目には見えないもの 
「ねえクラウド、シャンプー無くなってるよー。持ってきてー!」

前触れもなく突然部屋に上がり込んでくるなり、急なスコールで濡れたからとシャワーを浴びに行った名前から発せられた言葉に思わずぎょっとする。次に来たのは頭痛だった。まず普通に考えてくれ。男の部屋に上がり込んでシャワーを浴びるだけでも、大抵の男は勘違いをするだろう。加えてそこに、替えを持って来いなんて、普通言うか?

「クラウド?聞こえてるー?」
「……はぁ」

流石に盛大な溜息も出る。とにかく言うとおりにしないと後が面倒だから、と自分に言い聞かせるようにシャンプーの替えを持ってバスルームへ向かう。磨りガラス越しに肌色のシルエットが見えて、視界に入れないように顔ごと逸らして、ガラス戸の前に持っていたそれを置いた。

「…ここに置いておくからな」
「うん、ありがとう、クラウド」

本当に、そろそろいい加減にして欲しい。同郷で幼少期からよく知る名前が、5年ぶりに突然現れてからもう半年近くが立つ。何のために俺が離れたのか、微塵もわかってない名前に苛々とした感情が募る。いつも俺の後を追いかけては笑顔を見せる名前を、最初は面倒だと幼いながらに感じていた。それが、そうじゃなくなったのはいつからだっただろう。他の奴らにも同じように笑いかけるのを見る度、腸が煮えくり返って仕方が無くなって。いつか自分が暴走してしまいそうで、俺は名前から離れる選択肢を選んだ。それなのに。

「クラウド、シャワーありがと」
「…ああ」
「全部濡れちゃったから、服借りたよ」
「は?……っ!」

その言葉に振り返って、目を見開いた。俺のTシャツを一枚だけ身につけた状態の名前。名前にはサイズが大きすぎるのか、膝上丈になったシャツから細く白い足が剥き出しになっている。名前の無防備さもここまで来ると怒りを通り越して、呆れさえする。俺があんたをどういう目で見ているのか、本当に微塵も気付いてないんだな。

「…はぁ、」
「え…?クラウド?何か…怒ってる?」
「怒ってない。…俺もシャワー浴びてくる」
「あ、うん…」

不安げに俺を見上げる名前から視線を外して、足早にバスルームへ向かう。一刻も早く頭を冷やしたかった。あいつの無防備さは今に始まったことじゃない。昔からそうだ。ただ、昔と今とじゃ何もかも違うだろ。意識されていないとわかっていても、俺は男だし、名前は女だ。それくらいはわかって欲しい。
冷水に近いシャワーを浴びて、幾分か冷静になった頭で部屋に戻る。目に飛び込んできたのは、俺のベッドで横たわって寝息を立てる名前の姿。肌蹴たシャツの裾から覗く下着に、今度こそ本当に目眩がした。

「おい、名前」

声をかけても、起きる気配すらない名前。呼吸に合わせて上下する胸と半開きの唇に目がいって、ざわざわと心が騒ぐ。想いを伝えるつもりは、これから先も無かった。拒絶をされたら、笑いかけてすらくれなくなったら、そうなるくらいなら最初からしまいこんでおこうと思っていた。でももうそろそろ限界なのかもしれない。屈託のない笑顔で、こうして俺の元へ名前が来てくれる度に、無理矢理にでも俺のものにしたくて堪らなくなる。好きなんだ、名前が。
そっと名前の顔の横に手をついて、額にかかった髪を指先で払う。形のいい額に唇を寄せて口付けを落とした時、突然開かれた瞳と目が合って時が止まった。

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額に触れた柔らかい感触に、思わず私は目を開いてしまった。驚いたように見開かれる蒼眼。本当は、最初から寝てなんていない。クラウドが私をそういう目で見てないことが悔しくて、試すようにした子供っぽい狸寝入り。でも、今…。

「く、クラウド…いま、?」
「っ……気のせいだ何もしてない、寝てろ」

すぐに逸らされた瞳と、向けられる背中。ずっと、ずっと好きだった。子供の頃から、不器用で優しくて、誰よりも格好良い人。突然いなくなったあの日から再会できるまで、一日だってクラウドを思い出さないことは無かった。でも、クラウドの中での私はきっと妹のような存在で。また傍にいられるならそれでもいいんだって言い聞かせていたのに、こんなことされたら期待するなっていう方が難しい。

「…クラウド」
「──っ!?」

広い背中に抱き着いて、ぎゅっと腕を回す。びくりと強ばったクラウドに、私はそのまま口を開いた。

「ごめん…ずっと、起きてたの」
「は…?」
「私のこと、ちょっとは意識、して欲しくて…」

こんな言い方じゃ、子供の我が儘のようだと笑われても仕方ない。クラウドの反応が怖くて、しがみつくように回した腕が微かに震える。もう後戻りできないな、なんて今更になって怖くなってくる。

「…名前、」
「妹じゃ、やだよ…。クラウドの特別になりたい」
「……」

何も言わず無言のまま回した腕を解かれて、やっぱり言わない方がよかったんだと涙腺が緩む。どうしよう、もう妹としても傍にいさせてもらえない。あの口付けは何の意味も無かったのかもしれないのに、勝手に期待して、本当にバカみたいだ。涙が零れて咄嗟に俯いたら、ふわりと身体が包まれた。

「…っえ?」

抱き締め、られてる…?苦しいくらい強く回された腕に、何が起きているのか分からず混乱する。

「名前を妹だと思ったことは一度もない。…ずっと、俺だけのものになればいいのにと思っていた」
「っ、それって…」
「…好きだ、名前」

真っ直ぐ言われた言葉に、今度こそ涙が溢れて止まらなくなった。

「俺といると、名前の普通の幸せを奪う気がして、離れるしかなかった」
「そんなの…そんなの、クラウドの傍にいられなきゃ幸せなんかじゃない…っ」
「…悪かった。…名前、もう離してやれない」
「っうん、…うん…、大好き、クラウド」
「ああ、俺もだ」

涙で歪んだ視界でクラウドの瞳を見つめる。親指で溢れた涙を拭われて、どちらからともなく唇を重ねた。愛しいと言われているような眼差しに、胸が締め付けられて、やっぱり涙はしばらく止まってくれそうになかった。


(→あとがき)
    
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