おそろいのしあわせ

宇髄さんという人は、学内でとても有名な人である。良い意味でも、悪い意味でも。まずとにかく目立つ。198cmというそうそうない身長、モデルかと見紛うほどに整った顔立ち、むらのない綺麗な銀髪と、とにかく纏うオーラが並大抵ではない。そんな世間離れした容姿をしているものだから、学内の女の子が彼を放っておくわけもなく、宇髄さんの隣にはいつも必ずと言っていいほど女の子がいる。しかも、毎回相手が違う。一言でいってしまえば、彼と平々凡々な私とでは住む世界がまるで違うのだ。
けれど今、そんな宇髄さんは私の隣でキャンバスに向かい、いつになく真剣な表情で筆を滑らせている。何故こんなことになっているのかと言えば、時は二ヶ月ほど前に遡る。


美大の卒業要件のひとつは、学生の殆どが苦しめられるであろう卒業制作である。日本画を専攻している私もかくゆう内のひとりで、毎日遅くまでアトリエに篭っては、ああでもないこうでもないと題材決めに頭を悩ませていた。卒業制作の提出期限は一月末。もう既に、タイムリミットまで二ヶ月を切ろうとしていた。
その日もいつもと同じようにアトリエに残り、自分の過去作をずらりと並べて、そこからなんらかの着想を得ようとしていた。結果は、見事惨敗だったけれど。
時計をちらりと見れば、短針は8と9の間を指していた。今日もまた題材すら決められなかった……と肩を落としていると、突然アトリエの扉が開かれた。こんな時間に人が来るとは思ってもいなかったから、恥ずかしいことに盛大に肩が跳ねてしまう。

「あ、わりー。驚かせた」
「えっ、あ、宇髄さん…?」

そこに立っていたのは同じ学科の有名人、宇髄さんだった。とは言っても関わりなんてものはあるはずもなく、この四年間で一度たりとも話したことはない。宇髄さんは有名な人だからまだしも、彼はきっと私の名前すら知らないだろう。

「あー、苗字、だっけ?」
「え…」
「あれ、違ったか?」
「あっ、いえ!苗字です!」

まさか、名前を覚えられているとは。宇髄さんは、間違ってたかと思ったじゃねーか、とかなんとか言いながらごく自然に私の隣に立つと、並べていた過去作に目を落とした。

「ぎゃあ!見ないでくださいー!」

こんな駄作でお目汚しをするわけにはいかない。慌てて椅子から立ち上がって宇髄さんの視界を遮ろうとするけれど、悲しいことに身長差がありすぎて、まったくと言っていいほど意味がなかった。

「これ…苗字が描いたのか…?」
「う、…は、はい…。すみません、こんなものをお見せして…」
「……すげぇ。これ白梅か?画材は墨だけか?どんくらいかかった?」
「え、あ、あの…?」

もの凄い勢いで詰め寄られ、肩を掴まれて矢継ぎ早に次々と質問を投げかけられる。端正な顔が至近距離にあって、心臓がばくばくして落ち着かない。大きな瞳は、童心に返ったかのようにキラキラと輝いていた。

「なぁ、苗字。おまえ、俺と一緒にやんねぇか?」
「へ?やるって、なにを…?」
「卒業制作に決まってんだろうが!おまえの水墨画と、俺の油絵。絶対ド派手なもんができると思わねぇか!?」
「え、ええ!?」
「そうと決まりゃ、時間もねぇし早いとこ取り掛かろうぜ」

な、なんて強引な人なの。私が口を挟む間もなく、宇髄さんの中では勝手に決定事項として話が進んでいて、あまりにも早急な流れに頭が追いつかない。確かに卒業制作は複数人での合作も認められているし、そこに関してはなんの問題もないかもしれないけれど、これまで一度も話したことがない人と組んで合同制作なんてできるのだろうか。しかも相手は学内で著名な宇髄さんだ。私じゃなくとも一緒に組みたい人なんて山ほどいるだろうし、とにかく荷が重過ぎて無理だ。
そんな私の気持ちもそっちのけで、あれよあれよという間に手回しがされ、気が付けばその翌日には宇髄さんとの合同制作が決まってしまったのだった。


