柳煤竹

「名前、名代だよ。奥の座敷だ」

姐さんの座敷へ向かうため廻廊を歩いていると、背後からお内儀さんに声をかけられた。はい、と返事をしつつ名代と聞いて思い浮かんだのは不死川様だったけれど、前回廓に訪れてから実はまだ三日も空いていないのだから、さすがに違う主様かと思い直す。ほんの少し、残念な気持ちを浮かべながら。

「あの強面の主さんだからね」
「えっ!」

お内儀さんの言葉にぱっと顔を上げる。強面、それは不死川様のことに違いない!こんなに早くお会いできるとは思っていなくて、心が浮き足立つのが自分でもよくわかる。逸る気持ちが駄々漏れになるのも構わず、お内儀さんにいわれた座敷に足早に向かおうとしてはたと気付く。そう、そうだ、おはぎ!おはぎを買ったのだった!はしたないだとか、遊女が廻廊を走るなど言語道断だとか、そんなのも全部忘れて一目散に自室へ戻って、おはぎの包みをむんずと掴み来た道を駆け抜ければ、案の定お内儀さんに見つかってこってり怒られた。ぺこぺこ頭を下げながらも早く不死川様にお会いしたくてうずうずしてしまう。名代がある手前、お内儀さんもわりとすぐに解放してくれたので助かった。後からもの凄く怒られそうだけれど。
また怒られてはかなわないので、気持ち早足で座敷まで急いで中に声をかける。

「不死川様、名前です」
「ん、はやく入って来い」
「はいっ」

わかりやすいほど舞い上がってしまうのはもうこの際仕方がないと諦めよう。襖を開ければ不死川様は目を細めて小さく笑った。今日もとても素敵、なんて高鳴る胸を押さえながらお傍に腰を下ろさせてもらう。

「随分嬉しそうじゃねぇか」
「嬉しいです!」
「ははっ、名前は主人の帰りを待つ犬みてぇなもんだしなァ」
「はい、不死川様限定の」

もし私に尻尾が生えていれば、きっと千切れんばかりにぶんぶんと振り回しているはずだ。おまけにぽんぽんと頭を撫でられるものだから、これが犬であれば鼻にかかる甘えた鳴き声を出しているだろう。不死川様の大きな手が心地よくてされるがままになっていれば、ふと目についたのはおおきく開かれた着流しから見えた繃帯。ぎょっとして不死川様のお顔を見上げれば、不死川様はきょとんと首を傾げた。

「ん?」
「お怪我、されたんですか…?」
「あァ…昨晩の任務で少しなァ。擦り傷だ、大したことねぇよ」

安心しろ、と未だに頭を撫でられるけれど、安心なんてできるはずがなかった。鬼狩りにお怪我はつきものなのだろうか。擦り傷だから良かったものの、これが深手であれば、あるいは考えたくもないけれど致命傷となれば、不死川様の命だって危ないのだ。父や母の死に際は覚えていないけれど、不死川様にはそんなことになって欲しくない。実際に痛々しい繃帯を目の当たりにして、私は途端に怖くなってしまった。不死川様を失うのが。

「名前?……っ、お、い…!?」

私は無意識のうちに、繃帯が巻かれた腹部に手を伸ばしていた。ここに不死川様がいることを確かめたかったのだと思う。指先でゆるゆるとそこを辿れば、不死川様は焦ったように私の手首を掴んでそれを制止した。

「なにしてやがんだ、おまえはァ…!」
「い、痛かったですか?」
「そうじゃねェ。妙なことすんなっつってんだよ」

妙なこととはなんのことかしら。怪我をしたときにするおまじないを真似ただけなのに。まさかそういった迷信のような不確かなものはお嫌いとか?などとお門違いな考えをしていることに勿論私は気付くはずもなく、眉を八の字に下げれば、不死川様はおおきな溜め息を漏らしてご自身の目元を手で覆った。

「不死川様?」
「おまえのそれは、態となのか素なのかわかんねェ…」
「それ…?」

不死川様は時折、こうしてよくわからないことを言うのだ。そしてそんな時は必ず、困ったような、なにかを堪えているような、そんな険しい顔をなさるのである。きっと私の言動のなにかが不死川様の中で引っかかってしまっているのだと思うけれど、それがわからないので毎度私も頭を抱えてしまう。謝っても、謝るなと怒られてしまう。なので私は、たまに不死川様のことがよくわからなくなる。
とても困ったので、とっておきのものをここぞとばかりにお出しすることにした。背後に置いていた包みを後ろ手に探りながら取って、未だに顔を覆ったままの不死川様の前にそれを差し出す。

「あの、不死川様、これをどうぞ」
「うん…?」
「開いてみて下さい」

漸く顔をあげた不死川様の手の上に包みをちょこんと乗せる。私の手では収まりきらないのに、不死川様の手にはすっぽりと収まった柳煤竹色のそれ。僅かに怪訝な顔をしながらも丁寧な手つきで包みを開けば、不死川様のお顔は途端にぱっと明るくなった、気がした。本当にお好きなんだ、おはぎ。どうしましょう、可愛いです、不死川様がとても可愛く見えます。

「これ、どうしたァ?」
「吉原でとても人気がある甘味処のおはぎなんです!」
「食っていいのか?」
「はい、ぜひ」

いただきます、と行儀よく手を合わせてから、包みの中のひとつを手で掴んで口に運ぶ不死川様。お口に合うかしら、なんてどきどきしながらその様子を見つめていれば、視線に気付いた不死川様がもうひとつおはぎを手に取って私のほうへ差し出してきた。

