たっぷりの愛を ひとくち

"あの時一歩踏み出していれば"だとか、"手を伸ばしていれば"だとか、そんなありきたりな恋愛ドラマでよく聞く台詞は一ミリだって心に響かないし、例えば実際に女々しく後悔なんてしたところで、歯が浮くような愛の言葉を叫びながら迎えに来てくれるような男も存在しない。結局のところ、後悔しようが後悔しなかろうが今ある結果が全てなのだ。


「ふぅ……」

目の前にどさりと崩れ落ちる大きな体躯の男。落ちた薬莢を回収して一息つく。主任からの指令は、最近スラムで名を聞かせている元神羅社員二人組の抹殺だった。なんでも神羅の機密情報を何の恨みか知らないが手当たり次第に吹聴して回っているとかで。そのうちの一人を路地裏に追い詰め、たった今しがた件の抹殺任務は完了した。
オートマチックのハンドガンをホルスターに収めた途端に、背後からカツカツと聞き慣れた革靴の音。何度聞いても、その音だけでその人物がいかに気怠さをたたえているか想像に容易いのだから、もう少しちゃんとすればいいのになんてこっそりと苦笑い。悟られればどんな目に合うかわかったものじゃないので、平然を装って振り返れば、夜闇を背負った鮮血のような赤髪がふわりと揺れた。

「そっちは片付いたのかぁ?」
「ばっちりです!レノ先輩は?」
「こっちも終わったぞ、と。ごくろーさん」
「お疲れ様です。じゃあ先輩のおごりってことで、いつものとこ行きましょっか!」
「はぁ?調子乗んな、誰がいつ奢るっつった?」
「え、行かないんですか?」
「今日はおまえの奢りだぞ、と」

にやりと意地悪く歪められた口元に相反して、私はむうっと口を窄めた。後輩にたかるなんてなんて酷い先輩だ。しかもちゃんと任務を無事こなしたんだから、少しくらい誉めてくれたっていいのに。こう見えて誉められて伸びる子なんですけどね!

「なんだよ、行かねーの?」

愛用のロッドを肩で遊ばせながら、行かねーなら帰るけど、なんてけろりと言ってのけるのだから人が悪い。いや行きますけど!と半ば啖呵を切るように言い放って、大股で先輩の横を追い越した。背後からくつくつと笑い声が聞こえて、それにきゅんと胸が締め付けられたのには気が付かないふりをして。


行きつけのバーでは、私たち以外に二組の客が各々酒を煽っていた。いつもの席、隅のカウンターに腰かけて、先輩の手にはスコッチのロック、私の手にはアマレットのロック。

「おまえ、そんな甘ったるいもんよく飲めるよな」
「美味しいんですもん。レノ先輩こそ、いつもスコッチばっかりじゃないですか」

うげ、と舌を出して顔を歪める先輩も、それはそれで様になるのだから男前はずるい。

「はん、お子様にはわかんねーか」
「わからなくて結構です〜」
「相変わらず可愛くねぇ」

ずきりと刺すような痛みが胸に走る。悪かったですね、なんて無理矢理笑ってグラスを一気に煽った。
どうせ、どうせ可愛くないですよ。先輩の好みなんて知らないけれど、私のような女じゃないことだけは確かで。こうやって適当にしていても、先輩はすごくモテるから、それこそ彼女なんて選びたい放題なんだろう。
既に空になったグラスを見つめながら、そんな考えても仕方の無いことをぐるぐると巡らせていれば、隣から聞こえてきたジッポの音。それからすぐに鼻をついたのは、先輩が好きな銘柄のシガレットの香り。なんだかものすごく久しぶりに嗅いだような気がして隣をちらりと窺うと、先輩は長い指の間に挟んだシガレットを深くひと吸いして、形の良い唇から紫煙を吐き出した。それはゆらりと立ち上って、膜を張るように宙を漂う。

「え?レノ先輩、禁煙してたんじゃないんですか?」
「あー、やめた」
「やめたって…。彼女さんが嫌がるからって、言ってましたよね?」
「そ。でもいーんだよ、別れたから」
「っは…?」

それがどうしたとばかりに、あまりにもさらりと吐き出された言葉が理解し難くて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。先輩は先輩で、私の反応が気に食わなかったのか眉を片方吊り上げたかと思えば、次の瞬間におでこに走った衝撃と鋭い痛み。

「ッい、たあぁ!なにするんですか!?」
「は?って名前ちゃん。おまえね、俺、先輩よ?」
「うぅぅ…絶対へこんだ、おでこ……」
「っふは、んな簡単にへこむかよ、と」

けらけら笑う先輩をじろりと睨むけれど、当の本人は何処吹く風で。
信じられない、この人。可愛い後輩に本気でデコピンする?……ああ、先輩にとっては可愛くない後輩か。
またしてもずんずんと沈んでいく気持ちを悟られたくなくて、バーテンダーを呼んで同じものを頼んだ。すぐに運ばれてきたグラスをひとくち煽って、カウンターに頬杖をつきながら紫煙を吐き出す先輩に口を開く。

