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「ヒナ」

足音は遠ざかり扉の向こうからは話し声も聞こえなくなった。
マルコがもう一度私の名前を呼ぶ。顔はあげられなかった。顔をあげたら、きっともう本当に戻れなくなってしまうと思ったから。

「マルコさん、私…」
「ヒナ」

声と共に頬に添えられた指先に力が入る。半ば強制的に上を向かされた私の瞳に彼のまなざしがまっすぐ突き刺さった。まるで雷に打たれたかのように動けなくなってしまう。私の胸の中では激しい想いがあふれだして津波のように全身を駆け巡った。
ぽろっと決壊した感情が涙になって零れ落ちる。一粒、また一粒ととめどなく流れる雫が頬を伝ってマルコの指先を濡らしていった。

「泣くなよい」
「勝手に、涙が」
「…どうしようもねぇな」

逞しい腕が私を引き寄せる。ぎゅう、と強く抱きしめられると益々涙が溢れ出した。
好き、どうしようもないくらい好きだ。温かい腕の中で私は子供のようにしゃくりあげて泣いた。マルコはただ黙って私の頭を優しく撫で、私が泣き止むのをゆっくりと待ってくれた。
こうして抱きしめられるのは一体いつぶりだろうか。随分と久しぶりのように思えたけれど、マルコの腕の中は相変わらず心地良く私をひどく安心させた。胸に耳を寄せると優しい鼓動が聞こえてきて、途端に生まれた切ない気持ちが心の奥をくすぐった。

「マルコさん」
「あぁ」
「今日は、一緒に寝てくれますか」

少し落ち着いてきた私がそう呟くと、マルコはやや驚いたように身を少しだけ揺らした。自分でも、なんて大胆な発言をしているのだろうとビックリしている。彼の体温に包まれて思ったことが、素直に口からこぼれてしまったのだ。

「…エースは、いいのか?」

エースの名前が出て、私の心臓はぎゅっと締め付けられた。
頭の片隅で朧気に残っていた理性が警報を鳴らす。優しくて誠実なエースの存在が私の心を竦ませた。しかし、身を捩ろうと僅かに体を揺らした時、マルコの腕は今までより一番強く私の体を締め付けた。

「失言だったな」

耳元で低い声が囁く。

「エースには悪ィが、離せそうにねェよい」

熱い吐息が首筋にかかり、私はゴクリと唾を飲みこんだ。マルコの声だけが、私の思考回路を占領していた。



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