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「やだ、ナマエ、その顔どうしたの?」

私の顔を見るなり、院長先生は目を見開いて傍に駆け寄ってきた。泣き腫らした、酷い顔。休んでしまおうかと何度も考えて、でも子供たちのことを思ったらそんなことは出来なくて。結局のところ子供たちにもやっぱり心配されてしまって、これじゃ先生失格だ。

「あ、いえ…ちょっと、悲しい映画を見ただけ、です」
「……そう」

無理矢理な言い訳に、院長先生はそれ以上何も聞かなかった。多分、何があったのか、鋭い院長先生なら気付いているはずなのに。その優しさが嬉しくて、痛い。顔でも洗ってこようかと院長室の扉を開けた瞬間、目の前にいた見知らぬ人と目が合って固まった。

「…っあ!もしかして、あなたがナマエさんですか!?」
「えっ?」

ぱっと目を輝かせて、手を取られてぎゅっと握られる。さらさらのショートブロンドに、人懐っこい笑顔と、黒いスーツ。私の名前をどうして知っているんだろうと戸惑っていたら、その後ろからルードさんまで現れた。

「イリーナ、ナマエ先生が困っているだろう」
「あ、すいません!つい…」
「…イリーナ、さん?」

ふと過ぎったいつかの光景。レノさんの電話相手で、後輩だと言っていた人。そっか、この人がイリーナさん。でも、どうしてルードさんとこんなところに。

「今日からルード先輩と一緒に調査をさせて頂く、イリーナです!あ、先輩は孤児院の調査任務から外れたんですよぉ」
「……え?」

イリーナさんから飛び出した言葉に、足元がぐらぐらと揺れるような錯覚を覚えた。レノさんが、孤児院の担当から外れた?それは、会社の指示?それとも、本人の意向?……私の、せい…?

「おい、イリーナ……」
「あっ、すみません…!」

ぐるぐると嫌な考えばかりが頭の中を駆け巡って茫然と立ち尽くす私に、イリーナさんは慌てて頭を下げた。それに無理矢理笑って首を振る。ああ、でも本当に、もう会ってもくれないんですね、レノさん。

「先輩、おかしいんですよ、最近。仕事ばっかりしてて。ね、ルード先輩?」
「…ああ、それは同意見だ」
「だから、ナマエさん。先輩に会ってあげてくれません?」
「……そんな、無理ですよ。私の方が、レノさんに拒絶されてるから…」

絞り出すように発した言葉に、イリーナさんとルードさんは小さく笑った。

「先輩も先輩ですけど、ナマエさんも遠慮しすぎですって。ね、ここ、行ってあげてください」

そう言ってイリーナさんから手渡された紙には、手書きでどこかの施設までの地図が描かれていた。全く知らない場所に、ただ首を傾げる。

「ヒーリン、私たち神羅の保養施設です。そこに先輩もいますから」
「!っでも、」
「ナマエさんのこと、待ってますよ、先輩」
「面倒な奴だが、レノのことを助けてやってくれないか」

真っ直ぐに私を見つめるふたりの顔には、レノさんを大切に思う気持ちが浮かんでいた。もう、レノさんを困らせたくない。これ以上、傷つきたくない。でも。もしも本当に私を待っていてくれるなら、もう一度、レノさんの顔が見たい。ぐっと拳を握り締めて、顔を上げる。

「仕事が終わったら、会いに行ってきます」
「ナマエ。今から、行きなさい」
「…院長先生?」
「あなたは、周りに甘えることを知らなすぎるわ。たまには我が儘になりなさい。彼が大切なら、尚更ね」

優しく諭されるような言葉に、胸が締め付けられる。頷いて深く頭を下げて、じわりと浮かんだ涙を乱雑に拭った。周りの人にいつも助けられてばかりの私が出来ること。それは下を向くことじゃない。前を向いて、レノさんと向き合うことだ。手の中の紙を大切に握り締めて、私はハウスを飛び出した。

「ナマエ、」
「っ、クラウド…」

自宅前の通りを走っていた時に、背後からかけられた声に振り向くと、眉を寄せたクラウドが立っていた。

「あいつのところに、行くのか…」
「…あの、クラ、───っ!?」

ちゃんと、クラウドとも話さなければいけないと思っていた。口を開こうとして、突然強い力で引かれた腕にそれは遮られて、建物の隙間に押し込まれ壁に背を押し付けられる。苦しそうな表情を浮かべたクラウドに目を見開いた瞬間、唇に触れた温かいもの。

「…ふ、…ん、!?」

至近距離にある、海色の瞳。触れていたのは、クラウドの唇。何かを堪えるように寄せられた形のいい眉と、泣き出しそうな瞳に、金縛りにあったように身体が動かない。ぺろりと唇を舐められて、そのまま舌が差し込まれて、強引に舌を絡め取られる。

「んん、っ、…は、…ん」

息継ぎさえさせてくれない、激しいそれ。ぐっと厚い胸板を押しても、後頭部を抑えられて、腰に回された腕が離れることはなくて。痛いくらいのクラウドの感情が流れ込んでくる。しばらくして離れた唇の間を銀糸が伝って、それはぷつりと切れた。まるで、私とクラウドみたいだと、酸欠でぼーっとした頭で考える。

「…行くな、ナマエ」
「クラウド…」

肩口に埋められた、クラウドの顔。絞り出された声は掠れていて、どこか震えていた。胸が、痛い。こんなに私を思ってくれるクラウドを傷付けたくない。優しくて、いつも助けてくれる、お日様みたいな人。でも、ごめんね、クラウド。もう、決めてしまったから。ゆっくりと手で胸板を押したら、今度はもうクラウドは抵抗しなかった。

「クラウド、私、行かなきゃ」
「……悪い、わかってたんだ」
「うん…いっぱい甘えて、傷付けて、ごめんね」
「あんたは悪くない。……行くんだろ、送っていく」
「大丈夫、ひとりで行けるよ。ううん、ひとりで行かないと」
「…そうか」

クラウドはもう、哀しい顔はしていなかった。小さく笑い合って、私はクラウドに背を向ける。途端に視界がぼやけた。泣くな、私が泣く権利は、ない。ぐっと涙を堪えて歩き出す。ありがとう、クラウド。あなたが居てくれたから、私は今こうやって前を見て歩けてる。
クラウドの頬に一筋伝った涙は、歩き出した私には分からなかった───。
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