波乱の幕開けは序章にすぎない


「さっきのこと、…礼を言う」

支柱のてっぺんめがけて鉄階段を駆け登りながら、前を走るクラウドが突然そんなことを言い出した。もちろん訳が分からない私は、なんのこと、ときょとんと聞き返した。

「ウェッジのことだ。きっと、あんたの言葉で救われた」
「……そうだと、いいけど」
「心強かった。ありがとう、ナマエ」

上に行くにつれて、びゅうびゅうと吹き抜ける風がどんどん勢いを増す。そんな中で、振り返らず、足も止めず、かろうじて聞き取れるくらいの小さな声でそう言われてしまえば、うん、と返すほかなかった。気休めくらいにはなっていればいいんだけど、と体格が良く人懐っこい顔立ちのウェッジの姿を頭に思い浮かべる。

「彼も、アバランチなんだよね」
「ああ。馴れ馴れしいが、いい奴だ」
「クラウドがそう言うの、珍しい」
「…そうだったか?」

他人を認めるような物言いは、クラウドの口からあまり聞いたことがなかった。この緊迫した状況から、いつになくナーバスになっているのかと思ったけれど、そうじゃなかったみたいだ。何階分か、登った先の踊り場でクラウドはぴたりと足を止めて振り返る。

「どうしてだろうな。あんたには、本心を隠したくない」

どくりと、心臓が嫌な音を立てた。隠し事だらけの私には、その言葉はまるで鋭いナイフのようで。本当は、私だって、同じ気持ちなのに。洗いざらい全て話してしまえたら、そう何度も思っているのに。
あまりにも真っ直ぐ、魔晄の瞳に見つめられて息が詰まりかけた時、見えない何かが頬を掠めた。ただの風かと思ったけれど、そうじゃなく、もっと何か意思を持った、そんなものが通り過ぎたのだ。

「っ、!?」

同時に、驚愕したように見開かれたクラウドの視線が、"ソレ"を追う。私には、やっぱり何も見えはしなかった。ただその先に、鉄骨にぐったりと凭れ掛かる人の姿を見つける。クラウドは弾かれたように駆け出して、慌てて私も後に続いた。

「ビックス!」
「まいった。いや、まいった…」

傷だらけの彼はもう、喋ることさえ苦しいようで、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返している。つい先刻、ウェッジから聞いた名前の彼であることに気付いて、ビックスの元にしゃがみ込んで腕のバングルに触れた。ただひとつだけ嵌められたマテリアに気力を流し込んで、ケアルを唱える。特有の緑色の光がビックスの身体を包み込んだけれど、目に見える良い変化はなかなか訪れなかった。

「なんだ、クラウドの、知り合いか…?」
「ええ、ナマエです。黙って、傷に障る」
「ん、悪いけど…もう、無理なんだわ。魔法じゃ、もうどうしようもねえ…」

苦しげな声で、それでいてどこか嘲笑を含んだ声で、ビックスは笑って見せた。それでも到底諦める気にはなれず、ありったけの気力を注ぎ込む。助けると、そう約束したから。助けたくて必死になっている人たちがいるのに、本人が諦めてどうするの。ただそんな気持ちだけが頭を支配していた。

「クラウド、上でバレットが戦ってる。……早く、行ってやってくんねえか…?」
「…あんたは、どうする」
「ここで、暫く休ませてもらう。……ナマエ、ありがとな。…けどもういい、行ってくれ」

それだけを、呻きながら言葉にしたビックスは、そのままゆっくりと瞼を下ろした。クラウドの顔に、悲痛の色が浮かぶ。やっぱり私はまだ諦めることができなくて、動かなくなったビックスに手を翳し続けて、でもその手は、重ねられたクラウドの手によって下ろされた。

「……ナマエ」
「………」
「行こう。必ず止めて、迎えに来ればいい」
「………うん」

きっと、本当は、クラウドのほうが、ビックスを担いででも、下で待つウェッジの元に彼を連れて行ってあげたかったんだと思う。それでもクラウドは全部抱えて、真っ直ぐ前を向いて、迷いなくそう言ってみせた。それがここまで死闘を戦い抜いた、勇敢な彼らの為だからと、そう考えていたのかもしれない。人を殺めはせよ、人を助けることに慣れていないこの手は、あまりにも非力で、そして、無力だった────。


***


どこか後ろ髪を引かれる思いで、でも立ち止まるわけにいかない私たちは、また途方もなく続く階段を駆け登っていた。どれだけ登ってきたんだろう。血流が滞って、重くなった脚に鞭を打った時、それは突然訪れた。轟々と音を立てるプロペラと、眩しすぎるほどのライトの光がクラウドと私を照らす。薄く目を開けて、その操縦席を見て、ああ、やっぱり来ているよね、なんて当たり前のことを思って、ここまで来て怖気付きそうな自分を嘆いた。

「アー、アー、…そこのアバランチ。あんたらが支柱をぶっ壊そうとしよーが、俺たち神羅はビビったりしねぇ。とっとと支柱から出て行けよ、と」

レノの、間延びした、それでいて棒読みな声が辺りに響き渡る。なるほど、これはパフォーマンスも兼ねているのかと、神羅らしいやり口に呆れさえする。あくまでも悪者はアバランチ。これからプレートは落ちるけれど、それは全てアバランチのせいですよ、と、そう住人たちに植え付けたいのだ。そして、それを阻止しようと動いている神羅こそが、正義そのものなんですよ、と。しかも汚れ役を買うのは、結局タークスというわけで。今までよく何の疑問も持たずに、上層部に従っていたものだと自分でも嘲笑さえしてしまう。もちろん神羅のトップではなく、私は主任に着いてきただけだけれど。

『ナマエ、上手くやってるみてーじゃねぇか』

聞こえてきた、無線を通したレノの声。びくりと身体が強ばったのが、バレてなければいいけれど。その声に応えるわけにはいかず、ただじっと硝子越しにレノを見つめる。

『やっとその潜入任務も終わりだなァ。とりあえず、その元ソルジャーにちょっくら悪戯すっから、おまえ、ちゃんと避けろよ、っと!』

どういうことだろうと、眉を顰めた瞬間。ヘリの下部から機関砲が、こちらに銃口を向けた。目を見開いたクラウドに手首を掴まれ、構える暇もないままにクラウドが走り出す。それと同時に向けられた銃口から何十もの弾丸が放たれ、鉄階段に当たっては火花を散らした。こんな腕を引かれた状態で上手く避けろなんて、それこそ無理難題だ。でも流石はレノといったところか、弾丸は足元すれすれを掠めていくものの、それが実際に当たることはなかった。もしも当たっていたら、本社に戻った時にこのハンドガンでレノの脚を撃ち抜いてやる、なんて思ったけれど、私がこの先戻れる場所なんて無いことを思い出して、ただ胸が痛んだだけだった。
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