「どうして別れたんですか」
「んー?面倒だろ、禁煙とか」
「え、それだけですか」
「面倒なこと言う女、俺嫌いなの」

随分酷い言い草だとは思うものの、それすら先輩らしい。そう、私はこれまで何度もその言葉を聞いてきたのだ。だから面倒な女にならないように、先輩に対しての想いにずっと蓋をしてきたし、ルード先輩には敵わずともパートナーとして足手まといにならないよう細心の注意を払ってきた。それなのに、それなのに先輩は、一度たりとも私を見てはくれない。私だったら、煙草を辞めてなんて絶対に言わないのに───。

「おまえなら言わねーのになぁ?」
「………え、」

咄嗟に隣に顔を向ければ、にやりと妖艶に上げられた口角。まるで心を読まれたかのような台詞。きょとんと固まる私を余所に、先輩は灰皿に吸いかけのシガレットを押し付けておもむろに立ち上がった。

「マスター、これで。釣りは取っといていーから」
「え、ちょ、レノ先輩?」
「なにしてんだよ。置いてくぞ、と」

呆れたように見下ろし、そのまま出口へと向かってしまう先輩を慌てて追いかける。私の奢りじゃなかったの、なんて聞く暇もくれないらしい。
店を出るやいなや、先輩はフェンスを背に取り出した新しいシガレットにまた火をつけた。紫煙は留まることなく夜闇に溶けて消えていく。

「また吸うんですか」
「おまえは嫌がんねぇから」
「な、んですかそれ…。さっきから、レノ先輩おかしいですよ」

じっと私を捉える双眸は、いつもの飄々とした先輩とはまったく違って居心地の悪さを感じるほどだ。ここだけ酸素が薄いような気さえする。
そんな目で見ないでください。意味深な台詞も吐かないでください。私は期待したくないんです。先輩が私を見てくれないのなら、せめて聞き分けのいい後輩でいさせて。

「名前」
「もう帰りましょうよ、明日も早いですし…。ね?」
「こっち向けって」
「もう、酔っ払ってるんですか?ルード先輩にまた煩く言われますよ………っ、ちょ、なに!?」

このよくわからない雰囲気に耐えかねて、先輩が何やら言うのも聞かず背を向けて歩き出した途端に、がしりと二の腕を掴まれ引き寄せられたかと思えば。

「っん、んん…!?……ッ、!げほっ、ッ、ごほっ!」

なんの脈絡もなく重なった唇に目を見開いたのは一瞬で、次の瞬間先輩の息とともに咥内にぶわりと吹き込まれたシガレットの煙。咄嗟に先輩の胸板を押し退けて、苦しさに噎せて激しく咳き込む。
本当に、本当に本当に信じらんない!なんなのこの人!肩で息をしながら涙目でぎろりと睨みつければ、先輩は心底愉しそうにくつくつと笑っている。

「っげほ、…なんなんですか、さっきから!」
「はは、嫌じゃねえくせに」
「はぁ!?嫌に決まってるでしょ!」

あまりにも横暴すぎる先輩に、こうなればいっそ腹が立って仕方がない。揶揄うためだけに唇を重ねられるなんてまっぴらだ。

「彼女と別れたからって、私を捌け口にするのやめてください!私の気持ちも知らないくせ…に………ッ!」

ぱしりと自分の口を覆ったけれど、もう何もかも遅かった。ああ、最悪だ。死ぬまで言うつもりのなかった言葉を、怒りに任せて口走るなんて。
先輩の顔を見ることが出来なくて、お疲れ様でした、なんて消え入りそうな声を振り絞ってすぐにくるりと踵を返す。きっと今の私は誰よりも面倒で、誰よりも滑稽だろう。

「知ってるからっつったら、どーする?」

聞こえてきた声に、ぴたりと足が止まる。

「……尚更、意味がわかりません。面倒な女は嫌いなんですよね」
「おー。好きでもねー女の面倒はみたくねぇぞ、と」

ゆっくりと振り返れば、先輩はいつものように飄々と、それでいて少しの甘さを含んで笑う。

「好きな女なら、なんでも許せるのになぁ?」
「あのレノ先輩が…?」
「ふは、このレノ先輩が。どうよ?優良物件だと思わねー?」
「煙草の煙を吹き付ける人が優良物件ですか?」
「っはは、嫌いじゃねーくせに」

つい先ほどと同じ台詞を吐いてにやりと口角を上げる先輩に、思わず力が抜けたように笑いが零れた。本当に横暴な人だ。ほら、と手を広げて待つ先輩に飛びついて、大きく開けられた胸元にぐりぐりと額を押し付けた。

「嫌いじゃないですけど、キス、ちゃんとやり直してくれなきゃ嫌いになります」
「しょうがねぇな。帰ったら嫌ってほどしてやるぞ、と」

たっぷりの皮肉を込めて面倒なことを言ってみても、先輩は愉しそうに笑うだけで、抱き締める腕の力を緩めようともしなかった。


やっぱりここはドラマではなく現実世界なので、歯が浮くような愛の台詞を叫んでくれる男はいない。けれどもこうして、横暴なまでの愛をくれる人はいる。
結局は、先輩の腕の中にいる今この瞬間がすべてなのだ。

2020.10.06
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