はじまりの記憶

今でこそ実弥さんは甘すぎるくらいに優しく、蕩けてしまいそうになるほどの愛情を私にくれるけれど、最初からそうだったかといえば決してそんなことはない。
実弥さんとの出逢いは美談にできるほどいいものではなかったし、それがまさか百年の時を経ても色褪せないほど執念深く想い合う仲になるだなんて、その時一体誰が想像していただろうか。


***


私が蝶屋敷から歩いて二刻程の場所にある藤の家紋の家に出向くことになったのは、ひょんなことからだった。
負傷した隊士を藤の家紋の家で療養させているが、常備薬が切れそうだから持ってきて欲しい。ついでに怪我の状態も見てやって欲しい。そんな話が隠を通じて蝶屋敷に舞い込んできたのは夜更けだった。あいにくしのぶ様は任務で屋敷を空けていて、継子であるカナヲさんも不在、アオイさんは運び込まれた急患に付きっきりだったので、手が空いている私が向かう他なかった。隊士ではなくあくまで看護役の私は、夜明けを待ってから案内役の隠と連れ立ってくだんの家に向かうことになったのだった。

隠と別れ、家主様にご挨拶をして上がらせてもらうまでは良かったのだ。けれど私は、これは一体どういうことなのかと、通された一室の襖を開けて頭を抱えたくなった。

「あァ…?なんだてめぇ…」

畳に敷かれた一組の布団の上にどっかりと胡座をかいて、思いきり顔を顰め不機嫌さを露わにしている人物。見間違いでなければ、この人は風柱の不死川様だ。浮いた青筋をぴくりと動かし、泣く子も黙るような恐ろしい顔で私を睨めつけていた。
どういうことだ。負傷したのは隊士ではなかったのか。いや、正しくは柱も隊士ではあるのだけれど、だったら何故柱だと言ってくれなかったのだ。というか、この人は見るからにとても元気そうですが。たしかに腹部に繃帯は巻いているが、怪我人はこうして我が物顔で布団の上に鎮座したりしない。

「おい、ぼけっとしてんじゃねェ…!てめぇはなんだって聞いてんだろうがァ」
「蝶屋敷看護役の苗字名前です。お薬を届けに来ました。それから、容態の確認を」
「看護役だァ?必要ねェ。薬だけ置いてさっさと帰れェ」

なんなんだ、この人は。まるで野良猫かなにかにするように、しっしっと手で追い払われ、顔は忌々しそうに歪められ目も合わせすらしない。噂に違わず粗暴で愛想のひとつもありゃしない。同じ柱でもしのぶ様とは天と地ほどの差だ。この険呑な空気にあてられ、こちらまで苛立ちがふつふつと沸いてきてしまう。それをなんとか抑えながら、努めて冷静に持参の薬箱を開けば、目を血走らせてぎろりと睨まれた。

「……聞こえなかったのかァ?」
「風柱様、困ります。せめて傷口の確認だけでも。このまま帰れば私がしのぶ様に叱られます」
「あァ?知ったこっちゃねぇなァ。つべこべ言ってねぇで、斬られたくなけりゃ早く帰りやがれェ」
「……わかりました。柱でもあろうお方が、人間を斬るなどと仰るとは思いませんでした。命が惜しいので帰ります、お大事に」

すっと立ち上がり風柱を見下ろす。つい嫌味混じりに返してしまったが、これくらいは許して欲しい。苛立ちが抑えきれなくなる前に、言われたとおり帰ってしまおう。容態の確認はできなかったけれども、これだけピンピンしているのであれば問題もないだろう。
風柱に背を向け、深い溜め息を吐き出す。二刻かけて来てみればこの扱いか。感謝してほしいなんて思っていないけれど、私は刀を取れない看護役で、前線で身体を張る隊士の方々にできることと言えば、治療くらいしかないのだ。それすらさせてくれないというのは、まるでお前は鬼殺隊に不要だと、そう言われているようだった。

「てめぇ、喧嘩売ってやがんのかァ…?」
「何の儲けにもならないものは売りませんよ」
「あ゛ァ!?」

凄むような怒声が後ろから聞こえたけれど、再びお大事に、と返して襖に手をかける。
ここからまた二刻か。蝶屋敷に戻る頃にはくたくたに疲れきっていることだろう、と思ったところで状況は一変した。

