短編 | ナノ



※事後。ジャンが喫煙者。


窓から入ってきた風がシーツを被っていない素肌の背中をするりと撫でて、思わず身震いをした。4月に入ってだいぶ日差しはあたたかなものになったけれど、まだまだ風はひやりと冷たい。

足元の方に追いやられてくしゃくしゃに丸められた毛布を顔だけ動かして見やり、ああやっぱりわざわざ起き上がってそれをかぶるのはだるい、つま先にひっかけて持ち上げて、バサッ。

あたたかな毛布ですっぽり覆われた私はとても満足だったのだけれど、そんな私を見ていた窓を開けた張本人であるジャンは、わずかに眉間に皺を寄せる。

行儀悪ぃ。

煙草の煙と一緒にその言葉だけを吐き捨てた、意外にも案外品よく育てられたジャンは部屋が煙たくならないようにと窓を開けてくれたのだろうけれども、そんな配慮ができるのなら、窓から冷たい風が入ってきて寒さに震える素っ裸にシーツが腰までしかかかっていない恋人のこともちょっとは配慮してくれたっていいのに。なんて私は思うわけである。

パンツも履かずにぼんやりと紫煙をくゆらせているジャンは、何て言うんだっけ、この、男の人が情事を終えた後のなんとも気だるげな感じ。

賢者モード。そうそれだ。まさにその様子がぴったりで、私のことなんてまるでその場に存在しない、自分しかいないみたいに振舞っている。でも別にそれになるのは男の人だけじゃない。女の子だってそうなる。

こすれてひりひりと痛む膣の入り口に、そして中からゆっくりとあふれでてくる白濁の感触に、ああまたやっちまったとふと冷静になる。こいつ絶対責任とってくれない。

頼むから生理よ来てくれとまた怯える日々が来るのかと思うと深い溜め息がでる。ジャンがちらとこちらを何だよと言わんばかりに見て、眉間にぐっと皺を寄せた。


「……んー、」


ベッドに腰掛けている彼にすりより、キスをねだる。ちろちろと舌を絡めて、やわらなかな唇を食む。ああ、舌に残る苦味が、何とも愛しい。

彼が吸っているのは何の生産性もないただの有害物質であり、それから漂う副流煙なんてものは彼が吸っているものよりもずっと私にとって悪影響なもののはずなのに、どうしてこうも物欲しくなるのか。

こんな苦いだけでまずいもの、とてもおいしいだなんて思えない、でもなんだか、愛おしい。彼が吸っているものだから?そこまで考えて、ハンッと心の中で笑う。乙女か。


「何だよ、珍しいな」
「そうだっけ」
「おー」
「たまにはいいかなって」
「おー」
「あ。ちょっと照れてるでしょ」
「……おー」


ジャンの目線はが明後日の方向を向いていた。珍しく素直な返答に、ふふっと笑って彼の胸にもたれかかる。とくん、とくんと穏やかな心臓の音。余裕のない顔をしていたさっきまではもう少し鼓動が早かったのだろうが、今ではもうすっかり平常を取り戻している。

あたたかいな、と思った。ああ、今回もきちんと生きて帰ってきてくれたと感じる。

トロスト区奪還作戦の後、ジャンは調査兵団に入ると宣言した。真っ青な顔、怯えながらもどこか芯のある声。かすかに震えていたその拳のなかには誰かの骨のカケラが握られていた。調査兵団に入ることに対して、私に一切相談はなかった。

私は、とても臆病で。ジャンのように勇敢な決意はできなかった。彼と一緒ならどこにでもいける、巨人とだって戦えるだなんて思えなかった。

地獄。あれは、地獄だった。それ以外にあの状況を何と呼ぶことができただろうか。断末魔と悲鳴が絶えずあげられる、阿鼻叫喚の地獄。凄惨。悲惨。あちらこちらで死にたくないと誰も彼もが頭をかかえてうずくまり、大の大人である自分をすっぽりと包み込むことのできる巨人の大きな掌から逃れようと走り回る。

食い千切られた下半身のない死体やら、腕やら眼球やらが転がり、乾き切っていない血溜まりが地面にゆっくりと染み込んで赤茶の大地を作っていく。

思っていたよりも、ずっとずっと大きかった巨人。ニィッと口の両端を吊り上げ、歯を見せて笑うその歯の隙間には、誰かのものであっただろう団服の切れ端が、挟まっていた。思い出して、ぶるりと身体が震えた。肌に粟立つ鳥肌。冷えた体温。

無理だ、と思った。戦わなければ勝てない?エレンが卒団式の時に言った言葉が脳裏をかすめたが、知ったこっちゃないよと思った。ジャンは、きちんと現実を見て、冷静に分析をしていた。人類は、巨人には勝てない。


「今、何を、するべきか……」


ぽつりと、彼が卒団式の時に言った言葉を呟いた。

あれから、4年が経っていた。調査兵団の功績により、外の世界には巨人はいなくなり、代わりに海という巨大な塩の水溜りの向こうに、マーレという大きな国があることがわかった。

ここがパラディ島と呼ばれていること、この島に住んでいる私たちはエルディア人と呼ばれていて、巨人になることができる人種であることから島外のひとには悪魔の末裔と呼ばれていることも。

巨人の代わりに、今度は人間との戦争だ。ジャンは、今もその前線で戦っている。巨人用でなく、対人用の立体機動装置を身につけて。私は。──私は。


「お前はこの家で、待っててくれ」


私の思考を遮るように、ジャンはぽんぽんと私の背を叩く。持っていたままの煙草の灰が、シーツに落ちた。


「ジャン、私、」
「だめだ。お前は、だめだ」


私は、ずっと後悔している。私は10位以内にも入れないような成績だったからとか、私じゃ足手纏いにしかならないから、なんて自分にたくさんの言い訳をしたことに。あの日、泣きながら心臓を捧げあの場に残った彼らに背を向けて歩いたことに。エレンが壁工事団と揶揄した駐屯兵団で壁の補修をひたすらするだけの日々に。

ジャンがこうしてお前は壁の中にいてくれと言ってくれることに安堵をして、のうのうと生きていることに、とても後悔をしている。

お前はだめだ、ともう一度ジャンは言った。暗い目。その表情に、私はまた口を閉ざす。彼は一体どれだけの命を奪って、奪われてきたのだろうか。

──どうか。どうか、あなただけでも。そう願って、自分の身勝手さにまたうんざりした。ジャンを失いたくないのは、私が彼を失うことがこわいからだ。私が、弱いだけだ。それでも。


「来年も再来年も、ずっとずっと、死んだりしたら許さないから」
「……それは、約束できねぇけど、」


ジャンが煙草を咥えて、ゆっくりと吸い込んだあと、紫煙を吐き出す。疲れきったときにする、溜め息みたいだと思った。


「努力はする」


うん、と小さく返事をして頷いた。絶対死なないから、なんて夢のあることは決して言ってくれない、とても正直なひと。

吐き出された煙が、ぼんやりと霞んで、窓の外へと流れていく。私の抱えるこの情けない気持ちも、こんな風に薄れて消えてくれればいいのにと思った。



弱者のモラトリアム



(20200719)
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