星ひとつない夜
「あそこから、七番街スラムに抜けられるけど…。ねぇ、ナマエは、どうするの?」
「私は……」
どうしたらいいんだろう。勿論、任務のことを考えるならクラウドに着いていくべきなのはわかってる。わかってはいる、けれど…。言うべきでは無かった言葉を、つい口走ってしまってからというもの、クラウドがずっと私に何かを言いたそうにしているのもわかっているから。そんな状態でふたりになるのは、出来ることなら避けたい。自分の、名誉の為にも。やっぱり今もすぐに答えられない私を、クラウドはじっと見つめている。その視線に胸がざわついて、どうも落ち着かない。
「ふふ。…とりあえず、少し話さない?」
「そんな時間は───」
「クラウド、ナマエ、こっち」
公園の遊具に登ったエアリスが微笑んで手を差し伸べる。クラウドの視線から逃げるように私も後に続いて、暫くしてからクラウドも同様に遊具に登り腰を下ろした。
「昔、ここでお花を売ったこと、あるんだ」
「そうか…」
「クラウドって、クラスファーストだったんだよね?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「ううん…。同じだと、思って」
「同じ?誰と」
「はじめて、好きになった人」
静かに呟かれたその言葉は、暗闇に溶けるように消えた。そう何人もいない、クラスファーストのソルジャー。そしてそのほとんどが、かつて非業の死を遂げた。エアリスの想い人は、多分、もう生きてはいない。きっとそれすら、エアリスはわかっているんだと確信した。
「名前は?たぶん、知ってる」
「───ザックス」
ザックス・フェア。その名前は、タークスに入る前、所属していた治安維持部門でよく知っていた。それと、やっぱりもう、この世にはいないことも───。エアリスにとってこの話は、恐らく辛く暗いものだろう。何故、今そんな話をしたのか、続けられたエアリスの言葉で漸く理解した。
「沢山、伝えたいこと、あったんだ」
「エアリス……」
「何処に、行っちゃったのかなぁ。…ね、ナマエ?」
私に顔を向けたエアリスが、どこか哀しげに微笑んだ。ペリドットのような瞳に映り込んだ私は、自分でもよく分からない複雑な顔をしている。
「同じ後悔、して欲しくないの」
「……」
何が言いたいのかは、すぐに理解できた。エアリスは、私とクラウドのことを案じてくれているんだと。でも、私たちは生きる世界も、目的も、何もかもが違い過ぎる。血塗れの私は、ふたりが生きる眩しい世界には不釣り合いだ。
「辛いよね、ナマエ」
「───っ!」
優しく、穏やかな声色だった。心臓の柔らかいところをぎゅっと締め付けられるような感覚。誰かにそんなことを言われたのは、はじめてだった。思わず見開いた視界の中で細められるペリドットの瞳。なんでもお見通しだなんて、やっぱりエアリスはずるい。
「クラウド、ナマエのこと、家に連れて帰ってもいい?」
「え…?エアリス?」
「どういうことだ」
何を思ったのか、突然エアリスがそんなことを言い出したものだから、私はおろかクラウドまで怪訝な表情を見せる。
「家のほうが、安全だよ?」
「っそれは…」
「いいよね?ナマエ」
「……え、…」
確かに、クラウドとふたりになるのを渋っていたのは私だ。それに、一旦離れて気持ちを整理した方がいいのかもしれない。でも…、またクラウドに会える確証は、どこにもない。今日一日のクラウドと過ごした時間が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。思えば、まだ半日程しか経ってないんだ。それなのにこんなにも自分の中で、クラウドという存在が大きくなっていた。気づいた時には、もう任務のことなんて綺麗さっぱり頭の隅に追いやって、私はただ本能のままに口を開いていた。
「待って、私は───」
「駄目だ。ナマエは、俺が連れていく」
発した声はクラウドの声によって掻き消された。しかもそれは、私の胸を締め付けるのには充分すぎる程で。
「…そっか。じゃあ、ナマエのこと、よろしくね」
「ああ。ナマエ、行くぞ」
差し出された手と、真っ直ぐに私を射抜く魔晄の瞳。もう、誤魔化すことなんて出来そうになかった。だってその手もその瞳も、私だけに向けられたものだと思うと、嬉しくて堪らないんだ。不覚にも目頭が熱くなって、無理矢理笑顔を作って頷く。皮製のグローブを纏った大きな手に自分のそれを重ねようと手を伸ばす。けれど、微かに指先が触れたただけでそれが重なることは無かった。
「ティファ…!?」
突然開いた七番街へと繋がるゲートから出てきたチョコボ車に揺られる女性。その人物を視界に入れた途端、クラウドは弾かれるように走り出した。私はただ呆然と、行き場を失った右手を見つめる。
"ティファ"
クラウドからその名前が飛び出した瞬間、急激に心が冷めていくのがわかった。ああ、馬鹿だな、私。何を勘違いしていたんだろう。あの人がクラウドの特別な人で、私はそれ以上でもそれ以下でもなかっただけのこと。
「ナマエ…」
「痛い───」
小さく吐き出した言葉がエアリスに聞こえていたのかはわからない。でもエアリスは、静かに頷いて、私の背中に温かい手のひらをそっと添えた。
幾度となく自分がしてきた行為が、今更になって鋭いナイフのように胸に突き刺さる。騙して、踏み躙って、切り捨てて。けれど心の痛みが、こんなにも辛いものだったなんて。そんなことも今の今まで忘れていた自分が酷く滑稽に思えて、私は深く溜息を吐き出して夜空を見上げた。星ひとつも見えないどんよりとした空は、まるで私の心の中のようだった───。