友とはそれ即ち


独特の薬品の匂いと、湿った空気、こぽこぽと水泡が弾ける音。ここ、宝条が取り仕切るラボラトリーは、神羅ビルの中でも特に好きになれない場所だった。宝条はこれまでも幾度となく得体の知れない実験を繰り返している、謂わば本物のマッドサイエンティストだ。少なからず神羅にとって利益を生み出すものであるのか、プレジデントですら宝条に口出しはしない。タークスは上からの指令とは無関係の秘密裏に、宝条の監視も行っていた。主任は、あの男がいつかこの星にとって取り返しのつかないことを仕出かすのではないかと、そう踏んでいるらしい。
とにかく今は、宝条に見つからないようにエアリスを探さなければ。そう思った矢先、鳥肌が立つような笑い声が聞こえてきた。物陰に身を潜めて様子を窺えば、案の定下卑た笑みを浮かべる宝条の姿。それから、不運なことにその宝条が話しかける相手は、ガラスケースに閉じ込められたエアリスだった。

「エアリス……」

彼女の姿を見てほっと胸を撫で下ろす。良かった、怪我などはしていないようだ。今のところは、だが。このまま宝条のところにいれば、エアリスの身に危険が及ぶのは火を見るより明らかだ。
迷っている暇はない。こうしているうちにも、クラウドたちがエアリスを探して、ここまで辿り着いてしまうかもしれない。鉢合わせなんてしたらたまったもんじゃない。やっと踏ん切りをつけて来たのに、また振り出しに戻ってしまう。
ジャケットのポケットに手を突っ込んで、中の小瓶と注射器を取り出す。少しだけ宝条には眠っていてもらおう。辺りを見渡して目に付いた空のビーカーを手に取り、それを床に落とした。

「なんだぁ…?誰かいるのか!」

見事に粉々に割れたビーカーは、それなりの破裂音を立てた。音に反応した宝条が、ぶつぶつと文句を垂れながらこちらへ歩いてくる音が聞こえる。その角を曲がれば…。

「っう、……!?」

角を曲がった宝条が私に気付く前に、見えた首筋に注射器を刺した。すぐにぐらりと傾いた彼をそのまま床に横たわらせ、意識がないことを確認する。即効性で良かった。しばらく寝ていてね。そう心の中で声をかけて、私はエアリスの元へ駆け出した。

「エアリス!」
「えっ、ナマエ!?」
「今、ロックを解除するから」

解除コードなんてものはわからない。そんなものは恐らく、宝条本人しか知らないだろう。だったら、セキュリティシステム自体を壊してしまえばいいだけだ。ウィルスを使って。
案の定ウィルスを仕込んだ記憶デバイスをモニターに差し込めば、すぐにシステムはエラーを起こして停止した。エアリスが入っていたガラスケースも、ほどなくして手動で開けるようになった。

「ナマエ、来てくれて、ありがとう」
「ううん。……エアリス、何も、聞かないの?」

どうして私がひとりここにいるのか。服装を見れば、タークスと関わりがある彼女のことだから、すぐに私の素性がわかるだろう。なのにエアリスは、嬉しそうに笑うだけで、私になにひとつ聞こうとしない。

「……だってね。わたし、ナマエのこと、知ってたから」
「え…?」
「星が、教えてくれたの」

にっこりと笑ったエアリスに面食らって、次の言葉が出てこなくなってしまった。はぐらかされているようでもあったし、事実を言っているようでもあった。古代種でもあるエアリスが言うと、途端に信憑性が増すのだから、鼻から否定するのも憚られる。それに、そうだと仮定すると、すべて見透かされているような感覚に陥ったことも説明がついてしまう。なんだか力が抜けて、私は苦笑いを浮かべながらガラスケースにもたれかかった。

「ナマエがタークスでも、友達なのは変わらないよ」
「……うん」
「それに、わたしを助けてくれた。ね、ちゃんとクラウドと、話せた?」
「………もう、合わせる顔がないから」

私が支柱でクラウドたちにしたことを、エアリスは知っているのかもしれないし、あるいはそこまで知らないかもしれない。エアリスは最初から、クラウドと私のことを案じてくれていたのに、そんな彼女の気持ちまで踏み躙ったように思えて、それ以上なにも言えなかった。

「そっか…。でも、わたし、いまのナマエが好き」
「好き…って…。どうしたの、突然」
「はじめて会ったとき、わたしが言ったこと、覚えてる?」
「え?」
「本当の自分、ナマエは、見つけられたんだね」

エアリスはそう言って、ひどく優しく微笑んだ。すべて受け入れて包み込んでくれるような笑顔だった。本当の自分。確かに今、私は神羅の操り人形なんかじゃなく、自分で考えて、自分で動いている。そんな私になれたのは、やっぱりクラウドや、それからエアリスに出会えたおかげなんだと思うと、タークスだったことに少しだけ誇りが持てた気がした。我が儘を言えば、本当はもっと別の出会い方をしたかったけれど。

「エアリス、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
「あのね、エアリス、」

口を開きかけた時だった。バタバタと複数の足音が聞こえてきたのは。直感でクラウドたちだと悟って、最後にエアリスにもう一度向き合う。

「クラウドたちが来てくれる。弱い薬だったから、宝条ももうすぐ目を覚ましてしまうかもしれない。あのね、エアリス……友達って言ってくれて、嬉しかった」
「ナマエ…?」
「絶対に、生きてここから逃げて」

もうすぐそこまで足音が迫ってきている。少しだけ後ろ髪を引かれながら、エアリスににっこりと笑いかけて、私は走り出した。背後でエアリスが私の名前を呼んだけれど、もう振り向くことはしなかった。
本当に、本当に嬉しかったの。こんな仕事をしているから、女の子の友達なんてものはいなくて。でも、エアリスは全部知っていて、友達だと言ってくれた。それがなにより嬉しくて、間違いなく私の支えになっていたんだ。
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