茜色

その日、私は昼間の吉原を歩いていた。厨で切らしたという玉子を買いに、大門通りを商店に向かって進む。昼間と言えども人通りはそれなりにあるもので、振袖を纏っていれば通行人の視線も突き刺さる。とはいえもはや慣れっこなので、夜に見世にいらして下さいね、と期待を込めて微笑んでみせれば、ほうと感嘆の声が上がった。
人の波を掻い潜りながらしばらく歩いたところで、通りの奥のほうに見覚えのある方を見つけた。人の頭ふたつもみっつも抜きん出た上背と、筋骨隆々のお体。あの方は不死川様といらっしゃった、ええっと、たしか、

「宇髄様…?」

口に出すつもりはなかったが無意識のうちに名前を呟くと、その拍子に宇髄様は驚いたように振り返った。さらにはばっちりと目も合ったものだから、思わず目が点になる。
聞こえたのでしょうか。人の話し声が飛び交うこの喧騒の中で、とても小さな声だったのに。いやそんなまさか、そんなことあるはずがない。たまたま振り返っただけでしょう、と思いつつ歩み寄ってきた宇髄様にぺこりと頭を下げる。

「あぁ、おまえときと屋の!どうした?呼んだよな?」
「えっ?まさか、聞こえたのですか…!?」

それがどうしたとばかりに首を傾げる宇髄様に、背筋を悪寒が走り抜けた。地獄耳どころではない耳の良さである。おかしなことは例え小声でも言わないように気をつけようと心に決めて、遣いに出ている最中であることを宇髄様にお話した。

「へぇ、買い出しも新造がやんのか」
「普段は裏方や禿の子たちがするんですけど、私は昼間の吉原も好きなので、稽古がない時は無理言って遣いに出させてもらってるんです」
「ほー、熱心なこった。それならおまえ、ちっとばかし時間あるか?」
「あ、はい。玉子も急ぎではないようでしたし、夕刻までは特になにも」
「そんなら、そこの茶屋でも入ろうぜ」

宇髄さんが指さしたのは、ときと屋も御用達にしているおいしい甘味処だった。特に自家製の餡子が甘すぎず小豆の風味を引き立てておいしいので、主様方に茶請けとしてお出しすると大層喜ばれるのだ。けれど吉原に店を構えているだけあってそれなりに良い値段はするので、私にとっては贅沢品なのである。

「ご一緒したいのは山々なのですが、あまり持ち合わせが、その、なくて…」
「あん?俺様が誘ったんだから気にするな、好きなもん食え!」

そう言ってぐいぐいと腕を引かれ軒先の長椅子に座らされるものだから、有難くお言葉に甘えさせてもらうことにした。店主さんが品書きを持ってきて下さって、私はそのなかからあん蜜を、宇髄様はぜんざいを選んだ。

「宇髄様、ありがとうございます。ここの餡子、とっても美味しいんですよ」
「なら丁度いいじゃねぇか」
「丁度いい、とは?」
「不死川はおはぎに目がねぇのよ」
「えっ、そうなのですか!」

それは初耳だしとても耳よりな情報だ。不死川様はあの容姿でおはぎがお好きなのか。そんなところまで可愛らしくて、胸がほかほかした。またひとつ不死川様のことを知ることができて、なんだかとても嬉しい。不死川様が次にいらっしゃる時はおはぎをご用意しよう。あ、でもおはぎは日持ちがしないから、いついらっしゃるかわからないとそれも難しい。でもおはぎを美味しそうに頬張る不死川様はどうしても見てみたい。きっととても可愛らしいでしょう。
そんなことを考えて、はっとする。いつの間にか私はだらしなく口元を緩めてしまっていたようで、隣に座る宇髄様がにやにやと面白そうに私を見ていた。顔に熱が集まるのを頬に手を当てて誤魔化せば、宇髄様はついに吹き出した。

「ド派手に惚れてんのなぁ、不死川に」
「ほっ!?ほ、惚れ…え!?」
「あいよー、おまちどうさまー」
「えっ、あっ、ありがとうございます!」

なにを言い出すのかとそれはもう頭が真っ白になって慌てふためいていれば、店主さんが盆にのせたあん蜜とぜんざいを私たちの間に置いた。これこそ丁度いい!なんて思いながら、遊女も名折れの下手な笑いを浮かべて宇髄さんにぜんざいを差し出す。

