短編 | ナノ



 床を擦る長いカーテンを開けると雪国であった。

「うわぁ……」

 某文学作品の冒頭よろしくそんなことを思ってみたものの(語呂が悪いとか言っちゃいけない)、こちとら雪の吹きすさぶ北の大地から三門市に来た身。
 三門でこんなに積もるほど降るのは珍しいとは思いはするものの、雪なんてものはもはやテンションを上げてくれるものではなくて、今すぐとび起きて雪かきをしなければならないくらい積もっているのか・電車やバスは遅延していないか・雪の上をすべらず歩くことのできるゴム底の靴はシューズボックスに入っていただろうか、なんてかわいげのかけらもない思考ばかりが頭を巡る。
 久々に見た一面白色に埋もれた世界だったというのに、口からこぼれたのが美しさへの感嘆の「うわぁ……(綺麗!)」ではなく、「うわぁ……(無理。)」である自分が何とも残念でならない。
 だって私はよく知っているのだ、例えばこれから車の排気ガスで茶黒く染まり美しいなんて思えなくなるあの泥のようなかたまりだとか、そしてとけた雪の水分でぐっちゃぐちゃになったあの地面を歩く不快な感触だとかを。
 白くくもったガラス窓に額をくっつけて窓の外の様子を伺う。向かいの駐車場に停まっている車のタイヤの埋もれ具合から見るに、積もったのはせいぜい5センチといったところだろうか。
 欠伸混じりにテレビをつけると、ちょうど寒そうにマフラーを巻いてもこもこのダウンを羽織ったお天気おねえさんが喋っているところで、「今日は日中暖かくなり、積もった雪も昼頃にはとけてなくなるでしょう」とのことだった。ありがたい。そういえば、雪かきしようにもスコップがないんだった。

「あ、おはよう水上」
「……おー」

 身支度を終えて寮を出ると、同じく寮暮らしの水上とちょうどエントランスで鉢合わせたので、一緒に学校へ向かうことになった。
 ちらと隣を歩く水上を横目で見る。どうしてこの年頃の男子という生き物は、寒い寒いという割に頑なにコートを着ようとしないのか。
 例に漏れず水上も学ランにマフラーという軽装で、手袋も持っていないのかポケットに手を突っ込んで暖を取ろうとしてはいるものの、まだ外を出たばかりだというのにすっかり鼻の先を赤くしている。まぁそれはよく知らないけれど格好をつけたい?お年頃の個人の自由なのでいいとして。

「あのさぁ、」
「何や」
「なんか今日歩くの遅くない?」

 隣を歩いていたはずの水上が、いつの間にか数歩離れた後ろにいる。いつも背を丸めているせいかあまり目立つことはないが、水上は割と身長が高い方だし、腹立たしいことに足が長いため、一緒に歩くときは私がいつもなんとなく早足になることが多い。

「もしかして怪我してるとか?」
「や、しとらんけど」

 返ってきたのは歯切れの悪い返事と、覚束ない足取り。どうしたのかと首を傾げて水上が追いつくのを待っていると、ズシャッという音とともに急に水上が視界から消えた。
 なんと、尻餅をついた水上敏志がこちらを見上げている。

「……なにしてんの? 大丈夫?」
「…………すべった」
「いつもスベってんでしょ」
「おいコラ、誰が面白くない方の関西人や」
「言ってない、そこまで言ってない」

 手を差し出すと、バツの悪そうな顔で私の手を掴んで起き上がる。その様子を見て、ようやく水上が雪道を歩き慣れていないせいで歩くのが遅かったのだと理解した。

「へー。ほんとに雪降らない地域の人って雪道歩けないんだねー、ウケる。都市伝説だと思ってた」
「……全然ウケへんわ」
「いやぁーウケるって。なんなら転ばないようにこのまま学校まで手繋いでてあげよっか?」
「頼むわ」
「ん?」

 もう大丈夫だろうと手を離そうとした途端、きゅっと力を入れられ絡め取られた指先。

「手。繋いでてくれるんやろ」
「え。いや、あの、冗談……」
「繋いでてくれるんやろ?」
「苗字了解」

 圧がすごい。笑顔なのに圧が重い。ていうか水上が笑顔っていうのがもう怖い。思わずイエスとしか言えず、手を握ったまま歩き出す。手袋越しでも伝わってくるほどに冷えた水上の手は、自分の手よりもずっと大きくて、指は細く長いのに少し節くれだっていて、いやでも男女の差を感じてしまう。

