01


「名前さんって、お肌もちもちですべすべですよね!今日なんていつにも増してとってもつやつやしてます」
「えっ?そ、そうですか?」

ある日の蝶屋敷の昼下がり。
きよが着物の袖から覗く名前の肌を見ながら、唐突にそんなことをぽつりと零した。名前はそうかしらと自分の腕を凝視して首を傾げる。きよはもちもちすべすべと言うが、特段変わった様子はないし、あるのはいつもどおりの自分の腕なので合点がいかない。名前からすれば、きよだって充分すぎるほど肌がきめ細かく綺麗に見えた。

「羨ましいです。なにか秘訣はあるんですか?」
「秘訣……」

結局思い当たる節が無かった名前は、きよの問いに満足に答えることができないまま自邸へ戻り、不死川にそのまんま同じ問いをぶつけてみた。いつにも増して肌が綺麗だと褒められたけれど、特別なことはしていないのにどうしてでしょう、と。片や不死川はきょとんとして、それからすぐにさも当然のように口を開く。

「そりゃァこの前の温泉だろォ」
「…あ!」

瞬時に名前の脳内を、つい数日前の出来事が走馬灯のように駆け巡った。
刀鍛冶の里で不死川と共に過ごした、濃密な三日間の記憶だった───。


***


「わっ、わあ〜〜!これが、温泉…!」

もくもくと白い湯気が立ちのぼる湯だまりを前に、名前はきらきらと目を輝かせた。なんせ生まれて初めて温泉というものを目にするのだ。噂では聞いていたものの、地中から湧き出す天然の湯というものが不思議で仕方がない。特有の硫黄の匂いも心地が良く、竹藪で囲まれたこの地形も相まってまるで桃源郷のようにも思えた。感動に打ちひしがれ言葉を失っている名前を、傍らに立つ不死川は優しい眼差しで微かに笑みを浮かべながら見つめる。

「良かったなァ」
「はいっ!産屋敷様に感謝しなければ…!」

刀鍛冶の里は秘匿の地である。鬼殺隊の隊士や隠にも場所を知るものは少なく、まして一般人が立ち入れる場所ではない。何故ここに名前がいるのかといえば、それは産屋敷耀哉の計らい以外に無かった。昨今、巷では新婚旅行なるものが流行りはじめており、それにあやかる形で慰安や休暇も兼ね、祝言を挙げたばかりの不死川夫婦揃っての同行が許可されたのだ。そして刀鍛冶の里は温泉郷でもあるので、慰安には格好の地であった。

「離を用意してくれてるらしいぜェ。温泉付きの」
「温泉付きの!?」
「気兼ねなく入れるようにってなァ」
「わぁ、夢を見ているようです…!」

ぱあっと顔を明るく綻ばせる名前を横目に、不死川は笑っていいのか呆れていいのか複雑な心境になった。離にある温泉という意味をきっと名前はわかっていないのだ。誰にも邪魔されないふたりきりの空間で、混浴だとかそういう概念すらなく、いつでも好きなときに入れてしまうことを。そして不死川の邪な気持ちにも、てんで疎い名前は気付いていない。そういうところが可愛くて愛らしいのだが、同時に心配にもなる。いつか簡単に騙され絆されて、危ない目に合ってしまうのではないかと。

「ハァ……」
「実弥さん?」
「……あ?クソ、可愛いな…」

きゅっと羽織の裾を摘んで、小首を傾げて見上げてくる名前に、思わず不死川の心の声が漏れた。彼の頭の中は相も変わらず、名前可愛いクソ可愛いおいコラ抱き潰すぞ!!!、で占められているのだ。ましてや夫婦になってからは、箍が外れた不死川の煩悩が留まることを知らないので困ったものである。
羽織を掴んでいる名前の手を大きな手で包み込み、握りなおして離へ向かって歩き出す。先ほどから刀鍛冶の男たちが名前をちらちらと盗み見ては見惚れているので、不死川は大層むかむかとしていた。見初められてなんぼの遊女という商売をしていた名前を、かつてはよくもまあ許していたものだ。今となってはその事実すら信じ難いほどに、この不死川という男は、出来ることなら名前を誰の目にも入れたくないとすら思っているのだから。

長である鉄珍直々に案内された里の奥で、こぢんまりと佇む風情ある長屋が離となっていた。一見すれば庵のようにも見える、奥ゆかしさを感じる離に名前はまたしても目を輝かせる。この一角が竹藪に囲まれているので、里の者ですらそうそう立ち寄らないらしい。

「ふわぁ、お部屋も綺麗…!」
「っふ、…ふわぁってなんだよ」

離の立派な室内で感嘆の声を漏らす名前に、不死川はくつくつと喉の奥を鳴らして笑う。広い畳の間の障子を開け放てば、縁側の向こうに竹垣に囲われた庭と小さな温泉が間近にあった。秘湯のような佇まいに、案の定名前は口を開けて光景に見入っている。不死川はぐっと名前の肩を抱き寄せて、耳元に唇を寄せた。

「名前」
「っひゃ、…は、はい…?」
「とりあえず一風呂浴びるかァ?」
「え?あ、そう、ですね…。では実弥さんからお先にどうぞ」

耳元にかかった吐息に小さく身をよじりながら、仄かに赤くなった名前が不死川を見上げる。その返答にやっぱりかと不死川は困ったように眉を下げ、けれども次には意地悪く薄い唇が弧を描いた。

「馬ァ鹿。一緒に入らねぇでどうすんだァ」
「………っえ!?」
「そのための離だろォが。おら、脱げェ」
「えっ、え、えぇ!?」

途端にずりずりと後ずさりし始める名前を、不死川はじわじわと追い詰め、華奢な身体は漆喰の壁と不死川の逞しい肉体に挟まれ逃げ場が絶たれた。名前としては、まさか一緒に湯浴みをするだなんて微塵も想像していなかったので、茹で蛸のように真っ赤になりながらふるふると震え、縋るように不死川を見上げる。もちろん、完全に縋る相手を間違えているのだが。その潤んだ大きな瞳に案の定煽られた不死川は、端正な顔に愉悦を滲ませて、滅紫のような瞳に存分に欲を孕ませ名前を見つめる。

「夫婦になったんだし減るもんじゃねぇだろォ」
「減る減らないの問題では…っ!」
「せっかくなんだ、一緒に入らねぇともったいねーだろォ」
「も、もったいないって何がですかぁ!」
「ちゃあんと隅々まで洗ってやらァ」
「あっ、やぁぁ、解かないでくださいぃ…!」

まるで噛み合わない会話を繰り広げながらも、不死川の手が着物の帯紐をしゅるしゅると緩め、伊達締めまで器用に解いて帯をすとんと畳に落とす。名前の小さな抵抗をものともせず、あれよあれよというまに襦袢姿にひん剥かれてしまう。続いて不死川が羽織を脱ぎ、隊服をどんどん脱いでいくものだから、名前は直視できず顔を両手で覆ってあたふたとする他なかった。

「何度も見てんだから今更だろォが」
「そ、それとこれとは違いますよぉ…!」
「なら先入ってろォ。にごり湯だしそれなら恥ずかしくねぇだろ?」
「う、……ほんとに、一緒に入るんですか…?」
「腹ァ括りやがれ」

不死川は断固として譲る気はなかった。なんといっても、名前と一緒に湯浴みできる又と無い機会なのだから。屋敷の湯殿でも出来ないことは無いが、ゆったりと寛ぐには如何せん広さが足りない。それが温泉となれば広さも充分だし、離なので人目を気にする必要もない。この機会に一緒に入らずしてどうするのだと、そんな並々ならぬ不動の意思で不死川はいるのだ。

「ほんとにほんとに、ほんとうに?」
「そんなに嫌かァ?」

しゅんと効果音がつくほどに眉を下げた不死川に、名前がぐっと狼狽える。その顔は狡い、なんて思いながら、羞恥を堪え半ば諦めの境地で襦袢に手をかけた。絶対にこっちを見ないでくださいね、と背を向けた不死川に何度も念を押しながら。
事実、彼女としてもせっかくの休暇でせっかくの温泉郷なのだからと、気が大きくなっているところもあった。それに不死川がいつになく嬉しそうな上、お預けを食らった犬のように落ち込む素振りを見せられでもすれば、不死川が大好きで大好きで仕方のない名前は一瞬で絆された。今風に言えば、名前はとっても"ちょろかった"のだ。背後で不死川がにやりとほくそ笑んでいたことなど、まったく知りもせずに。

ふたりきりの桃源郷で過ごす三日間は、まだ始まったばかり。

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