蒲公英色

「私は、田舎の生まれなんです。それも、うんと山奥の」

ようやく謎の動悸も治まった頃、私はとりあえず出自について不死川様にお話することにした。愚痴なんてお聞かせするわけにもいかないし、というより愚痴といって思い当たるような事柄はない。言われたとおり、堅苦しくならないように気を付けながら話し出せば、不死川様はお猪口に口をつけながら視線を寄越した。ちゃんと聞いてる、とその瞳が仰って下さっている。なんだか、胸がぽかぽかと暖かかった。

「父は薬師でした。山で取れた薬草を調合して、山を下って町まで薬を売りに行くのが日課で。厳格な人でしたが、とても優しかったのを覚えています」
「…そうか」
「母は病弱でした。父の薬でなんとか症状を抑えていましたが、日に日に衰弱していっているのは、子供ながらにわかっていました。私に血を分けた弟妹がいないのも、母の身体の具合が良くなかったからです」

でも、寂しくなんてなかったです。父も母も、ひとり娘の私を目に入れても痛くないほど可愛がってくれましたから。そう言えば、不死川様は、うん、と優しく頷いた。不死川様は、笑うと吊り目が細まってとても優しい目になる。そのお顔を見ると、やっぱりどうしても心臓がばくばくするのだ。そして心臓がぎゅうと締め付けられて、なんだかとても……泣きたくなるのだ。

「私が七つの頃、父も母も、……鬼に殺されました。でも、実をいうと、よく覚えていないんです」

あの日になにが起きたのか、本当に思い出せない。あまりに凄惨な光景に、もしかすると自分で記憶に蓋をしたのかもしれない。自己防衛本能とか、そういった類で。気が付いた時にはもう、女衒に連れられときと屋に買われていた。今の私を形成している記憶や思い出は、そこから始まっているのだ。だからこそ、この暮らしも幸せだと感じられているのかもしれない。そういえば、不死川様を一目見た時に脳裏に過ぎったあの褪せた記憶は一体…?
いつの間にか物思いに耽っていたことに気付く。なんの反応も返ってこない不死川様を不思議に思ってちらりと窺えば、不死川様はお猪口の中で揺れる日本酒に視線を落としていた。

「不死川様…?」
「ん?……あー、なんでもねぇよ」
「やっぱり、遊女の出自なんてつまらなかったですよね…」
「はァ?んなこと誰も言ってねぇだろォ」

心底心外だとでも言いたげに眉を顰める不死川様にほっと息を吐いた。でもどこかうわの空だったように見えたのは、気のせいだったのかしら。既に中身が無くなってしまっているお猪口に徳利を傾けながら、畏れ多くも気になっていたことを聞くため口を開いた。

「不死川様、ひとつお聞きしても?」
「なんだ」
「不死川様は、鬼狩り様ですよね…?」
「!………どうしてそう思う」

大きく目を見開いて、不死川様は私をじっと見つめる。あまりにも唐突な問いかけに驚いている様子だ。かなり踏み込んだ質問であることは承知の上だったけれど、どうしても気になっていたのだ。それからこれは、できればもっともっと不死川様のことを知りたいという、純粋な欲でもあった。

「一目見てわかりました。失礼ながら、不死川様のお身体の傷は、刀傷ですよね?」
「…刀傷だけで鬼狩りだと思ったのかァ?」
「このご時世、刀傷なんてそうそう作れませんよ。帯刀すら禁じられていますから。それに………鬼に親を殺されたと言った時、聞き返されませんでしたから」

本当は鬼狩り様だと確信のようなものがあったからこそ、私は不死川様に両親の話をしたのだけれど、思ったとおり不死川様は何も仰らなかった。鬼という存在自体が、世間では空想上の妖の類として扱われているし、信じているのは実際その目で鬼を見た人間だけだ。鬼に親を殺されただなんて言えば、大体が訝しげな目で見られるか、酷いときには精神的な病を疑われることすらあった。でも不死川様は、とても真剣な顔をなさっていたから。

「…あァ、その通りだ」
「ではもしかして、今日も?」
「宇髄が調査してる。俺は付き添いみたいなもんだがなァ」
「そうでしたか。宇髄様というのは、先ほどの美丈夫なお方ですよね?」

何気なく聞き返した言葉であったのだが、不死川様はお猪口を口に運ぼうとしていた手をぴたりと止め、じろりと、またあの怖い顔で、私を睨めつけたのである。不死川様が纏う空気がなんだかひんやりしていらっしゃるから、あれ、おかしなことを言ってしまったかしらと途端に不安になる。空になった徳利を持ち替えようとしていたところだったので、ふたり揃って動作の途中でぴたりと静止している様子は、傍から見ればとても滑稽だったかもしれない。

「……おまえ、ああいうのがいいのかァ?」

たっぷりの間を空けて、大層訝しげな表情でそんなことを聞くものだから、頭の中は疑問符でいっぱいになる。不死川様が仰る、"ああいうの"、とは聞かずとも宇髄様のことだとわかった。わかった上で、いいのかと聞かれると、首を傾げるしかなくなる。いいも悪いもあるものか。遊女にとって主様方は、総じてとても有難いお方なのだ。

