取り戻す感情のゆくえ


宿屋を抜け出して向かう先は、男が待つ蜜蜂の館。趣味の悪いギラギラとした入り口を素通りして、その脇の鉄製フェンスから裏へと抜けた。壁に凭れ掛かる男は私を視界に入れた途端、安堵の表情を浮かべた。

「ナマエ、来てくれたんだな、よかった…」
「会いにきたわけじゃない。最後の忠告に来たの」

冷たくそう言い放つと、男はピクリと眉を動かした。

「なんだよ、それ…。突然いなくなってから、お前をずっと探してたんだぞ?やっと見つけたのに、最後ってどういうことだ?」
「そのままの意味。全部忘れて」
「だから、なんでなんだよ!説明してくれよ…!」

声を荒げた男が私の前に踏み込んでくる。溜息をついてポケットから出したカードケースを目の前に突きつけた。

「これで、わかる?」
「…っし、神羅…!?」

差し出したのは社員証。それを見た男は、漸く全てを察したらしい。顔をさっと青くしたかと思えば、拳を握り締めてわなわなと震えだす男。

「そういうことか…。だから情報が漏れていたのか…。ずっと…騙していたんだな」
「……」
「それで?次は一緒にいたあの男が標的ってわけか?ハッ、可哀想になぁ」
「っ!」

嘲笑を含んだその言葉に、ぐっと奥歯を噛み締める。その通りだ、反論もできない。私が何も言わないのをいいことに、男は未だにぺらぺらと喋り続けている。

「あの男もお前に惚れてんだろ。俺に敵意剥き出しだったもんなぁ。全部知った時のあいつの顔が見てぇよ。ははっ、想像しただけで笑いが止まんねぇ!」

限界だった。咄嗟にホルスターからハンドガンを引き抜いて、男の顔に銃口を向ける。

「……っおい、嘘だろ…?」
「死にたくないなら、今すぐ消えて。もしも誰かに口外したら───、わかるよね?」

セーフティロックに指をかけて引きおろす。男は私が本気だと理解したのか、青い顔で後ずさりすると、そのまま闇夜へと走り去っていった。ロックを掛け直してホルスターにガンを納める。そのまま力が抜けたように、私はずるずると壁に凭れ掛かった。
これまでの私なら、口封じのために男を葬っていただろう。そうしなかったのは、これ以上手を汚したくなかったからだ。それから、男の気持ちも今ならわかるから。────クラウドが好き。そう気付いた時から、私はやっと、"人間"に戻った。だから、痛いほどわかる。

「───やめたい…」

ぽつりと虚空に呟いた言葉は、紛れもなくありのままの本心だった。いっそこのまま、いなくなってしまおうか。きっとクラウドやエアリスは心配するだろう。でも、ふたりを傷付けずに済む。そんなことが出来るわけも無いのに、逃げ道を探してしまう私は、やっぱりタークス失格だ。

「なんて…、ターゲットを好きになった時点で、資格なんてなかったよね……」

誰に言うでもなく発した独り言は、そのままネオン街に吸い込まれて消えていった。


***


闘技場のエントランスでクラウドとエアリスを待っていると、全ての試合が終わったのかぞろぞろと観衆が出てきた。口々にクラウドとエアリスの名前を興奮冷めやらぬ様子で語る人々から、どうやらかなり盛り上がったことが見て取れた。

「ナマエ!」

観衆の波が落ち着いた頃に聞こえてきた鈴の音のような声に振り向く。どうしてここにいるのかと、そのまま顔に書いているエアリスに小さく笑って手を振る。そのすぐ後ろにはクラウドの姿もあった。

「エアリス、クラウド、お疲れさま」
「ナマエ、身体はもう大丈夫なのか?」
「お陰さまで。良くなったから、ふたりを迎えに来たの」
「よかったぁ。わたしたちね、ちゃんと優勝、してきたよ!」

知ってる、と頷けばエアリスは照れ臭そうに笑った。その間もずっと感じている、クラウドの視線。それは心配の眼差しで、理由があってついた嘘とは言え、やっぱりどうしても嬉しくて、胸がざわめいた。

「それじゃ、マムのところ、戻ろっか」
「うん、そうだね」

衣装代も無事手に入れたことだからと、揃って闘技場を後にする。再び戻ってきた手揉み屋では、既にマムが私たちを待っていた。

「来たね。お召し換えの準備は整ってるよ。さっそく取りかかるけど、どっちからだい?」
「エアリス、先に───」
「マム、先にナマエから、お願い」

私の言葉を遮るように、エアリスがマムに向かって私を差し出す。別にどちらが先でも私は構わないけれど、エアリスがクラウドに小さく目配せをしたのがわかって、何かおかしいと首を傾げる。

「どっちでもいいから、早く奥に来な」
「ほら、ナマエ!」
「え?…あ、うん…?」
「クラウド、あんた、覗くんじゃないよ」
「……言われなくてもわかってる」

呆れたように吐き捨てて視線をふいと逸らしたクラウドを横目に、どこか釈然としないまま私はマムの後を追う。小部屋に入り後ろ手に扉を閉めた途端、ずいと目の前に差し出されるドレス。

「さて、あんたはこのドレスだよ。先に着替えてから化粧だ」

姿見の前でそのドレスをじっと凝視してしまう。私の手の中には、真っ黒な総レースのドレス。本当にこれを着なければならないんだろうか。

「ほら、ボケっとしてないでさっさと着替えな!」
「……はぁ」

後がつかえてんだ、と苛立った様子のマムに聞こえないように溜息を落として、私は渋々身につけている洋服を全てその場に脱ぎ捨てた───。
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