夜明けのあいだ
振り返ったティファが放った言葉に、私はすぐに頷いて、来た道を全力で駆け出した。
最上階へと辿り着いた私たちを待ち受けていたのは、想像もしていなかった光景だった。エグゼクティブフロアにはプレジデントの姿はなく、慌てて屋上へ飛び出せばいまにも地上へと真っ逆さまに落ちていく寸前のプレジデント。色々と揉め事はあったが見殺しにできるはずもなく、バレットが救出したかと思えば今度はセフィロスが現れた。そして、プレジデントはそのセフィロスに貫かれ死んだ。止めるまもなくバレットまで巻き込まれ刺されたけれど、どうしてか彼だけは助かった。何事も無かったかのように、傷すら残っていなかったのだ。
その後も、ほっと安堵する暇もなくセフィロスは消え、次いで現れたのは既に社長だと名乗ったプレジデントの息子、ルーファウスまで到着する騒ぎで。私においてはルーファウスに顔を見られるわけにいかず、物陰でひとり身を隠していた。この同行任務は、ツォン主任の計らいであって上からの命令ではないとわかっていたからだ。私がルーファウスの前にのこのこと出ていけば、主任の立場まで危うくなりかねない。心苦しいけれど、その時はそうするしかなかった。
結局クラウドだけがその場に残り、私を含めその他は一足先に下から脱出を試みることになった。けれどどうしてもルーファウスと対峙していたクラウドが心配で、彼ならなにも案ずる必要がないとはわかっていたけれど、それでもやっぱり気がかりで後ろ髪を引かれていた矢先の、ティファの言葉だった。間髪入れずに頷いて、クラウドの元へ急ぐ。お願い、どうか無事でいて。そう心の中で願わずにはいられない。
***
自分の足元には、ミッドガルの夜景が豆粒のように広がっていた。さすがは地上から何百メートルも上空にある最上階だ。吹き抜けるビル風は時に突風のように身体をおおきく揺らす。ルーファウスを撤退させることには成功したが、今自分が置かれた状況は芳しくない。飛び出したコンクリートを掴む左手も、徐々に力が抜けてきていた。もはやここまでかと半ば諦めかけた時、足音とともに限界を迎えそうな俺の手を掴んだのは、他でもないナマエだった。
「っはぁ、はぁ…!良かった、間に合った…」
「ナマエ…」
細い両腕が俺の手を強く掴んで、引き上げようと歯を食いしばるナマエが目に映る。だが強風が吹き抜けて、ナマエの身体まで不安定なこの状況ではさすがに無理がある。
「ナマエ、あんたまで落ちる!離せ、俺は大丈夫だ」
「そんなの、聞けるわけない、でしょ…!絶対に離さない…っ!」
今にもナマエまで巻き込んで落ちてしまいそうで、なんとかその手を離そうとしてみるが、さらに腕に力を込めて頑なに離さないナマエに焦りが生まれる。
この高さだ。落ちればさすがに無傷とはいかないだろうが、俺ひとりならどこかでガラスを突き破るなりして逃れる術はある。だがナマエが一緒に落ちたとして、守りきれるかと言われれば恐らく難しいだろう。こいつを巻き込みたくない。怪我をさせたり、最悪ナマエを失うようなことになれば、俺はこの先どうしたらいい。
「おい、無茶だ!頼むから言うことを…、」
「守るって、決めたの!今度こそ、クラウドを守るって!」
「───っ、」
必死の形相で言われた言葉に、俺は返す言葉が見つからなかった。こいつは多分、ずっとひとり後悔し続けていたんだろう。スラムを守れなかったことや、俺たちを騙していたことを。
何ひとつ気にしていないかと言えばそれは嘘になるが、今こうして俺の傍にいてくれるのだからそんなのは些細なことだ。それに、俺だってあんたを守りたい。もう二度と、あんたを失いたくないんだ。
バスターソードを握っている右手に力を込め、無理矢理にでもナマエの手を引き剥がすしかないと思った時だった。
「クラウド!ナマエ!」
「っ、ティファ!」
ナマエの腹にティファの腕が回されたかと思えばぐっと引き上げられ、次の瞬間には俺はコンクリートの上にいた。ぜえぜえと肩で息をするティファに視線を流せば、彼女は良かったと言って笑った。
「ティファ…」
「やっぱり私もふたりが心配で。でも来てよかった。ナマエ、クラウドを離さずにいてくれて、ありがとう」
「……結局、ティファに助けられちゃったけどね」
「ふふ、だって皆仲間だもん。当たり前でしょ?」
「ああ、そうだな。ナマエ、ティファ、すまない、助かった」
仲間という言葉に泣き出しそうな顔をしたナマエの肩に手を乗せれば、ナマエは照れくさそうに微笑んだ。
「エアリスたちが待っている。行こう」
ふたりが頷いたのを皮切りに立ち上がってバスターソードを背中に背負い直す。
ここを無事に抜け出して、また一から、今度こそ本当の仲間として始めよう。
ナマエのひとまわり小さく細い手を握りながらそう言えば、憑き物が抜けたようにナマエは笑って頷いた。
それから、と心の中で続ける。もう一度あんたに好きだと言わせてくれ。その時は、恋人としてあんたの隣に並んで歩かせてくれ、と。
***
その場にいた全員が、ぼろぼろの身体で遠くに見えるミッドガルを見つめていた。
神羅ビルを無事に抜け出した後も、本当にたくさんのことがあった。それこそ、信じられないことの連続に、夢でも見ているのかと思うほどだった。
この先には、誰も知らない空白の時間が流れている。進んだ先に待ち受ける運命すら、ここにいる誰も知り得ない。けれど不思議と怖さはなかった。
繋がれた右手、絡められた指をちらりと見てから、少し高い位置にあるクラウドを見上げる。彼は微かに笑って、空を仰いだ。その視線を追えば、広がっていたのは綺麗な東雲色の空だった。
「私、この夜明けをきっと一生忘れない…」
「ああ。でも、何度でも見られるさ。一緒にいれば、な」
「…クラウドも、そんなキザなこと言うんだ」
「あんたにだけだ」
自分で言っておきながら少し照れ臭そうに目を逸らすクラウドにくすくすと笑いながら、繋いだ手はそのままにぴったりと半身を彼にくっつける。少しずつ薄くなっていく東雲色は、見たことがないほど綺麗で、心が洗われるようだった。
クラウドが言うとおり、これから先同じような空は何度でも見られるかもしれないけれど、でも今この瞬間のことを、やっぱり私は死ぬまで忘れないと思う。
あなたと見つめる、夜明けのあいだを。