「名前、ちょっとこれ見てくんねぇ?」
「うん。…あ、ここ、ローアンバーにしない?その方が柔らかい雰囲気になるんじゃないかな」
「んー、なら少し締めたいからローアンバーにインディゴ混ぜてみるか」
「あ、それいいかも!」
「だろ?」

宇髄さんとの合同制作が始まってから、私たちの間は想像もできないほど近づいていた。
失礼な話だが、こうして一緒に作業をするようになるまで、宇髄さんは所謂軽い人なんだと思っていた。いつも女の子と居るし、誰にでも優しいし。住む世界が違いすぎて、女好きの遊び人だと思い込んでいたのだ。それこそ、美術にかける思いもそこまで強くないんじゃないかと、卒業さえできればいいと思っているんじゃないかと、私の中で勝手なイメージが出来上がっていた。
でも実際はまったくそんなことなくて、キャンバスに向かう顔は真剣そのもので、この作品にかける思いもとても強かった。アトリエにいる間の宇髄さんは、人が変わったようにその瞳に情熱の炎を灯す。ああでもないこうでもないと話し合う時間は、いつの間にか私にとってかけがえのない時間になっていた。それと同時に、日に日に宇髄さんに惹かれていく自分にも気付いていた。
けれどそんな楽しい時間も、終わりがもうすぐそこまで近づいていた。今日は1月29日。作品の提出期限は、明後日だ。

「あー、くそ疲れた…」
「宇髄さん、先に帰っても大丈夫だよ?私もここだけ手直ししたら帰るから」
「馬鹿か、置いて帰れるかよ」

椅子の背もたれにぐったりと凭れかかる宇髄さんに声をかければ、その体勢のまま宇髄さんは視線だけを私に寄越した。返ってきた言葉は、単純な私を喜ばせるのには充分なものだった。決してストレートに待っているとは言わないところが、なんだか宇髄さんらしくて胸がほっこりした。それが10分でも15分でも、少しでも宇髄さんと居られる時間なのであれば嬉しくないわけがないのだ。

「一時はどうなることかと思ったけどよ、なんとかなるもんだな」
「あはは、そうだね。全部描きなおしになったときは流石に焦ったけど」
「ま、俺らにかかりゃこんなもんよ。…明後日で終わりか。一瞬だったよなぁ」
「………うん、ほんと、一瞬だった」

宇髄さんが終わりかと口にした途端、アトリエに流れる空気がしんみりとした気がした。
なんで言っちゃうかなぁ。私は言わないようにしてたのになぁ。口にすれば最後、途端にそれが現実味を帯びて胸を締め付けることがわかっていたからだ。
案の定鼻の奥がツンとして、慌てて筆を動かしながら取りとめもない会話を続ける。

「宇髄さんは、先生になるんだよね。すごいなぁ、きっと生徒に大人気になっちゃうんだろうなぁ」
「あー、女子高生に囲まれんのも悪くねぇよな」
「ふふ、男子生徒には嫌われちゃうかも」
「ハン、男にどう思われようが、知ったこっちゃねーわ!」

宇髄さんらしい言い草にくすくすと笑いながらも、私はその間もずっと涙を零すまいと堪えていた。今日が終わって、明日が来て、明日が終われば、もうこうして宇髄さんと他愛もない話をすることもなくなるんだろう。こんな平凡な私が宇髄さんと一緒に居られたことがそもそも奇跡のようなものだったのだ。夢は醒めるものだから、みっともなく縋りたくないし、せめて最後まで笑い合っていたい。宇髄さんの前で涙なんか零すもんか。

「…ん?名前、ちょっとこっち向いてみろ」
「え?な、なんで?」
「いいから」

まさか気付かれてしまったんだろうかと愕然としながら、無駄だとわかっていても抵抗する。何がなんでも宇髄さんのほうを向きたくなくて、噛り付くように目の前のキャンバスを見つめ続けていれば、ガタンと椅子が動く音が聞こえて宇髄さんは私の横に立った。