「おまえも食えよ」
「え?あ、いえ、私はいいんです!不死川様が全部お食べ下さい」
「いいから。オラ、口開けろォ」
「ま、っむぐぅ…!」

待ってくださいと口を開いたところに、強引におはぎを突っ込まれる。あ、美味しい。上品な甘さと、小豆の柔らかい皮が残った独特の食感がふわふわの餅米に絶妙に合っている。昼間のあん蜜は味がわからなかったけれど、それはもう頬が落ちるほど美味しい。

「おいひいでふ」
「あァ、美味いな」

満足げに笑う不死川様に安堵していれば、ぬっと伸びてきた親指が私の口端を拭っていった。きょとんとしながらそれを目で追うと、不死川様はそのままぺろりと指を舐めた。綺麗な形の口から覗く紅い舌がゆっくりと指を這うのが酷く扇情的で、急激に顔に熱があつまっていく。血が沸騰したように身体中が燃えるほど熱くて、心臓がばくばくとおおきな音を立てる。恥ずかしいやらなにやらで、瞳まで潤んできてしまった。

「なっ、な、なな…」
「あ?」
「な、なにしてるんですかぁ…!!」
「餡子がついてたから取ってやったんだろうがァ」
「口でっ、口で言ってくださいぃ…!」
「あァ!?おま、…泣くほど嫌だったのかァ!?」
「っちがいます、やじゃないけど、そうじゃないけどぉ…うぅぅ」

十七年生きてきてそんなことを男性にされたこともなければ、それが意中の方ともなれば恥ずかしすぎてどうしたらいいのかわからない。しかも、大切な主様にさせていいことではないのだ。あまりにもテンパりすぎて、遊女らしからぬ口調で涙をいっぱいに貯めていれば、不死川様は何故か目を細めて嬉しそうに笑ったのである。

「悪かった。ほんと、可愛いなァ、おまえは」

そう言った不死川様の瞳には、深い慈愛のようなものが浮かんでいた。声色も、幼い子供にかけるようなとても優しいもので。可愛いと言われれば嬉しいはずなのに、不死川様は私を通して他の誰かを見ているような気がして、なんだか妙に寂しくなってしまった。

「ぐす…」
「ほら、泣くんじゃねェ。そういや、これ自分で買ったのかァ?」
「はい…、昼間に宇髄様とお会いして…。不死川様はおはぎに目がないと仰るので…」
「……あ゙?宇髄、だとォ…?」

ぐすぐすと鼻を啜りながら宇髄様のお話した途端、不死川様が纏う空気が突如としてひんやりしたものだから、ぴたりと涙が止まった。

「宇髄がここに来たのか」
「い、いえ、昼間なので大門通りの甘味処で…」
「大門通りィ…?いやちょっと待て、おまえ、外に出れんのか?」
「はい、稽古がない日は、出ようと思えば…。大門の外には出られませんが、通り内は歩けます」

毎日毎日出歩けるわけではないけれど、鯉夏姐さんやお内儀さんに許可を頂きさえすれば、それなりの自由はあるのだ。

「……てめぇそういうことは早く言えェ」
「え、」
「宇髄なんぞと勝手に外で会ってんじゃねぇよ!」
「えぇ?宇髄様とは遣いに出た際にたまたま…」
「つーかなァ!昼間も会えるんだったらそう言えやァ!」

何故だかもの凄く不機嫌になってしまった不死川様にぽかんと開いた口が塞がらない。宇髄様とお会いしてしまったのはそんなにまずいことだったのだろうか。とは言えあれは不可抗力というか、本当に偶然だったのだからどうすることもできないし。
あ、と頭に浮かんだひとつの答え。

「もしや不死川様も一緒に甘味処に行きたかったのですか?」
「………は?」
「私が宇髄様と甘味処に行ってしまったから…。不死川様もきっと食べたかったですよね、あん蜜…」
「なァおい、俺をおちょくってんのかァ…?」
「いえまさか!でもそれくらいしか理由が思い当たりません…!」

ふん、とふんぞり返ってそう言えば、不死川様はそれはもう深くて長くておおきな溜め息をお腹の底から吐き出したのだった。

「もういい……とりあえず名前がクソ鈍感でクソ馬鹿なのはわかったわァ……」
「あまりにも辛辣で驚いてます」
「間違っちゃいねぇだろうがァ。…あ゙ー、疲れた」

心底ぐったりとした様子で唸る不死川様に、もう帰ってしまわれるんだろうかと悲しくなる。悲しくて寂しいけれど笑顔でお見送りしなければ、と自分を叱咤していれば、不死川様は立ち上がって私を見下ろした。

「なに湿気たツラしてやがる。寝屋はここじゃねぇんだろ?」
「え?」
「おまえまさか忘れたわけじゃねぇよなァ?一緒に寝てくれんだろォ?」

あ、忘れていました。
図星をつかれびくりと肩を強ばらせた私に、不死川様はごごごと音がするような怒気を発して、それはもう泣く子も黙る恐ろしい笑顔を浮かべた。腕を引かれ強引に立たされ、早く案内しろとばかりに私を見つめる不死川様に気圧されながら、寝屋へと続く廻廊を歩き出したのだった。

─柳煤竹─

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