縮まる距離と
「…ありがと、エアリス」
これでもかと着飾られた私を視界に入れた途端、エアリスはペリドットの瞳を輝かせて綻んだ。褒められて悪い気はしないけれど、その反応は大袈裟すぎる気がする。
「エアリス、マムが呼んでる。私はここで待ってるから」
「ううん。ナマエは、コルネオの屋敷、行ってみてくれない?」
「コルネオの?…どうして?この後どうせ行くことになるんでしょ?」
それなら、今行く必要はない。どういうことかと首を傾げたら、エアリスは腰に手を当てて頬を膨らませてみせた。
「だって、クラウドが、心配。わたしたちのこと、待てなくて、ひとりで乗り込んじゃいそう」
「……それは、…うん、言えてるかも」
「だから、ね?ナマエ、様子、見てきてくれないかな?」
そういうことならと苦笑して頷けば、エアリスはにっこりと微笑んだ。
「あっ、あとね。わたしの準備、すっごく時間、かかるから」
「……え?」
「じゃあ、いってきまーす!」
明るく右手を上げたエアリスは、そのまま奥の部屋へと駆けて行ってしまった。含みがあるような言葉に訳が分からないまま、ここにいても仕方が無いかと店を後にする。今はなるべくクラウドとふたりにはなりたくなかったんだけど。内心モヤモヤとしたものを抱えつつ、エアリスの言葉どおり私はコルネオの屋敷へと向かった。
***
コルネオの屋敷前の橋の上、俺は溜息をひとつ零した。エアリスがここで待てと言っていたが、準備にどれだけ時間がかかるのか検討もつかない。それに、考えがあるとも言っていた。それが何を意味しているのかは、結局聞く暇すらなかったな。
手すりに腕をついて瞼を下ろす。浮かぶのは、言うまでもなくナマエの顔と、ちらつく俺の知らない男の影。それにどうしようもなく苛立ってしまうのは、ナマエが特別だからなんだろう。これまで他人にそんな感情を抱いたことがない俺は、この想いをどう扱っていいのか全くもってわからない。らしくないことを考えて無意識に眉間に皺が寄ったと同時に、ざわざわとした喧騒が耳に飛び込んできた。顔を上げて通りの方に視線を向ける。
「クラウド…」
「───!」
好奇の目を向ける人波を縫ってゆっくりと歩み寄ってきたナマエの姿に、言葉を失った。周囲の音は消え、自分の心臓がどくどくと煩く鳴り響く音だけが聞こえる。本当に、ナマエ、か…?黒いレース地のロングドレスは胸元が大きく開いていて、肌色が生地の隙間から透けている。深いスリットから、細く長い足や腿が歩く度に見え隠れして、見てはいけないものを見た気がして慌ててそこから視線を逸らした。
「クラウド?どうかした?」
「……っ、あんた、なんでそんな格好…」
目の前に立ったナマエが首を傾げて俺を覗き込む。開いた胸元から柔らかそうな膨らみが見えて、頭がくらくらとした。たかが服装ひとつで、いくらなんでも変わりすぎだろう…。片側に流された髪からふわりと香水の香りがして、ぐっと息を呑んだ。身体が熱を帯びるのがわかる。
「やっぱり変、だよね…。ドレスだけでも変えてもらえないか、聞いて…っ?」
困ったように笑って踵を返したナマエの腕を咄嗟に掴む。見開かれる瞳にはっとして、掴んだ手を離した。なにしてるんだ、俺は。ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱して、目も合わせないまま小さく呟く。
「……似合ってる…」
「え?」
「っだから…!────っ、似合ってる、綺麗だ、これで満足か?」
「………っふ、なんで喧嘩腰?」
くすりと笑ったナマエを思わず抱き締めたくなって、寸でのところでなんとか堪えた。慣れないことは言うものじゃない、自分でも顔が赤いのがわかる。気まずさからナマエの顔が直視できず、周囲へと視線を泳がせて、ナマエをじろじろと舐める様に見つめる男の多さに気付く。その視線を遮るようにナマエと男たちの間に立って口を開く。
「場所、変えないか?」
「そうだね。目立っちゃってるし」
あんたのせいでな、とは言わずにナマエの腕を取って歩き出す。
「…ちょ、クラウド、何?」
「また絡まれたくないだろ。この方が好都合だ」
「……うん」
我ながらもっともらしい言い訳だと自嘲する。頷いたナマエの声がどこか嬉しそうに聞こえたのは、自惚れだったかもしれない。それでも俺は、掴んだ手が振りほどかれないことに、安堵と嬉しさを感じずには居られなかった───。
***
クラウドに腕を引かれながらウォールマーケット内を歩く。この格好もあってか、すれ違う人々の視線をいつもより感じる。
「どこに行くの?」
「…わからない、とにかく目立たない場所に行こう」
どうやらクラウドは宛てもなく歩いていたみたいだ。エアリスの支度が終わるまでにはまだ時間がありそうだと辺りを見渡して、ふと目に付いたのは先程まで少しの間滞在していた宿屋の看板。
「ここ、入る?」
「ん?……っな、!?」
宿屋の入り口を指差して聞けば、少しの間を空けてクラウドは魔晄の瞳を大きく見開いた。その頬は赤く染まっていて、何事かと一瞬思案してすぐにピンと来た。
「…あ、別にそういう意味じゃないんだけど…」
「っわかってる…!」
そんな反応をされてしまうと、少しは意識してくれているんだろうかと不覚にも期待してしまう。勿論、そんなわけがないことは重々承知だけれど。また頭の片隅に公園での出来事が浮かんで、気分が沈みかけるのを振り払うように、今度は私がクラウドの腕を引いた。
「エアリスを待つ間だけだから、ここでいいんじゃない?」
「あ、ああ…」
まだ動揺しているクラウドを連れて宿屋に入りながら心の中で呟く。
大丈夫。そんなに警戒しなくても、私にはこれ以上、自分からクラウドに近づく勇気はないから───。そんな思いは、すぐに露と消えてしまうことになるとは、知らないまま。