俺たちは、いつだってはんぶんこだった。
おやつにしても飯にしてもなんにしても、少しでも量が違うと思えば「お前の方が多い!」「お前のやつの方が大きい!」と喧嘩を始める。
その度に「喧嘩するんやったらおやつ抜きやで!」と腰に手を当て声を荒げる母はさぞ苦労しただろう。いつだって、両親は俺たちに同じものを平等に与えてくれた。
だから、どうしても半分にできないものとひとつしかないものは喧嘩して勝った方が得る、が俺たちのなかでのルールだった。
ただひとつ、どれだけ俺とサムが喧嘩をしても得られないもの。
「あつむーおさむーおままごとしよー」
「ほなおれがだんなさんやる」
「いやや!おれがやるんや、おさむはあっちいけ!」
「あーもう、侑くんも治くんもすぐ喧嘩する……あ、こら、殴るのはあかんてば!」
幼稚園の頃。
おままごとをしようという名前の旦那さん役をどっちがやるかで揉めた。
先生に首根っこを掴まれ無理矢理離されながらもなお、両手を振り回し相手を倒そうとする俺たちをどうしようという表情で見比べた名前は、はっとなにかを思いついたような顔をすると、するりと先生の足に抱きついた。
「ほな、せんせーがだんなさんやって」
「え!?」
「なんで!?」
「せんせーやったらかじいくじできるし、けいざいりょくもあるやん」
「……名前ちゃん、難しい言葉知っとるなぁ……」
巻き添えで俺たちにぼかすか殴られたところをさすりながら、かわいげのない幼稚園児3人に先生は遠い目をしていた。
どっちかを選んでもらえると思っていた俺とサムは予想外の共通の敵である先生を睨みながら、名前に詰め寄る。
「じゃあ、おれとおさむはなんやねん!」
「んー。……ぺっと?」
…………。
「なんっでやねん!せめてかぞくにしてや!」
「かぞくやで、うちのみーこはかぞくやもん」
「せめておにいちゃんやろ!」
「ねこはみーこがおるし、わんちゃんがええなぁ、わんちゃん。ね?」
小首を傾げ、のんびりとした笑顔で名前には、いつだって敵わなかった。
「「…………わん!」」
名前はいつだって俺たちを選ぶくせに、俺たちを選ばない。
それは、今でも変わらない。
「なあ、俺と付き合えばええやん」
「何べんも言うてるやろ。やめとこ」
「ほな気にくわんけどサムと付き合えば?気にくわんけど」
「二回言うほどお気に召さんようやし、やめとく」
「お前俺のこと好きやんか」
「うん、すきよ」
本から顔をあげて、真剣な顔をして即答するものだから、今度こそはいけるんじゃないかと期待してしまう。
その目に潜む、俺をすきだと言わんばかりにじりじりと焦げ付くような熱のこもった視線に、いつも期待してしまうのだ。
「でもおんなじだけ、治のこともすき。……ふたりとも、すき」
だけれど、いつもそうして続く言葉にいつも溜め息をつく。
苦笑いをして再び本に視線を戻す名前を、その返答に不満ですというのをありあり書いた膨れっ面を浮かべて、机に頬杖をつきながらぼんやり眺める。
夕陽の差す教室。開け放たれた窓から、グラウンドで活動する運動部の掛け声が聞こえた。日直で先生に日誌を提出しに行ったサムは、まだ戻ってこない。
「ほな3人で付き合えばええやん」
「ええ……また無茶なことを……」
「なんや知らんのか、世の中には3Pっちゅう言葉があるんやで」
「サイテー」
「ええやん、ナイスアイデアや、俺。そうしよ」
ぐっと身を乗り出して、名前の手から本をかっさらう。近づいた名前の髪からは、甘すぎないやわらかなシャンプーの匂いがした。
「お付き合いの間はそれでええけど、子供ができたらどないすんの」
「え」
小首を傾げながら聞かれた言葉に、ぽかんと口が開く。こども。全く考えてもいなかったその言葉に、何も返すことができなかった。
「さすがに曖昧にするわけにいかんやろ、そうなったら」
「え、と……そこまで考える?俺らまだ高校生やでー……?」
「は?高校生やろうとセックスすれば子供はできるんやで。そういうことも考えんと無責任にセックスしようとか言うてるん、侑」
「……すんません」
「どっちかに父親になってもらわないけんし、どっちかに結婚してもらわなあかん……いやまぁ無理に籍入れんくてもええけど、認知だけしてもらえれば」
いや、考えすぎやろ。
そう言いたかったが、口をつぐんだ。それを口に出してしまえば反論かつ正論がマシンガンのように降り注いでくるのは間違いなかったし、名前の「お付き合いの間はそれでええけど」という言葉だけで十分だと思った。
三人で付き合う、ということを考えなかったわけではなかったらしい。それも、そういうことを三人ですることまで想像した。どんな顔して考えてたんやろ、とつい口元がゆるむ。
