30


誰かが私の上に覆いかぶさっていた。今朝、エースの部屋から戻ってきた後、私は体調がすぐれなくてまたベッドで眠ってしまったことを思い出した。あぁ、起きないと。だけど、瞼が重すぎて上手く目を開けられない。ぼんやりとした視界が一瞬真っ暗になる。その瞬間、唇に降ってきた柔らかい感触。ふと、自分の瞳から涙が零れ落ちた気がした。誰が、一体だれが私にキスを………。


「ヒナ!」
「う…ん……。エース…?」
「うなされてたぞ。まだ体調悪いのか?」


目を覚ますと、エースの心配そうな顔が私を覗き込んでいた。起きる寸前まで夢を見ていた気がしたが、思い出せなかった。
体を起こすと時計が目に入った。もう夕方になっており、私は半日近く寝ていたことを知る。自分の体調不良が精神的な理由によるものだと分かっていたから、ずる休みをしているような気持になっていたたまれなかった。エースは「無理するなよ」と言ってくれたが立ち上がって今からでも着替えようとしたとき、バンッと大きな音とともに扉が開いた。


「マルコ」
「…エース、来てたのか」


空気がピリつく。部屋に戻ってきたマルコの顔を見ることは出来なかった。昨晩のあの廊下の影で重なり合っていた二人を思い出すと、やっぱり胸が苦しくなる。泣きそうになった私に気が付いたエースが、「大丈夫か?」と声をかけた。


「うん、平気…」
「具合悪ィのか?」


私の返答に反応したのはマルコだった。彼は私に近付いて、心配そうに腕を伸ばして私の頬に触ろうとした。触れてほしくない。あの女の人を撫でた手で、私に触ってほしくない……。ぎゅっと目を瞑ったが、しかしその手は私に辿り着く前にエースの手によって振り払われた。パシッと乾いた音が部屋に響く。


「ヒナに、触んなよ」
「…何すんだよい」


より一層空気が重くなった。エースはどうやらマルコに対して怒っているようだったが、一体何が沸点だったのか分からず私はぽかんと彼らを見つめていた。マルコもまた、突然手を払われたことで気分を悪くしたのか、エースを睨みつけるような鋭い目で見ていた。
マルコが発する空気が重くて、苦しくて、私は立っていることすら耐えられなくなりエースへ寄りかかるようにして倒れこんだ。


「っ、おい、ヒナ!」
「ごめ…ん…。なんか、足がもつれて……」
「……マルコ、お前いい加減にしろよ」


私を支えながら、エースはマルコに対し静かにそう言った。いつも明るくて優しいエースの震えるような低い声に、私はびっくりして彼を見上げた。彼もまた、マルコをこれでもかというくらい睨んでいる。私の肩を抱く力が強くなり、ぎゅっと指先が肌に食い込んだ。


「ヒナは、おれがもらう」
「え?」


エースの言葉に、私はどういう意味かと首を傾げた。彼は相変わらずマルコを睨んでいた。接した肌から、エースの鼓動が伝わってくる。


「ヒナが、好きだ」


ドキッと心臓が跳ねた。エースが、私のことを好き……。その好きという言葉が持つ意味について、それが友人としての好意じゃないことは、空気からして分かった。エースはマルコに向かってそう言ったけど、すぐに私の方を向き直った。彼の頬は赤く染まっており、ますますその言葉が本気で、本当に私のことを想ってくれていることを物語っていた。


「好きだ、ヒナ」
「エ、エース…」
「マルコ、お前はどうなんだよ。お前は、ヒナのこと本当はどう思ってるんだ」


私を見て「好きだ」と改めて言ったあと、エースは再びマルコに向き直りそう問いかけた。彼が私のことをどう思っているのか……。イヤだ、聞きたくない。私はエースの腕を掴んで「やめてよ!」と声をかけたが、二人とも私の言葉など聞いていなかった。マルコが私から目を逸らす。彼が私のことをどう思っているかなんて、分かり切っている。だけど、それを実際に本人の口から聞く覚悟なんて、今の私にはない。


「おれは……」
「やめてってば!嫌なの、聞きたくないっ…!」


耳を押さえてその場に蹲ると、さすがに二人は私の声に気付いたようだった。エースは私を抱きしめるように「ごめん…」と耳元で謝ってくれた。私は肩で息をしながらエースに支えられながら立ち上がる。これ以上この場にいたくなくて急いで部屋を出ようとしたが、マルコとすれ違う瞬間に彼に腕を掴まれた。エースが「おいっ」と声をかけたが、マルコは私の腕を離さなかった。掴まれている手首が燃えるように熱い。彼の顔をゆっくりと見上げると、今まで見たことがないほど辛そうな、切なそうな顔をしていた。その表情の意味が分からなくて戸惑ってしまう。


「マルコさん、私……」
「ヒナ!」


エースが大きな声で私の名前を呼ぶ。体を引っ張られ、その拍子にマルコの手も離れてしまう。エースが後ろから抱きしめるように私の体へと腕を回した。


「お前には、ヒナは渡さない。ヒナは、おれのだ」
「エ、エース…」
「……勝手にしろ。おれは、関係ない」


マルコは私達に背を向けて冷たくそう言った。エースはその言葉を最後まで聞く前に、私の手を引っ張って歩き出していた。閉められた扉。関係ない……、それがマルコの答えなのだ。俯いたら、自然と涙がこぼれ落ちた。前を歩くエースは、まだ私が泣いていることには気付いていないようだった。
エースの気持ち。マルコの言葉。私の想い。全部、どうでもいいと思えた。腕を引かれて歩くことすら煩わしい気持ちだったが、抵抗する気も起きなかった。





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