「こっち向けって、名前」
「や、やだ…」
「はぁ?ったく、訳わかんねぇ駄々捏ねんな!」

痺れを切らした宇髄さんが私の顎に手を添えて、強引に上を向かされる。綺麗な顔の宇髄さんがじっと私を見つめたかと思えば、彼は何故かぷっと吹き出して、挙句大きな声で笑い始めてしまった。

「え、え?なに?」
「おまえ、顔中墨塗れじゃねーか!どうやったらこんなになるんだよ」
「わっ、え、」

ひいひい笑いながら、作業着の袖でごしごしと私の頬を拭う宇髄さん。えぇ、そんなに墨塗れだったんだろうか。それはもう、滅茶苦茶恥ずかしい。

「意外と鈍臭いよなぁ、おまえ」
「うぅ、ごめんなさい…」

いつの間にかすっかり涙は引っ込んでしまっていて、目を閉じてされるがままに大人しくしていれば、すべて取れたのか触れていた袖が離れていった。そっと目を開けた私は、思わず目を見張ってしまう。宇髄さんはもう笑っていなかった。代わりにあったのは、キャンバスに向かっている時と同じ、とても真剣な表情。

「宇髄さん…?」

名前を呼んでも彼は何も答えてくれない。でも次の瞬間には大きな手が私の目元を覆っていて、急に暗くなった視界に混乱しながらももう一度宇髄さんの名前を呼ぼうとして開きかけた唇に、温かくて柔らかいものが重なった。それが宇髄さんの唇だと気付いたのは、熱が離れていってからだった。目元を覆っていた手も退けられ、視界が途端に明るくなる。

「う、ずい…さん……?」
「勘違いじゃねぇと思うから言うわ。これが終わっても卒業しても、名前と離れたくねぇんだけど、おまえも同じだよな?」
「え…っ!ま、まって、…今、…え?」

じっと見つめられて言われた言葉がいまいち理解できなくて、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら宇髄さんを見上げる。離れたくないと、彼は今そう言ったんだろうか。いや、そんなことより、宇髄さんにキスされた?え、でも待って。宇髄さんの周りには沢山女の子がいて、傷つきたくなくて聞いたことはないけれど、彼女だっていないはずがなくて。

「はぁ……。どうせ余計なこと考えてんだろ。そういうとこも可愛いけどよ、俺ってそんなに信用ねぇの?」
「かわ…?え、まってごめん、ちょっと」
「あん?まさかマジで俺の勘違いじゃねぇよな…?名前、おまえが好きだっつってんだけど、わかってるか?」

………好き?誰が?誰を?宇髄さんが?私を?
私は遂に片思いを拗らせすぎて、起きたまま夢を見られるようになったんだろうか。それは凄いことだ、革新的だ。
むに、と頬を力強く捻ってみる。

「……いひゃい」
「いやなにしてんだオイ……」
「夢じゃ、ない…」
「あー、馬鹿可愛い」

気がつけば私は、眉を下げて笑った宇髄さんにぎゅうっと抱き締められていた。宇髄さんの香水の香りに包まれて、頬に当たった胸からトクトクと少し早い鼓動が聞こえる。
温かくて優しくて、忘れていたはずの涙がぶわりと込み上げてきた。

「う、宇髄さんん…!わっ、わたしも、私も好きですうぅ…!」
「派手に泣いてんじゃねえよ!ったく可愛いなオイ」

嗚咽混じりに溜め込んでいた大きすぎる想いを吐き出せば、宇髄さんはまた笑って回した腕に力を込めた。堰を切ったように止まらない涙が宇髄さんの胸元を濡らして、つめてぇわ、なんて言いながらも宇髄さんは決して私を離してくれなかった。
私たちはこうして、おそろいのしあわせを見つけられたのだった。



「作品提出し終わったら、抱かせろよ」
「……へ?」
「この二ヶ月、俺がどんだけ我慢したと思ってる。嫌ってほどド派手に可愛がってやるから、覚悟しとけよ?」
「えぇ………」
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -