短編 | ナノ



「名前ちゃんは、ほんま可哀想やなぁ。術式もない、真希ちゃん真依ちゃんみたいに顔が綺麗なわけでもない、おまけに乳もない」
「……そうですねぇ」


いつも。いつも、この人はこうだ。

男尊女卑という言葉をそのまま人間の形に作ったような、そんなお人。

禪院直哉。当代禪院家の末の息子という立場でありながら、その術式と実力から複数いる兄たちを差し置き、次期当主になるであろうと幼い頃から言われていた男。

対して私といえば、直哉さまの言うとおり、かろうじて僅かに呪力はあるものの、術式も持っていない何の取り柄もない禪院家の端くれの女。


「頭がええわけでも、運動神経がええわけでもないし、ほんっまええとこ無いなぁ。そら嫁に行き遅れるわ。名前ちゃんに唯一できることって言うたら──」
「直哉さま、」


聞いていられなくて、思わず彼の言葉を遮った。ああもう本当に嫌だと、耳を塞ぎたい気分だった。

そんなにクソミソに言われなくたって、自分がいかに駄目な人間かなんてことは十分心得ているのに、いつまでもいつまでもこの人は私の心を刺すだけでは飽き足らず、悪戯にぐりぐりと傷口をほじくっては抉り続ける。

米を口に運んでいた直哉さまの目は、私の表情を見た途端、にんまりと三日月みたいに意地悪く釣り上がった。


「ん?なに?……あ、もしかして気に触った?ごめんなぁ、正直に言い過ぎたわ」


人を虐げることに慣れきったその顔を正視することができず、目を伏せる。

私には、甚爾さまのようにここを出ていく勇気はない。真希さんのように反抗する勇気もない。

だけれど、何もできないわけでもない。

そう。唯一、私にできること───


「直哉さま、南蛮漬け、おかわりありますよ」
「…………いる」
「茄子の泥亀煮は?」
「……それも、いる」
「白菜を柚子と漬けたんもありますけど」
「食べる」


───それは、この人の胃袋を掴み続けること。

無愛想に差し出された皿には、食べかすひとつ残されていない。しげしげとその皿を見て、いつもながら本当に綺麗に食べる方だと感心した。


「……何や」
「いえ。ええ食べっぷりやなぁと。学生時代と食べる量変わってへんのとちゃいます?」
「そんなことないわ。あの頃の名前ちゃんのメシ、イマイチやったもん」
「……はぁ。そうでしたかね」


結構ばくばく食べてはったと思うんやけどな、と首を傾げたが、まあいいかと温め直した料理を皿に盛り付ける。

直哉さまにおかわりを出したところで、ピーっと甲高い音でやかんが沸騰を告げ、慌ててコンロに駆け寄り火を止めた。急須に茶葉を入れ、お湯を湯呑みに注ぎながら、そっと直哉さまを盗み見る。

直哉さまは、「美味い」と決して言わない。私が下女として料理を作り始めてから十数年経つが、「不味い」「ゴミや」「犬の餌にしたり」と文句は散々言っても、一度もお褒めの言葉を頂いたことは無い。

無い代わりに、無言でこうしてせっせと私の作ったご飯を頬張り続けるのだ。子どものように、ハムスターのように、口をいっぱいにして。


(……ほんま、喋らんとずぅっとお口もぐもぐさせてたらかわええのに)


直哉さまの、食事をしている姿がすきだ。

しゃんと伸びた背筋、正しい箸の持ち方。きちんと守られた食事の作法のなかで、きれいに皿をあけていく様子にはいつも惚れ惚れとしてしまう。


「何をジロジロと見てんねん」
「え? あ………申し訳ありません」


すっと目を逸らし、視線を手元に戻す。湯呑みに入れたお湯を急須に注いだ。高価であろう茶葉の香りがふわりと広がる。


「何や、もしかして俺に見惚れてたん?」
「……ええと、」


頬杖をつき食事の手を止めた直哉さまは、底意地の悪い笑みを浮かべる。

からかわれている。

からかわれているのはわかるが、どう答えるのが正解なのか。答えあぐねていた私に、助け舟が差し出された。ガラリと、台所の引き戸が開けられる。


「名前、明日の見合いのことなんやけど──って、直哉様!?またこないなとこでお食事されて!」
「ええやろ、別に。ここで食うとおかわりが早う出てくんねん」
「あきまへん。直毘人様がこんなん見たらなんて言われるか、」


直哉さまが言葉を遮るように、母の名前を呼んだ。

その無駄に綺麗なお顔に悪戯っ子のような甘えた笑みを乗せ、片目を瞑り、人差し指を唇に当てる。


「せやから、内緒にしてな?」
「もう!直哉様ったら!」


いくつになっても、女は、女らしい。

母が頬にうっすら紅を差して、パタパタと駆け去っていくのを見送る。娘としてはあまり母親のそういうところは見たくなかったものだ、と小さく嘆息する。

視線を直哉さまに戻したとき、彼の顔からはさっきまでの人懐こい笑みはすっかり消えていた。いつもの、不機嫌そうな直哉さま。


「で、名前ちゃん、見合いするん?」
「ええ。私ももういい歳なんで」
「相手は?」
「加茂家の分家の人やと聞いてます」
「ふーん。ほなもう相手に断られん限り結婚決まったようなもんか。貰い手、見つかってよかったなぁ。おめでとうさん」
「ありがとうございます」


そろそろ茶葉が開いた頃だろう。急須をそっと廻して、直哉さまの分と自分の分の湯呑みにそれを傾ける。直哉さまは濃いめがお好きだから、淹れ始めの薄い分は自分の湯呑みへ。

コポコポと、お茶が注がれる音だけが静かな厨房に響く。


「……あれ?ほな、俺のメシは?」
「え?」
「名前ちゃんいなくなったら、誰が作るん?俺のメシ」
「誰って、」


女中の誰かやないですか。私が加茂からここに通うことなんてできませんし。

そう告げると、ガタン!と大きな音を立てて直哉さまが立ち上がった。


「あかん」
「え?」
「あかん。絶対あかん。そんな見合い中止や、中止!」
「んな無茶な、」
「名前ちゃん知っとるやろ?俺は名前ちゃんのメシやないと食えんねん。俺を餓死させる気かいな」
「直哉さまったら、そんな大袈裟な」
「大袈裟やないわアホ」


そう。あながち大袈裟でもない。

好き嫌いの多い偏食家のこの人には、本家の奥方様たちも、女中の誰もが手を焼いたものだった。

「不味い」「薄い」「塩辛い」「甘すぎ」「お前の味覚どうなってんねん」。散々こき下ろされながらようやく彼の好みに合ったものをすんなり作れるようになったのは、確かに私だけだった。だからこそ、彼の言い分も分からない訳では無い。

見合いをすると他の女中に知らせたときも、嫌な顔をされたのは確かだ。が、


「そんなん言われても、私も一応禪院の女の端くれですもの。結婚して術式のある子どもこさえるんが仕事です」


これもまた、禪院の女として生まれた女に与えられた義務だ。

呪力もまともに扱えず、術式を持たない女からこの家に望まれる子供を産むことが出来るのかは別として。

直哉さまは、眉間に皺を寄せ腕を組んで、苛立たしげにうろうろと狭い台所内を歩き回る。どうにかして私を留めようと考えているらしい。

少し冷ました茶を差し出すと、上の空な様子で手に取りずずっと飲み干した。それから、渋々といった様子で口を開く。


「結婚すんで」
「はい?」
「俺と、名前ちゃんが結婚する」
「はい!?」
「で、明日の見合いはなし。それしかないやろ。文句ないな?」
「……」


文句しかない。

とは言えそうにない雰囲気だった。禪院家、次期当主予定の男の妻に、自分が?……いやいや、務まるはずがない。


「ないな?」


圧がすごい。目で「断ってみろ、殺す」と言われているようだった。こくりと、小さく頷くしかなかった。


「……はい」
「よし。……ほなこのおからの炊いたん、おかわり」
「え?」


ずいっと、目の前に差し出された小鉢。

ぽかんと餌を待つ池の魚のように間抜けに口を開け、いつまで経っても受け取らない私に焦れるように、直哉さまは「ん、」と小鉢を私の身体に押し付ける。

不意に、笑いが込み上げてきた。なんて、かわいいひとなのだろうか。


「あははっ」
「何笑うとんねん」
「直哉さま、かいらしいなぁって」
「……5秒以内におかわり持って来んとぶっ飛ばすで名前ちゃん」


そうは言われても、笑いは止まらない。直哉さまは、呆れたように私を見ている。軽はずみに嫁にする、などと言って後悔しているかもしれない。

ひとしきり声を上げて笑ったあと、目尻に溜まった涙を指ですくいながら、ぽつりと呟く。


「はーぁ……直哉さまは、ほんまにお可哀想ですね。呪力もあって、顔も身体も良うて、頭もええし運動もできるのに──私みたいな何の取り柄もない飯炊き女に捕まってもうて」


今度は、直哉さまがぽかんと口を開ける番だった。

少しの時間をかけて私の言葉を噛み砕いた後、眉をひそめながら「名前ちゃんが俺をどう思っとるのかは知らんけど、」と言葉を続ける。


「まぁ、俺は別に何でもええわ。名前ちゃんの美味いメシ、一生食えるんやったら」
「え?」


聞き間違いだろうか。耳が、随分と自分に都合のいい言葉を拾った気がする。いや、もういっそ聞き間違いでもいいとすら思ってしまう。


「何やねん」
「直哉さま、今、美味いって……?」
「は?それが何や」
「だって、今まで一度も、」
「下女が美味いもん作るんは当たり前や、いちいち言うわけないやろ」
「……あ、はい」


感動したのも束の間、波が引くように薄れていく。

あからさまにテンションが落ちた私を見て、直哉さまは「ああもう!」とガシガシ頭を掻いた。


「そんな喜ぶんやったら、これからはなるべく言うたるわ。夫が妻に言うんは悪くないやろ」
「直哉さま……!」
「……おい、もうとっくに5秒経ったで」
「わっ、ちょっと待って下さい!」


単純だ。本当に単純で、滑稽きわまりない。

こんな小さなことで愛しいと感じてしまうのも、この人とならなんとかやっていけるかな、なんて楽観的に思ってしまうことも。

本当に、単純だ。


砂糖漬けの毒舌


(20210705)
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