「なぁ、」
「……なに」
「なんや自分急に静かやない?」
「いつもおしとやかですけど」
「おしとやかの意味、多分間違えて覚えてんで。辞書引いてみ」

 失礼な、と文句を言おうと水上の方に顔を向けようとするよりも先に、水上が私の顔を覗き込んでくる方が早かった。ニヤニヤと意地の悪い笑みを顔に貼り付けている。

「もしかして緊張しとるとか?」
「してませんけど!?」

 水上に合わせていた歩調を急に速める。ずるり、と水上が足を少し滑らせたのを感じたが、構わずそのまま歩き続けた。

「ちょっ、すまん、俺が悪かったから、歩くん早いすべるすべるすべる……!」
「ころべ! ころんでしまえ!」
「苗字も道連れやからな!」 

 水上にしては語彙力の足りない、ぎゃーぎゃーと醜く頭の悪そうな言い争いをしながら学校へと向かっていると、私たちの話し声に気付いたのか前方を歩いていた見覚えのある背中が振り返った。へらっと、いつもの人好きのする笑み。

「あ、隠岐くん。おはよう」
「水上先輩に苗字先輩ですやん。おはようございますー」
「……はよ」

 キャメル色のダッフルコートにマフラー。水上と違って防寒ばっちりな隠岐くんは、手袋をはめすっぽりと耳を覆うニット帽までかぶっていて、よっぽど寒いのが苦手らしい。

「あれ。もしかしてようやく付き合うことになったんですか? 水上先輩と苗字先輩」
「え?」
「手。仲良しさんでええですねぇ」
「ええやろ」

 隠岐くんはにこにこと笑みを浮かべて、顔の横でグッパッと手を握ったり開いたりする動作をする。一体なんのことかと隠岐くんの視線を辿ると、しっかりと水上と繋いだままの手が目に入って、あわててパッと手を離した。

「付き合ってません!」
「なんや、そうなんですか?」
「残念ながらそうらしいわ」
「いやほんとこれはなんというか人助けというか脅しに屈したというか……あーっと、私今日日直だったの思い出したから先に行くねじゃあね水上!」
「朝から賑やかやなぁ〜」

 雪の積もるアスファルトと校門を難なく駆け抜けて、玄関へとたどり着く。下駄箱を開けて少し上がった息でがたがたとまごつきながら上靴を取り出していると、不意に先ほどの隠岐くんの発言がふっと脳裏をよぎった。「ようやく付き合うことになったんですか?」……ようやく。ようやく?

「ようやくってなに……!?」

 頭を抱えてしゃがみ込む。そういえばきれいにスルーしてしまったけれど、水上も水上で隠岐くんの付き合っているのかという質問に「残念ながら」とか返答をしていなかっただろうか。それって、もしかして、もしかしなくても。

「そうやな。まだやもんな、まだ」
「水上!? なんでいんの!? ていうかまだって、」
「なんでもなにも、席、隣なんやから俺も日直やろ。ひとりで職員室行かせたら俺がサボったみたいやん」
「走ってきたの? ころばなかった?」
「おかげさまで」

 トゲのある言い方。冗談のつもりだったのだが、どうやら本当にころんだらしい。スラックスの側面は濡れているし雪がついているしで、隠岐くんがいたとはいえ水上を置いてきてしまったことになんだか少し申し訳ない気持ちになった。
 そんな私の気持ちをなんとなく察したのか、水上は少し目を細めながら「悪いと思っとるんやったら、」と切り出した。

「今日、そっちも防衛任務休みやったよな。一緒に帰ってくれへん?」
「ころぶから?」
「あー、そうや」
「……なに。珍しく素直じゃん」
「いつもやろ」

 じゃあそういうことで、って一体どういうことなんですか、ねえ。後ろ手にひらひらと手を振りながら、私を置いてすたこらさっさと職員室へと歩き出す水上の背中を、ぼんやりと見送る。
 朝のニュースのお天気おねえさんの「今日は日中暖かくなり、積もった雪も昼頃にはとけてなくなってしまうでしょう」という言葉を思い出したけれど、わざわざそれを水上に伝えようとは思わなかった。

「何ぼーっとしてんねん。早う行くで」
「あ、うん。今行く」

 お天気おねえさんには悪いけれど、今日だけは予報が外れて、夕方まで少しでも雪が残っていたらいい。

(20221231)
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