「さっ、さぁ宇髄様!頂きましょう!」
「ぶふっ、おまえ面白い奴だな!」
「うん、おいしいです!ね、宇髄様!」

お腹を抱えて笑う宇髄様に居心地の悪さを感じながら、あん蜜の求肥をぱくりと頬張る。おいしいと口には出したものの、味なんてわからなかった。とてもおいしいはずなのに、なんだか心うちがざわざわと落ち着かなくて、何の味もしなかった。
宇髄様の言葉が頭の中で木霊する。図星だったのだ。私は不死川様に惹かれている。けれど私は遊女なのだし、日に日におおきくなっていく不死川様への気持ちも気付いてはいても認めるわけにはいかなかったし、思いを寄せたところで誰もしあわせにはならない。私も、不死川様も。年季が明けるまで吉原を出ることはできないのだから、少なくともあと十年は遊女として勤めるしないのだ。そんな生粋の廓人間に好かれたところで、不死川様にとっては迷惑この上ないだろう。
もぐもぐと口に入れたあん蜜の具を咀嚼しながら、味がしないんじゃせっかく宇髄様にご馳走になったのに申し訳ないなぁ、なんて上の空で考える。

「……まぁ、色々あるよな」
「そうですねぇ…」
「突き出しは近いのか?」
「あと半年もないですね…」
「そうなりゃ、一人前の女郎か」
「一人前かどうかは自信ありませんが、お客様を取ることはできますね…」

ふうん、と相槌を打ったきり、宇髄様は黙り込んでしまった。一見の大見世で花魁を買うだけあって、遊廓の仕組みについても宇髄様は詳しいご様子。突き出しとは新造の通過儀礼のようなものであって、これを経て初めてお客様を取れるようになるし、床入りが出来るようになる。同衾の際の手出しが御法度でもある新造とは違って、主様と肌を重ねたり、御奉仕をさせて頂いたり、そういった本当の意味での遊女になれるのだ。
そうなれば不死川様以外の主様とも……。そう考えて嫌悪感が湧き上がりそうになるのを必死に堪えながら立ち上がる。

「宇髄様、ご馳走様でした。とってもおいしかったです」
「そりゃよかった。せっかくだし嫁に手土産でも買ってくかねぇ」
「わぁ、それはいいですね!きっととても喜ばれます」

そういえば宇髄様には奥様が三人もいらっしゃるのだと不死川様に聞いたことがあった。最初は驚いたけれど、色男だしとてもお優しい方だから妙に納得してしまったのを覚えている。今も宇髄様は並べられた甘味を熱心に眺めていて、奥様方を心から愛しているのが窺えて微笑ましい。

「あっ、宇髄様、ひとつお聞きしてもいいでしょうか?」
「ん?」
「鬼狩り様方は、事前に非番の日が決まっていらっしゃるのでしょうか?」
「決まってる時もあるにはあるが、伝令がこなけりゃ非番だ。どっちにしろ少ねぇけどな」
「そうですか…」

鬼が蔓延る世界なのだからとわかっていても、想像以上に鬼狩りというのは過酷で多忙なのだと改めて思う。
宇髄様に聞いても結局非番の日はわからなかったのが少し残念ではあったが、とりあえず宇髄様に習っておはぎを三個包んでもらう。不死川様にお渡しできると思って買ったわけではなく、せっかくの甘味だったのに味がわからなかったのが悔しかったからだ。

「では、宇髄様。そろそろ見世に戻ります。お忙しいのにお付き合い下さって、ご馳走までしていただいて、本当にありがとうございました」
「いや、俺こそ強引に連れ回して悪かったな」
「そんな、とっても楽しかったです!」
「おー、不死川によろしくな」

宇髄様のほうが不死川様によくお会いしているのでは?とは思いつつ頷いて、最後にお辞儀をしてから宇髄様とお別れする。
それから当初の目的である玉子を商店で購入して、日が傾き始め茜色に染まる大門通りを歩き出した。
なんだか今日の私は終始上の空だった。宇髄様のお言葉をお聞きしてからは特に。これまで遊女であることを恥じたことはないし、外のことはよく分からないからそんなことを考える機会もなかったけれど、毎夜人のために鬼を狩り続けている不死川様を前に、胸を張ることができるかと聞かれれば答えは否だと思う。
だめだめ、余計なことは考えず、ご多忙の合間を縫って来てくださっている不死川様がゆっくりお休みできるように努めよう。それくらいしか出来ないけれど、なにか不死川様のお力になりたい。
私はもやもやとしたものを胸のうちに抱えながら、ときと屋に戻るのだった。

不死川様がその晩、訪れるとも知らずに。

─茜色─

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