薄紅梅

とても、綺麗だと思った。月並みかもしれないけれど、本当に。紫水晶色の髪はところどころぴょんぴょん跳ねていて、それがなんだか可愛らしい。そんな可愛らしさに反して、顔立ちは驚くほど端正なのだ。目つきは鋭い三白眼で一見怖そうだけれど。頬から鼻筋を横切るような大きな傷跡からは色香すら感じてしまう。こんなお方でも廓遊びなんてするのかと、失礼は承知だけれども驚いた。

「おまえ………」

私を視界に入れた途端に、胡座に頬杖の体勢から顔を上げ、切れ長の瞳を大きく見開いてそう呟くものだから、なにか気に障ったかとどきりとした。気に障るもなにも、襖を開けて挨拶をしただけなのだけれど。
あれ、でもなんだか、私はいつだかもこんな光景を見たことがあるような。妙な既視感を覚えて、昔の記憶を引っ張りだそうとはしてみるものの、霞がかって肝心なところには行き着けない。

揺れる紫水晶の頭髪、差し伸べられる手、赤く染まった視界。

なにか思い出せそうなのに、記憶の欠片が上手く繋がらない。ひとつ思い浮かべれば、さきのひとつが薄れていく。掬いあげた水が時間をかけて指の隙間から零れ落ちるような、そんな感覚を覚える。とうの昔に蓋をした、哀しい記憶を掘り起こすというのは酷く疲れるものだ。

「悪ぃ、待たせたな。…おっと、名代の子来てたのか」
「っあ…、失礼しております…!名代の名前と申します」

背にした襖が開かれる音ではっと我に返る。いけない、主様を前にしてぼうっとしていた。かけられた声に慌てて振り向けば、そこにいらっしゃったのは見上げなければ顔立ちすら窺えないほど上背があるお方だった。それもぱっと目を引く華やかな顔立ちの二枚目であるから、やっぱり御二方とも廓遊びにはどうも似つかわしくないなと思ってしまう。

「揃って惚けた顔してどうした?」
「あァ?してねぇよ。てめぇが遅ぇから待ちくたびれてたんだろうがァ」
「はは、そりゃ悪かったな。ほら、おまえもそんなとこに居ねえで、こっち来いよ」
「はい、それでは…」

促されるままに座敷の上座にお座りになる御二方の元へ行き、お酌をするべく徳利を手に取る。上背がある方の主様から、お猪口に日本酒を注いでいく。ただなんだかとても、その、…やりづらい。その原因はお隣に座る主様なのだけれど、それもそのはず、じぃっと私の顔を凝視しているのだ。それはもう、じぃっと。顔中が穴だらけになるんじゃないかしらと不安になるほどに。

「あの…?」
「あ?」
「いえ…」

もしかすると私は気が付かないところで、この方になにか仕出かしてしまったのだろうか。まったく記憶にないのだけれど、とても怒っているご様子だ。お顔立ちが相当に整っているのが相まって、迫力がもの凄いのだ。
ただ、新造と言えども、私も遊女の端くれ。緊張と不安を感じずにはいられないが、それを表に出すことは許されない。にっこりと笑みを浮かべて、眉根を寄せるその方に向かい合い徳利を差し出せば、思いの外素直にお猪口が突き出された。うーん、怒っていらっしゃるわけではないのかしら。

「それにしても、鯉夏花魁に負けず劣らずの佳人じゃねぇか。なぁ、不死川」
「……さァな」

このお方は不死川様、というらしい。目が合ったので小首を傾げれば、小さく舌打ちをして不死川様はそっぽを向いてしまった。様々な主様がいらっしゃるから、機嫌を損ねてしまうことは珠にあることなのだけれど、こうもあからさまだと流石に胸が痛む。どうしたものかと考えあぐねていれば、お隣の主様が動く気配。

「そんじゃ、あとはふたりで宜しくやっといてくれ。俺はちょっと出てくるわ」

お猪口の日本酒を1口に煽ると、おもむろに立ち上がり、くるりと向きを変えて歩き出してしまう。厠だろうか、それならご案内差し上げなければと腰を浮かせれば、不死川様の手がぬっと伸びてきてそれを制された。

「おう。手っ取り早く済ませろォ」
「えっ、どちらへ…?」
「それを聞くなんざ野暮ってもんだぜ、名前ちゃん」

にやりと口角を上げて片目を瞑ってみせるその様は、その風貌に似合ってとても妖艶だった。確かに野暮用を聞くのは野暮だわとかぶりを振って、笑顔で送り出すことにした。襖に手をかけ一度此方を振り返った主様と目が合う。

「そいつ、悪い奴じゃねえから。むしろそれが平常運転なのよ」
「うるせェ、早く行けェ!」
「へいへい、じゃあな」

不死川様の怒声に動じる様子もなく、宇髄様はけらけらと笑いながら静かに襖を閉じた。なるほど、いつも不機嫌なお方なのか。そうなると笑った顔が見てみたいと思ってしまうのが人間の性である。けれどまずは、これ以上機嫌を損ねないように留意しようと、この瞬間心に決めたのだった。


そう決めたのはいいけれど、努力というものは決してすぐに実を結ぶものではないのだと、ひしひしと痛感していた。なんていったって、会話が続かないのだ。やれ日本酒のおかわりはいかがですか、やれ寒くはございませんか、などと声をかけてみても、返答は決まってあぁだとか、大丈夫だだとか、一言で済まされてしまってその後は沈黙なのだ。かといって初対面の私に踏み込んだことを聞かれるのは、それはそれで嫌だろうなと思えば、此方からの質問も限られてくる。もはや八方塞がりだった。
鯉夏姐さんに言わせてみれば、こうした気難しい主様の心を開かせてやっと一人前の女郎なのだろうけれど、やっぱり私はまだまだなのだと自分の不甲斐なさに落ち込みかけていた。

