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「なんでここに、マルコがいるんだよ」

遅かった。焦るほど体は微動だにできなくなり、結果的に扉を開けたエースは部屋の前に立つマルコと、そして彼に後ろから抱き着く私を見て、苦虫をかみ潰したような顔でそう絞り出すように呟いた。
数秒遅れでようやく動けるようになった私は慌ててマルコから腕を離したけれど、それが手遅れであることはもちろん分かっていた。

「エース、あの」
「……行くぞ」
「え、待って、あっマルコさん…」

エースはマルコを押しのけるようにしてうしろにいた私の腕を掴み、やや乱暴に廊下へと連れ出した。私は振り向いてマルコに助けを求めるような視線を投げたけれど、彼もまた苦しそうな顔をするだけで私を追いかける素振りはみせなかった。

「エースっ、お願い待って」
「イヤだ、絶対待たない」

意地を張るような彼の声に、私はため息を吐いて抵抗を諦めた。手首を掴む彼の手はきっとすごく手加減をしてくれているのだろうけれど、それでも痛いくらい強くて痣になるんじゃないかというくらいの力だった。
こんなに荒々しいエースは初めて見た。すれ違うクルーもエースの剣幕に驚き、そしてその後ろをしょぼんと付いて歩く私を見て不思議そうな表情を浮かべていた。

エースは自室に私を連れてくると、バタンと扉を閉じた。同時に離される手。
手首はまだ少しだけ、ジリジリと痛む。

「エース…」
「悪い、手、痛かったよな」

赤くなった手首を見てエースはそう言った。私は首を振ったけれど、あまり意味のある問答ではなかったように思えた。

昨日、部屋に鍵をかけたのは紛れもない私だ。私が、エースではなくマルコと一晩過ごすことを選んだのだ。
抱き合って眠ったということが、エースを傷つける事実であるということは理解している。私はエースの優しさに甘えて、それなのに彼を裏切ってしまった。
今朝あの部屋に二人でいたことをエースは知っているが、一晩中一緒にいたことまではきっとバレていないはずだ。しかし、もしも昨晩何をしていたかと聞かれたら、誰と一緒にいたのかと聞かれたら、私は本当のことを話すつもりでいた。

エースに嘘を吐きたくない。でもそれは果たしてエースへの思いやりなのか、それとも自分の本心に従いたいだけなのか、どっちの気持ちが本当なのかは自分でもよくわかっていなかった。
覚悟を決めた私だったが、エースの問いかけは予想から大きく外れていた。

「今日の夜、予定あるか?」
「え?」
「夕暮れには上陸できるって、さっき聞いたから。一緒に島へ降りようぜ」
「…予定は、ないけど」

予定なんかない。だけど、このままエースの誘いに乗って二人で過ごしても良いのだろうか。
昨晩、マルコと二人で過ごして私は自分の気持ちを再確認した。
エースとの関係を一度清算するべきなのではないだろうか。だけどそれをなんて伝えるべきか分からない。そもそも、エースは私が彼に気持ちがないことを承知の上で今の関係を持ち掛けたのだ。そして私もその時の辛い感情に蓋をするために彼の手を取ることを決めた。流されることを選んでしまった。

例えばマルコと気持ちが通じ合ったのであれば、私とエースの関係をリセットする正当な理由になるかもしれない。しかし現実は違う。ただ単に、蓋をしたはずの自分の気持ちが抑えきれなくて、無視できなくて、再度自覚したというだけで私を取り巻く環境に変化はなかった。
今の状況をお互い受け入れた上で取り決めたことを、私の一方的で身勝手な感情を覆して良いはずがない。分かっているからこそ、断るための言葉を口にすることができなかった。

煮え切らない返しを肯定したと捉えたらしいエースは、一人で会話を進めてしまう。

「じゃあ、降りれるってなったら迎えに来る」
「いや、でも」
「おれはしばらく外にいるから、シャワーとか使いたかったら使えよ。鍵もかけていいし」
「エース、お願い待って」

私の制止を待たずに話し続ける彼の腕を掴んで呼びかけると、ようやく口を閉じて私と視線を合わせてくれた。
泣きそうな顔をしているエースを見て、心臓がキリキリと締め付けるような痛みを覚える。

「ごめんエース。私、一緒には行けないよ」
「なんで?予定ないんだろ?」
「予定はないけど、でも」
「……マルコと、約束でもしたのか?」

首を振って「そんなのしてないよ」と答えたけれど、エースの表情は苦しそうなままだった。

「ヒナ」
「………わかった。準備、するね」

根負けする形で私は頷き、その瞬間に空気が少しだけ柔らかくなった気がした。
エースは彼らしくない笑みを浮かべて私の頭を撫でて、「またあとでな」と言って部屋を出て行った。
一人きりになった部屋で、大きなため息を吐く。私には辛い気持ちになる資格さえない気がして、複雑な感情を持て余しながらノロノロと風呂場へと向かって行った。



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