「ッ、ぐ……!」
「風柱様!?」

背後から聞こえてきたのは苦しそうな呻き声だった。弾かれるように振り向けば、布団を握り締めて俯く風柱様。つい先ほどまでは白かった繃帯に、いつの間にか血が滲んでいた。

「失礼します!」

散々な言われようで苛立っていた心はどこかに飛んでいった。目の前で苦しむ風柱様を放っておけるわけもなく、素早く彼の肩口を押して布団へ横たわらせる。風柱様は険しい顔で抵抗しようとしたけれど、上手く力が入らないようでぐったりと布団に身体を預けて肩で息をしている。

「ってめ、なんの、つもりだァ…」
「大人しくしていてください。繃帯を切りますから暴れないで」
「、触んじゃね、…!」

既に隊服はおおきく肌蹴られているものの、この状態ではまだ処置の際に邪魔になる。洋袴に仕舞われている隊服の裾を無理矢理引っ張り出して上半身を剥き出しにすれば、風柱様は目をおおきく見開いてさらに青筋を浮き立たせた。そんなことには目もくれず、薬箱から取り出した糸切り鋏で繃帯に切り込みを入れていく。はらりと繃帯が解ける頃には、生々しい傷口が露呈した。

「……傷は深くありませんが、不自然に膿んでますね。恐らく毒の類かと。この手の毒は回ると面倒です。かすり傷だからと侮れば痛い目を見ますよ」
「ごちゃごちゃ、うるせェ…。ほっときゃ治んだろォが…」
「息も絶え絶えに言われても怖くありませんよ」

患部が酷く熱を持っている。話すだけでも腹の傷に障って痛むのだろう。この状態でよく普通にしていられたものだと、目の前の男の忍耐強さを恐ろしくさえ思う。
しのぶ様が調合した解毒薬は何種類か持ち合わせがある。その中のひとつを脱脂綿に含ませ、傷口に押し当てて手早く新しい繃帯を巻いた。

「痛みが酷ければこれをお飲みください。鎮痛薬です」

枕元に小瓶に入れた薬を起き、立ち上がって窓障子を開ければすぐに飛び込んできた風柱様の鴉。その子に向かって口を開く。

「三日です」
「……あァ?」
「風柱様は三日の療養が必要です。お館様に言伝をお願いします」
「はァ!?勝手なことしてんじゃねェぞクソがァ!!……っう、ぐ!」
「傷に障るので喋らないほうがいいですよ。それから、この三日は私も付き添いますので宜しくお願いしますね、風柱様」

青筋が無数に浮き立つ額に浮いた脂汗を手巾で拭いながらそう言えば、風柱様はその手を忌々しげに払い落として、おおきなおおきな溜め息を吐き出した。言い返す余裕すらなくなったのか、それからは私に背を向ける形でごろりと横になってしまった。
羽織りに刻まれた殺の文字に呆れた視線を向けながら、この長い三日をなんとか乗り越えてみせると、心に決めたのだった。


***


「……んなこともあったなァ」
「あの頃の実弥さんはほんとに怖かったなぁ…」
「おまえだってクソ生意気で、めんどくせぇ女が来やがったってうんざりしてたわ」

ソファに腰かける実弥さんの脚の間に収まって、後ろからぎゅうっと抱き締められながら昔話に花を咲かせる。
うんざりしてた、という言葉が聞き捨てならなくてむっと口を尖らせて顔だけ振り返れば、小さく笑った実弥さんがそこに触れるだけの口付けを落とした。

「……今も、うんざりしてますか?百年たったのに、未練がましく追いかけちゃう面倒な女だって…」
「バーカ、んなもんお互い様だろォ。忘れてた俺が言うのもなんだけどよォ、名前が俺を忘れずにいてくれて良かったぜェ」

こうして今度こそおまえを傍に置いておけるんだからなァ。
そうしみじみと噛み締めるように言って、実弥さんは私の身体をソファに沈めた。こんなに甘くて溶けそうなおおきな愛をもらえるなら、一心に実弥さんを追いかけて良かったな、なんて考えながら、降り注ぐ口付けに身を委ねた。


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