「なァ」
「っは、はい?」
「チッ……んな警戒すんな、取って食ったりしねぇよ」

警戒しての挙動ではなかった。突然不死川様の方から声をかけられた驚きで、声が上擦ってしまっただけだ。そうとも知らず、不死川様はがりがりと頭を掻いて目を逸らしてしまう。

「不死川様、お気を悪くさせてしまってすみません…。少し驚いただけなんです。その…なんだか、緊張してしまって…」
「……緊張?」
「あっ、違います!決して不死川様のせいだとか、そういったことを申し上げているわけではないのです!」

私はなにを言っているんだろう。主様に向かって緊張していますなど、遊女が発していい台詞ではない。客商売とは、しかもそれが廓となれば余計に、大金を払って部屋にお上がり頂いた主様を楽しませてなんぼなのに。ちらりと不死川様を上目で窺えば、これでもかと眉根を寄せられて怪訝な顔をしていらっしゃる。ああ、やってしまった。鯉夏姐さん、せっかくの一見様なのに申し訳ございません…。

「おい、それも遊女の手管かァ…?」

がっくりと項垂れていれば、不死川様は不機嫌さを顕にそんな言葉を投げつけてきた。それとはどれのことだろう。先ほどの失礼な物言いのことであれば、遊女の手管どころか、紛れもなく遊女の失態だ。
それにしても自分はこうも仕事が出来ない質だっただろうかと頭を悩ませる。なんというか、不死川様を前にしてからというもの、いつも通りに出来ないのだ。それがどうしてなのか、今すぐ答えは出そうにない。
うーん、と首を捻れば、不死川様はそれはもう盛大な溜息をおつきになった。

「ハァァ……」
「う、すみません…」
「……っだァー!さっきからなにに謝ってんだてめぇはァ!」
「す、すみません!!っじゃなくて、えぇっと…!」

それはそれは泣く子も黙る鬼のような形相、いや鬼というものが実際にいる今生でそれは不謹慎かもしれないけれど、とにかく青筋を浮かせて怖い顔でそんなことを言うものだから、思わず畳に額を擦りつけんばかりに頭を下げた。謝るなと言われても、不死川様がお怒りになられているとしたら十中八九私の不徳の致すところだろうし、ああ、どうしたら。この数秒程度の間、私の脳内は目まぐるしく高速回転していた。そんな中で小さく、あーそうじゃねぇ、違う、なんてボソボソとした呟きが聞こえてきたから恐る恐る顔を上げてみる。

「あー、悪ぃ……花街なんざほとんど来ねぇから勝手がわかんねぇんだ。……おまえの話、聞かせろ」

不死川様は、先ほどとは打って変わって、バツが悪そうな、困ったような表情を浮かべていた。ひとつひとつ言葉を選んで、噛み砕いて伝えて下さっているんだと、穏やかな声色からもわかる。その瞬間に私は確信した。不死川様は、とても不器用で、それでいてとてもお優しい方なのだと。怖いだなんて思ってごめんなさい。いや、事実あの形相は本当に怖かったのだけれど。
ただ、私の話が聞きたいだなんて、そんな初めての申し出に困惑しているのも確かだった。遊女たるもの、主様のお話を聞くのが仕事のようなものだからだ。話せと言われても、こういう時には一体なにを話せばいいのかわからない。

「お言葉ですが不死川様…。私の話など、取るに足らないものばかりですので、きっと退屈させてしまうかと…」
「それは俺が決めることだろォ。なんでもいい。出自でも、廓のことでも、なんなら愚痴だっていい」
「ぐ、愚痴、ですか……。っふふ、あったとしても、不死川様に申し上げられるはずありませんよ」
「っ…例えだ例え!なんかあんだろォ!」

思わず零れてしまった笑みに不死川様はぐっと息を呑んだかと思えば、投げ槍な言葉を吐いてまたそっぽを向いてしまった。髪の間から覗く耳が薄紅梅の色に染まっていて、機嫌を損ねてしまったわけではなかったことにほっとした。さて、でもなにから話すべきかしら。

「うーん、そうですねぇ…」
「待て」
「はい?」
「とりあえず、もっと気楽に話せねぇのかァ?」
「気楽、といいますと…?」
「遊廓の仕来り云々はわかんねぇけどよ。堅苦しいのは肩が凝って好かねェ」

なるほど、不死川様は畏まったこの口調がお気に召さないらしい。でも染み付いた口調というのはそう簡単に変えられるものではないし、なにより不死川様は大切な鯉夏姐さんの主様なのだ。

「いくら不死川様のお申し付けであってもそれは…」
「あァ?聞けねぇってのかァ?」
「うぐ、」
「返事は」
「…うぅ、」
「返事ィ!」
「は、はいぃ…!善処、します…」

不死川様の気迫に圧されて慌ててこくこくと頷けば、不死川様は、わかりゃあいい、なんて言いながら、驚くほど優しく、笑ったのだ。その瞬間、ぼっと音が出るくらいに、顔に火が着いたんじゃないかしらと心配になるくらいに、体温が急上昇した。急に気恥ずかしくなってしまって頬に手を当てれば、それはもう酷く熱を持っている。きっと不死川様のお耳と変わらないくらい私の顔も薄紅梅色に染まっているわ、こんなの目に毒だわ、なんてひとりブツブツと呟きながら、途端にきらきらと輝いているように見える不死川様に、なんだか目が合わせられなかった。

─薄紅梅─

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -