君がくれた素敵なこと

名前と所謂恋人関係になったのは、神羅ビルでのことだった。元から俺は名前が可愛くて仕方なかったし、いつか、例えば星を救うこの旅が終われば想いを告げてやろうと目論んではいたのだが。セフィロスを追って神羅ビルの屋上へと辿り着いた俺たちを待ち構えていたルーファウスと対峙した際、危険が及ばないようにと名前たちを先に行かせたはずが、彼女は何故かひとり戻って来て、地上へと転落する寸前だった俺を細くか弱い腕で掴んだ。離せと言っても聞かず、震えながらも決して俺を離さなかった名前を、寸でのところで這い上がった時には強く腕の中に抱き締めていた。好きだとひと言だけ、飾り気もなく気の利いた口説き文句すら言えない俺に、花が咲いたように笑って頷いた彼女を、この先なにがあろうと守り抜こうと心に決めた。
そうして晴れて恋人にはなったものの、俺はすぐに大きな壁へと直面することになった。

「周辺に聞き込み、行ってくるね!クラウド、行こ?」
「ん、あぁ…。名前、あんたも、」
「エアリス、クラウド、行ってらっしゃい!気を付けてね」

笑顔で手を振る名前に、僅かに後ろ髪を引かれる思いでその場を後にする。ほらな、まただ。
こういった様子で、名前はどうも遠慮がちなことが多く、特にエアリスやティファが絡むとそれが顕著になる。恋人関係になったことを仲間内には内密にしようと言い出したのも名前だった。それに関しては一向に構わないのだが、かと言ってこうもあからさまに接触を控えなくても良いのではないかと思わざるを得ない。俺としてはできるだけ多くの時間を名前と共に過ごしたいし、なによりも近くにいさえすれば予期せぬ事態が起きても守ってやれる。俺はあいつを、失いたくないんだ。

「クラウド?へーき?」

物思いに耽っていると、エアリスの顔が眼前に現れはっと我に返る。どうやら俺は街の往来でぴたりと止まってしまっていたらしい。

「…悪い、平気だ」
「ふふ。早く帰りたいー、誰かさんが気になって仕方ないー、って顔!」
「はっ?な、…そんなこと思ってない。そもそも誰のことだ」
「あ、ムキになってる〜。うーん、ふふっ、誰だろう?」
「はぁ……。いいから、聞き込みするんだろう」

そうでした、と笑うエアリスに溜め息が零れた。察しのいいエアリスのことだから、言わずとも名前とのことは気付かれているんだろう。こうして揶揄われることが時折あるので、その度に対処に困る。そもそも、だ。聞き込みならティファやそれこそ名前を連れてくるべきだろうに、敢えて俺を指名したのもこうして探りを入れるためなのかもしれない。もしくは面白がっているかのどちらかだ。再び溜め息を零しながら、今日こそ帰って名前と一度話をしなければと考えつつエアリスの後を追った。


***


「名前、少しいいか」

宿屋でバングルに嵌めるマテリアを吟味していれば、トントンと扉が軽く叩かれ、次いでクラウドの声が聞こえてきたので慌てて扉へ駆け寄る。

「クラウド?」
「話がしたい。入れてくれないか」
「え、あ、…うん」

改まって一体何だろうとは思いながらも、そっと扉を開いてクラウドを見上げる。いつ見ても綺麗な金色の髪と、コーネルピンの宝石のような瞳に見蕩れかけて、慌てて周囲を見渡した。廊下には人影がなく無意識のうちにほっと息をつけば、クラウドが僅かに表情を曇らせる。けれどそれは見間違いだったのかと思うほど一瞬のことで、クラウドはするりと部屋の中へ身を滑り込ませると後ろ手に扉を閉めた。

「どうかした?もうすぐ日付けも変わる頃なのに…」
「あぁ、遅くにすまない。今日、あんたとあまり話してなかっただろ。少し、一緒にいてもいいか?」
「えっ?う、うん、もちろん…!」

優しく微笑んだクラウドから飛び出した嬉しい言葉に、弾かれるようにぶんぶん頷く。ふたりの時間があまり取れてないこと、気にかけてくれてたんだ。大好きな恋人にそんなことを言われて嬉しくないはずがない。並んでベッドに腰を下ろせば、その近さに少しだけ緊張が走った。

「今日はバレットやティファと一緒だったのか?」
「うん、近くの魔物の討伐依頼があったから。バレットもティファも強くて一瞬で片付いちゃったけどね」
「あのふたりが相手じゃ魔物が不憫だな」
「あ、ティファに聞かれたら怒られるよ?」
「…秘密だ」

おどけたようにそう言ったクラウドがおかしくて、くすくすと笑っていればふいに大きな手が頭に触れた。髪を梳くように、優しい手つきで撫でていく。クラウドの手が心地好くてうっとりと目を細めると、同じように優しい声が高い位置から降ってきた。

「疲れてないか」
「うん?平気だよ、依頼が終わってから休んだし…」
「いや、そうじゃない。……色々と気を揉んでいるんじゃないか?俺には名前が無理をしてるように見える」

例えば、俺たちのこととか。
そう続けられた瞬間に、心臓がどくりと大きな音を立てた。図星をつかれたような気分で、ざわざわと落ち着かない。固まったままなにも答えられずにいる私を、クラウドは優しい眼差しで覗き込んで、頬にグローブを外した素手が触れる。すりすりと撫でていくそれが擽ったいような、むず痒いような感覚で目を伏せれば、今度はこめかみに甘い口付けが落とされた。

「あんたは何が不安なんだ?」
「……言わなきゃ、だめ…?」

自分の中で燻っている面倒な感情や、重苦しいものをクラウドに知られたくない。好きだと言ってくれた彼に嫌われたくない。そんな気持ちで言い渋っていれば、ふっと空気を揺らしてクラウドは小さく笑った。

「今日は言うまで離してやる気はないな」
「っ、ずるいよ…」
「あんたのことになると必死にもなる」
「な、なんでそんな、」
「あんたが好きだから以外に理由が必要か?」
「……う、……要らない…」
「ふ、なら話してくれ」

そんな風に言われてしまえば話さないわけにはいかなかった。おずおずと口を開く。
ティファやエアリスのことを思うと、どうしても遠慮して身を引いてしまうこと。それは、ティファはクラウドの大切な幼馴染みで、ティファもきっと特別な感情をクラウドに抱いているんじゃないかと傍から見て思っていたから。エアリスもきっとクラウドを慕っている。ぽっと出の私なんかがクラウドと恋人になったこただけでも恐れ多いのに、独り占めなんてしたくても出来ないこと。それから、足でまといになってクラウドに呆れられたくないこと。
そんなことを、口篭りながらぽつぽつと話しているうちに、やっぱり言うんじゃなかったと後悔が押し寄せてくる。こんな感情、クラウドには知られたらきっと彼は離れていってしまう。それが怖くて怖くて仕方ない。

「……馬鹿だな」

縮こまって震えそうになる手を握り締めていれば、クラウドから降ってきたのは存外優しい声だった。呆れられてないんだろうか。嫌われてないんだろうか。恐る恐る俯いていた顔を上げた途端、私は暖かい腕に包まれていた。

「エアリスは俺たちのことに気付いてるはずだ」
「…え?」
「ティファも確かに幼馴染みで、お互い特別な感情はある。だがそれは間違いなく親愛だ。こうして抱き締めたいと思うのも、いつも傍にいて欲しいと思うのも、俺にとっては名前ただひとりだけなんだ」

抱き寄せられ、耳元に吹き込まれる言葉は、驚くほど優しくて、そして甘かった。心臓がばくばくと音を立てて、それがクラウドにも聞こえているんじゃないかと気が気じゃなくなる。けれど何故だか、離れたいという気持ちは微塵も湧かないのだから不思議だ。

「あんたはこの関係を隠したいと言ったが、俺はいずれ、皆にも公言したいと思ってる。名前は俺のものだと、自慢したいのかもな」
「クラウド…」
「名前はもう少し自分本位になってもいいくらいだ。いつも周りを見て気遣って、それに俺たちは助けられているところもあるが…。俺にくらい、もっと甘えてくれ」
「甘える、って……そんなの、したことないから…」

いつも周りの目を気にして立ち回ってきた私には、甘えるということがどういうことなのかわからないのだ。無意識のうちに困惑が顔に出てしまっていたのか、クラウドは再び私の顔を覗き込んだ。きらきら輝く宝石のような瞳が、真っ直ぐ私を見据えている。吸い込まれそうだ。

「あんたがして欲しいことを言うだけでいい」
「して欲しい、こと…」
「あぁ。どうして欲しい?」

諭されるような口調に、少しずつ胸のつかえが取れていく。けれどまだ素直になれない私を、クラウドは根気強く、穏やかな表情で待っていてくれる。それが嬉しくて、切なくて、私は漸く震える声を絞り出した。

「…キス、して欲しい…。たくさん」
「可愛いな、名前」
「んっ、…!」

クラウドの綺麗な顔が眼前に迫り、次の瞬間には温かく柔らかい唇が重ねられた。啄むような口付けを幾度も繰り返され、じんと頭が痺れた頃に深くなるキス。合間に零されたのは、甘い言葉。

「は、……言われなくてもするつもりだったから、これじゃあ甘えられたことにはならないな。名前、次はどうして欲しい…?」

どろりと脳髄まで溶けてしまいそうな、甘い甘い砂糖のような言葉。それだけで、クラウドがどれだけ私を想って、愛してくれているのか分かってしまって、じわりと涙が浮かんだ。やっぱりすぐには、自分に自信を持てそうにないけれど。でもいつか、胸を張ってクラウドの隣に並びたい。だから───、

「ずっと、傍にいて欲しい…っ」

───あぁ、この先あんたを離すつもりはない。

そう満足げに微笑んだクラウドは、私の左手を取って、薬指のつけ根に口付けを落とした。また涙がぼろぼろと零れるのも構わず、少しだけ霧が晴れたような心で、目の前の愛しい人に強く強くしがみついたのだった。

2020.10.12
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