「っちゅーか、どっちが先に挿れるか、とかでまたどうせ喧嘩するやん、侑も治も」
「……はい?」
「裸の私をまたいでおきながら、放っぽって言い争ってんのが眼に浮かぶようや」
「まっ……待って待って待って!ちょっとついていけん!」
けろりとした表情で淡々と言う名前に、こっちが恥ずかしくなって思わず両手で顔を覆う。
「自分から話振ってきたくせに何顔赤くしてんねん」
「そうやけど!なんか生々しい!しかも的を射てる!」
「なんや知らんの?女の子の猥談の方が生々しいもんなんやで」
「名前そういう話興味なさそうやん!」
「そんなわけないやろ、お年頃やもん」
侑の手から本をするりと抜き出した名前は、悪戯っこのように笑った。
***
「ってことがあったねん」
……いや、どんな会話してんねん、俺がおらん間に。
帰宅してすぐカバンを部屋に置いたかと思えば、どすどすと廊下を歩く音が聞こえてノックもなしにドアを開けられて。ツムが話がある!なんて鼻息荒くして言うから聞いてみれば。
「まぁ……たしかにそれは喧嘩するわ。俺ツムの後に挿れたないもん」
「いやそこ?突っ込むんそこ?」
「俺先に名前に突っ込みたい」
「ふざけんな俺が先や!」
ツムが俺の胸ぐらを掴んで、俺もツムの胸ぐらを掴み返したとき、ツムがふと我に返ったようにハッとした顔をした。ツムの考えたことが言われなくてもわかった自分は、苦虫を噛んだような表情をしていることだろう。
「……こういうとこ、なんやろうな」
「…………まあ、たぶん」
互いにゆっくりと手を離して、隣に並んで床にあぐらをかいた。ベッドに無造作に置かれたバボちゃんのぬいぐるいみをツムは膝に乗せ、その棒切れのような手をいじくり回している。
「名前があそこまで考えとったなんて意外やった」
「女の方が現実的って言うもんな」
「っちゅーか薄々思っとったけど、なんか名前って北さんっぽいとこあるよな」
「ああ、淡々と正論パンチ次々と繰り出してくるとことかな」
「絶対あのふたりタッグ組ませたらあかんな」
「おう」
そう。名前はいつだって現実的だった。ずっと、昔から。
「北さんと付き合うことになった」
ほんのちょっと頬を紅くした名前にそう告げられたとき、ああやっぱりな、と思った。
名前はいつだって、俺たちが喧嘩もできない、ぐうの音も出ないような選択肢を取る。……あの頃、幼稚園の先生をままごとの旦那さんに選んだように。
「おめでとう、よかったな」
「うん。……侑にはまだ言うてへんから、言わんでね。自分で言う」
「わかった」
「うん、ありがとう」
そう言った名前は少し俯きながら、枝みたいに細い指でゆっくりと髪を耳にかけた。緊張しているときによくやる、名前の癖。
それを見て、ふっと笑ってしまった。ああ、だから先にふたり一緒にいる時じゃなくて、俺に先に言ったんか。俺が、ツムのストッパーになるように。
「名前、」
「ん?」
「たしかにツムは俺よりちょっとお子さまやからぎゃーぎゃー言うかもしれんけど、」
「う……バレた?」
「まあな。……でも、涙やなくて鼻水たらしながら、俺とおんなじにおめでとうって言うと思うで、最後は」
「……うん。ごめんな、甘えて」
「もっと甘えてくれてもええよ」
そう言うと、名前はほっとしたように笑みを浮かべた。やっぱり手放すのは惜しいな、と思う。ツムみたいにぎゃーぎゃー騒いだら、名前は思いとどまってくれるだろうか。
その頬に、するりと手を添わせる。
「なぁ、俺のこと、すき?」
「すきよ」
即答されたその後に続けられるであろう言葉を、俺は知っている。
「おんなじだけ、侑のこともすき。……ふたりとも、すき」
「……ん」
いつもこうして確かめることで、ほっとしている自分がいるのかもしれなかった。俺たちはまだ、平等に与えられていると。
だけれど、今日は知らない続きがあった。
「けど、今はふたりのことよりもちょっとだけ、信介さんのことがすき」
俺から視線をはずし、消え入りそうなほどに小さく呟かれたその言葉には、俺や侑をすきだという声よりもほんのすこし、熱がこもっていた。
名前のこんな表情は、知らん。今日はしらんことばっかりやな、と思った。ひとつ、溜め息をつく。
「いつまでもはんぶんこ、なんて叶わんもんやなぁ」
「そらそうやろ。侑も治も互いに遠慮して仲良く半分こ、なんてせんで違う道を選んでもええねん」
「……名前もな」
「うん?」
「名前も、俺らに遠慮してどっちも選ばない、なんて選択肢を選ぶ必要ないんやで」
「…………そうやなぁ」
困ったように笑った名前の目には、まだ静かに燻る、ぶすぶすとした残り火のような熱が映っていた。
はんぶんのせかい。
(20201213)