要はないと思っていた。だが、そういうことではなかったのだな」
「……?」
「思い出せないのであれば、再び作ればいい。思い出は、これからまた幾らでも増える。新しい記憶に、おれを鮮明に残せばいい」


一歩近付いたミホークさん。私はその場に固まって動けないまま。そっと顎に手をかけて、軽く上を向かせられる。心臓の音が、信じられないくらいの大きさで鳴り響く。
彼は、また優しく微笑んで、囁いた。


「好きだ」
「………………!」
「一度も言った事がなかったがな…言葉にする必要などないと思っていたんだ。だが、それも違ったということか。言わなければ、伝わらない事の方が多いらしい」


言葉が、私の体温を上昇させる。そして、彼の顔が近付いて、気が付くと、唇は触れ合っていた。

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