「えぇっと…?あの、仰ってる意味がよく…」
「あァ?宇髄を美丈夫だなんだ言ったじゃねぇかァ!」

言いました、それは言いましたけれど!どうして私は不死川様に詰め寄られ尋問まがいのことをされているのでしょうか。
とは、火に油を注ぐだけのような気がして口に出せなかった。なんとかこの場を収めなければと思考を巡らせた結果、感じたことをそのまま伝えてしまおうと思い立った。

「宇髄様は確かにとても眉目秀麗なお方ですけれど、私は不死川様も負けず劣らずだと思ってます」
「はァ…?何を言い出すかと思えば、随分な社交辞令だなァおい」
「遊女ですからそう思われても仕方がないです。でも、私は不死川様の笑ったお顔を見ると、胸が苦しくなります。宇髄様にとても失礼な物言いかもしれませんが、そう感じたのは、不死川様だけでした。もっと知りたい、たくさんお話したい、笑っていてほしい。誰かに対してそう思ったのは……その、…はじめてで、私も……戸惑っています…」

最後のほうは、完全に尻すぼみだった。話している途中で、それはもう訳がわからなくなるほどの羞恥心がこみ上げてきたから。さらには、不死川様が終始目をまん丸にして、じぃっと私を見つめていたからだ。職業柄、主様におべっかを使うこともやっぱり多いのだけれど、今私が不死川様に伝えたことは、すべて紛れもない本心であった。なんだか無性に恥ずかしくて、穴があればもう一目散に頭から突っ込んでしまいたい。それから出来ることなら、その穴を私ごと埋めてもらいたい。

「…ックソが……俺を殺す気かァ……」

ぷしゅうと音を立てて、毛穴という毛穴から湯気が出そうになっている私には、なにやらボソボソと呟いた不死川様のお声は届いていなかった。がりがりと頭を掻き毟ってから突然すくと立ち上がった不死川様を見上げれば、そのお顔からはなんの感情も窺い知れない。

「今日は帰るわ」
「えっ…!?も、もうお帰りになられるんですか…?」

あまりにも唐突なお言葉に、やっぱり余計なことを口走ってご機嫌を損ねてしまったのかと途端に心臓が冷えていく。主様がお帰りになりたいと仰っているのだ。勿論、一遊女にそれをお止めする権利なんてものは存在しない。
でも、そんな、もう少し不死川様と…。そんなことをぐるぐると考えていれば、ふっと息が空気を揺らす音が聞こえ、頭の上におおきな、とても温かいものが乗せられた。それが不死川様の手だと気付いた時には、またぼっと火がついたように顔が熱くなった。結った髪や刺した簪が崩れないように、あくまで優しくぽんぽんと置かれる手に、なんだか幼子が綾されているような気持ちになる。

「んな顔すんなァ。また来る」
「っほんとうですか…?」
「あァ。名前、って言ったかァ?」
「は、はい…!」

名前を呼ばれて、また優しく笑いかけられて、胸に広がるじんわりとした暖かさ。気を抜けば帰らないでと言ってしまいそうで、ぐっと唇を引き結んだ。

「そん時は、またおまえがついてくれるんだろォ?」
「あ……あの、そうしたいのは山々なんですが…」
「うん?」
「私はまだ突き出し前の新造なので、お客様は取れないのです」
「あ?そうなのか?」

また会いに来て下さるという言葉に柄にもなく浮かれてしまって、肝心なことを忘れてしまっていた。不死川様は眉を顰めて、私の前にしゃがみ込んだ。来て頂けるのはとても嬉しい。私も是非不死川様につかせて頂きたい。けれどそれは即ち、確実に不死川様のご負担になってしまうということでもある。それも金銭的な、大きな負担に。

「はい…。今日は名代で上がらせてもらいましたが、普段は…」
「あー、なるほどなァ。わかった」
「ですから…」
「花魁を呼べばいいんだろ」

ですから、無理はなさらないで下さい。そう言おうとしたのに、不死川様はひとり納得なさって、また立ち上がった。その返答に目を丸くしたのは私のほうだった。花魁を買うということがどういうことなのか、本当に分かっているのだろうか。今回は鬼に関する調査とのことだったから必要経費だったのかもしれないけれど、普段来るというのであれば話は別だ。

「お待ち下さい、不死川様!それは…」
「っふ……。ほんとおまえ、女郎向いてねぇなァ。客が金出すっつってんだ。それを止める女郎がいるかァ?」

くつくつと笑う不死川様に、うっと言葉が詰まる。そんなに無邪気に笑ったりもするのか。不死川様の一挙手一投足に心臓が壊れたように煩くなるのだから、今日の私はやっぱりおかしいのかもしれない。不死川様の周りに、もはや蒲公英が咲いているようにすら見えてしまう私は重症だ。

「っつっても、夜は鬼殺があるから来れんのは非番の日だけだ」
「それでも嬉しいです…。けど、うぅ、」
「俺の息抜きに付き合えよ。名代は必ずおまえがつけェ。いいなァ?」
「はい…」

私の返答に満足げに笑って、最後にまたぽんと頭を撫でられ、見送りはいいと言い残して不死川様は部屋を後になさった。
お内儀さんに主様お帰りのご報告をして、それから鯉夏姐さんの座敷に戻らないと。そうは思っても、不死川様の手の熱がまだ残っている気がして、私は暫くその場を動けずにいたのだった。

─蒲公英色─

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