さようなら愛しい日々
「───ナマエ、どういう、こと…?」
重苦しい静寂を破ったのは、ティファだった。震える声で、嘘だよね、冗談だよねと問いかけられる。その言葉に私は答えることなく、ただ目の前で目を見開いたまま固まるクラウドを見据えていた。
『撃て、ナマエ』
左耳のピアスから流れ込んできた冷酷な声に、ぴくりと身体が強張った。主任はこの光景をどこかから見ていたのだろうか。それなら先ほどまでの私の愚行も、全てお見通しというわけだ。だからこそ、今ここで、私は忠誠心を試されている。撃てるよな、タークスなら、と。
「ナマエ、どういうことだ…?説明、してくれ」
「………」
「っ、ナマエ!」
ごめん、ごめんね、そんな顔をさせて。私が夢を見すぎていたの。クラウドの隣は暖かくて、幸せで、こんな幸せがまだ続くんだと、勝手に思い込んでいた。いつかは別れが来ることをわかっていたけれど、それはこんな形じゃなく、これまでのように私がクラウドの前から忽然と姿を晦まして、暖かい思い出を抱き締めて別の道を歩いていくんだと、そう思っていたの。それでもきっとクラウドを傷つけてしまうんだろうけれど、せめて何も無かったように、あなたの前から消えたかった。
かたかたと、右手が震えた。トリガーにかけた指すら、小刻みに震えている。クラウドの絶望したような、深い哀しみと驚愕の表情を見ていられず、思わず顔を逸らす。
撃たないと。撃っちゃだめ。主任のため。クラウドを守りたい。早く撃て。早く銃を捨てて。違う、違う。───お願い、生きて、クラウド。
「ナマエ…!」
ルードが窘めるような声をあげる。カシャン、と存外軽い音を立てて、右手を離れたハンドガンが地面に転がった。
「……って…、………私を、撃って!バレット!!」
俯いたまま絞り出すように叫んだ声に、周囲が息を呑んだ気配がした。血気迫ったその様子に、ルードが私の腕を掴んで制止に入るけれど、それを暴れるように身をよじって眉を寄せ険しい顔をするバレットに畳み掛けるように叫ぶ。その右腕の銃はなに。飾りじゃないでしょう。早く、早く撃って。誰か、私を止めて。
「撃って!お願い…!!」
「っちくしょう!何がどうなってんだ!!」
そう吐き捨てて困惑しながらもガトリングガンを構えたバレットに、ティファが焦ったように叫ぶ。
「やめてバレット!撃たないで!」
「ナマエ、悪いが大人しくしてくれ」
「っ!、……くら、うど────」
ちくりと首に針のようなものが刺された感覚の後、すぐに意識が霞がかったように遠のいていく。最後に見たのは、クラウドの悲痛な顔だった───。
***
警告のアラームが鳴り響く中、呆然と立ち竦む。何が起きたのか、何があったのか、理解したくないと脳が拒絶する。脳裏に焼き付いたナマエは、全ての感情を捨てたような無表情で俺に銃を向けていた。
もうここに、ナマエの姿はない。バレットに向かって必死の形相で撃てと迫ったナマエは、ルードに何かしらの薬を打たれた後、その腕の中でぐったりと動かなくなった。抱えられ、連れ去られる彼女の腕を掴んで俺の元に取り戻さなくてはと思っても、石のように固まった身体は指の1本すら動いてはくれなかった。
「クラウド…、」
「………大丈夫だ」
眉を寄せて悲痛な表情を浮かべたティファが俺の腕にそっと触れる。勝手に動いた口は、自分で思っていたよりも弱々しい声を上げていた。何が、大丈夫、だ。あまりにもな返答に内心自嘲する。
「おい、説明してくれ。何が一体どうなってる?あの女は神羅か?あぁ!?」
「……違う」
「何が違うってんだよ!俺らに銃向けやがって!クラウド、なんであんな素性も知れねえ女連れてきやがった!?まんまと騙されてたんだろ、俺らはよ!!」
「───っ!」
ずかずかと俺の前に出たバレットが、激昂して捲し立てた言葉に思わずカッとなり、気が付けば俺より随分上にある胸倉を掴んでいた。
「…なんだよ、やんのか、おい」
「クラウド!バレット!やめて…!」
訳が分からないのは俺の方だ。ナマエは、タークスだったのか?最初から?伍番街で出会ったのは偶然でもなんでもなく、エアリスやアバランチを嗅ぎ回るためだったのか?本当に全部嘘だったのだろうか。俺の腕の中で嬉しそうに微笑んだナマエも、愛しそうに見つめる視線も、何もかも全てが嘘だった?……ああ、そうか。妙に納得してしまって、全身から力が抜けた。あんたは一度も、俺に好きだとは言わなかったな。
「………すまない、バレット」
握り締めていたバレットの胸元を、力なく離す。信じたくない、嘘だと言ってくれ。この感情は、行き場のない感情はどうしたらいい。ナマエ、こうなっても尚、あんたを信じたいと願ってしまう俺は、一体どうしたらいい───?
「っクソ!!」
「バレット!とにかく今は、これを止めないと…!」
『無駄だ。システムの解除はもはや不可能だ』
ティファがモニターに向き合ったのを見計らったかのように、それまで警告の文字が浮かんでいた液晶が突然切り替わり、見覚えのない男が映し出された。
「っお願い、止めて!」
『ティファ!マリンは、大丈夫だから』
「エアリス…!?」
その男を押し退けるように映りこんだのは、エアリスの姿だった。目を見開いたのは俺だけじゃなく、ティファと、それからマリンの名前を聞き取ったバレットも同様だった。
「エアリス、そこはどこだ!?」
「わたしは───、」
何か言いかけたエアリスは、そのまま兵士に連れられ映像からは消えてしまった。長髪の男は口元に冷酷な笑みを浮かべている。
「君たちの活動が巡り巡って我々に古代種をもたらしたというわけだ。その点に関しては礼を言おう」
「待て!あいつは、ナマエはどうなる…!」
「ふ、……彼女は私の優秀な部下だ。上手く働いてくれたおかげで、こうして古代種も戻ってきた。…お前を撃てなかったことだけは、最大の誤算だったがな」
「───、嘘だ…」
「嘘?私は何も嘘などついていない。見事に騙されてくれて助かった」
にやりと上げられた口角、それに奥歯を噛み締めた途端、モニターは暗転した。俺は騙されていた。演技だった。身体を重ねたのも、口付けも、俺に取り入るため、ナマエにとってはただの仕事だった。その事実が重くのしかかって、もはや息をするのすら億劫になる。
───でも、本当にそうだっただろうか。少しずつ変わっていく表情、肝心なことは話さないくせに本心を表す瞳、必ず助けるとウェッジに交わしていた約束。その全てが偽りだったとは、どうしても思えないんだ。ナマエと、もう一度話さなければ。たとえタークスだろうが、ナマエはナマエだ。もう一度ナマエをこの腕に抱き締めて、あいつの本心を聞きたい。
好きなんだ、どうしようもなく。