滅紫

不死川様と床を共にさせていただいた日には、必ずと言っていいほど夢を見る。目を覚ますと多少朧げにはなっているものの、物語が続いているような、すべて繋がっているような、そんな夢を見るのだ。
夢にはいつも同じ男の子が出てくる。紫水晶のように透き通った髪の男の子だ。今日の夢は、盛り上がった土の前でふたり、目を閉じて手を合わせていた。誰かの墓前だろうか。土の上には赤い天竺葵が一輪だけ供えられている。風が吹くたびに花弁が揺れ、私の隣で手を合わせる土まみれの男の子の髪もさらさらと揺れる。とても綺麗だと、そう思った。
この間の夢と違うところは、逆光で見えなかった男の子の顔が、薄らとではあるが認識できたところだ。閉じられた瞼を縁取る睫毛は長くて、隠れた瞳を見てみたいと願ったけれど結局それは叶わなかった。夢から醒めるまで、その子はずうっと、ただただ熱心に手を合わせていたのだった。

唐突に意識が浮上してぱちりと目を開ければ、窓障子の隙間から朝陽が射し込んでいた。小鳥のさえずりも聞こえる。いつの間にか寝落ちてしまっていたようだ。ふと隣を見ると、すうすうと寝息を立てる不死川様がいたのでほっと息をつく。起きている時にはあまり気付かないのだけれど、こうして寝ていると不死川様は童顔で可愛らしささえある。睫毛がとっても長くて羨ましい。
そういえば、とあの夢の男の子を脳裏に描けば、なんだか不死川様と似ているような気がした。不死川様の小さい頃はきっとあんな感じだったのでしょう。見てみたいなぁ、小さな不死川様。
飽きることなくじぃっと綺麗なお顔を眺めていれば、ふと目に入ってしまったのは僅かに開かれた薄い唇。その瞬間にぼん、と音が出るくらい顔に熱が集まった。わ、私ったら昨日、何度もこの唇と……!なんだかその柔らかくて温かい感触が蘇ってきてしまって、ふるふるとかぶりを振る。しかも私から何度も求めてしまったのだ。はしたない女だと不死川様に思われていたらどうしましょう。そんなことをぐるぐると考えて、ひとりあわあわとしていれば、ふっと空気を揺らす小さな笑い声が聞こえてきて思わず固まってしまった。

「朝っぱらから忙しい奴だなァ」
「し、不死川様っ…!おはよう、ございます…」
「はよ」

くあ、と欠伸を噛み殺しながら上半身を起こした不死川様は、そのまま私の腕を引いて、膝の上に私を乗せた。ぎゅうと背中に腕を回され抱き寄せられるから、不死川様の胸元に顔を押し付けるような体勢になってしまって、またどきどきと心臓が早鐘を打つ。

「ハァ…、あったけ…」
「えっ、あの、寝惚けてますか…?」
「んー…?寝惚けてねェ…」

そう言いながらも声色はまだ眠そうにとろんとしている。おおきな子供みたいだと思ってしまって口元が緩んだ。なんだか今日の不死川様は可愛らしい。胸板にすりすりと頬擦りをすれば、不死川様は擽ったそうに笑った。

「っふ、はは、………あー、帰りたくねぇなァ」

呟かれたその言葉にきゅん、と心臓が音を立てた。私の頭を撫でながら、本当に名残惜しそうに言うのだから、不死川様は狡い。そんなこと言われたら、私だって帰って欲しくなくなるじゃないですか。この温もりにずっと包まれていたい、なんて。

「寂しくなるので、そういうの、禁止です…」
「へェ、寂しいのかィ。……なァ、帰らないで、って言ってみ?」
「っ、い、言えません…!」
「言えよ、おまえの口から聞きてェ」

顔に添えられた手に上を向かされ、蕩けそうに甘い滅紫色の瞳がじっと私を見つめる。それだけでやっぱり心臓はばくばくするし、ぎゅうぎゅうと締め付けられて息苦しささえ覚えるけれど、こうして真っ直ぐに私を見てくれることが嬉しくてたまらない。
言ったところでどうせ不死川様は帰ってしまわれるのに。このまま一緒にいるなんてできっこないのに。けれど眉を少し下げて優しい表情を浮かべる不死川様が私の言葉を待っているから、おずおずと震える声を絞り出した。

「うぅ、…帰らないで、ください…。不死川様と離れたくない、です……っ」
「いい子だなァ、名前。かわい…」
「んっ……!」

目を細めた不死川様に見蕩れていれば、影が差して昨晩何度も重ねた唇が再び優しく落とされた。触れるだけで離れていったそれを目で追いかけると、そこにあったやけに真剣な不死川様の表情に息が止まりかけた。はじめて見るお顔、だった。口吸いに照れることも忘れ、真っ直ぐな双眸に射抜かれて時が止まったように動けなくなる。とくとくと鳴る自分の心臓の音だけが、部屋に響いているような気がした。

「名前、おまえを身請けしてェっつったら、どうする」

静かに空気を震わせた言葉を、すぐに理解することはできなかった。
不死川様は今、なんと仰ったの?身請けと、仰った?なんの、なんの冗談なのだろう。

「………不死川様、そんなご冗談を。笑えませんよ…」
「他の客は、冗談で身請けなんて話すんのか」

そんな馬鹿な。そもそも身請けなんてお言葉を聞くことすらないのだ。姐さんの中には身請けされ、屋敷の侍女や主様の奥様になった方もたしかにいる。けれど、まさかそんな突き出してもいない新造の私が、そんな言葉をかけられるなんて有り得ない話なのだ。
なにも答えられずにいる私に、不死川様はおおきな溜め息を吐き出した。それにびくりと身体が強ばって、さらに頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

「……冗談にしてぇってことか」
「そういう、わけでは……」

酸素が薄まっているのかと錯覚するほど重苦しい空気が、ただそこに流れていた。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。一瞬のようでもあったし、もの凄く長い時間のようでもあった。意を決して俯いていた顔を上げ、不死川様の膝の上からそっと下りる。畳の上に居住まいを正し、深くこうべを垂れて私が出した答えは。

「不死川様。有難いお申し出ではございますが、お受けすることはできません」

───わかった。急に、悪かったなァ。

それは、酷く優しい声だった。


***


「名前さん。…名前さーん」
「っ、あ、すみません、胡蝶様…!」
「いえいえ。大丈夫ですか?」
「はい、少しぼーっとしてしまっただけです」
「それもそうですが、それだけではなく、色々と」

胡蝶様の含みを持たせた言葉に、私の口から出たものは乾いた笑いだった。
不死川様に身請けの話をされてから、そしてそれをお断りしてから、もう二十日が経とうとしていた。突き出しまでも四ヶ月を切っていた。勿論あれから不死川様はいらっしゃっていないし、文も届くことは無かった。当たり前だ、あんなおかしな空気のまま別れたのだから。不死川様はもう、廓には来て下さらないかもしれない。
稽古があればそれに没頭している間はなにも考えずにいられた。けれどなにもしていない時間には不死川様のことが浮かんでしまって、胸を掻き毟りたくなるような思いに駆られるのだ。それから逃げ出すように大門通りへ出た時に、丁度通りかかった胡蝶様とお会いしたという訳だ。

「……不死川様は、お元気ですか?」
「この間会議があったのでその際に会いましたが、変わらずでしたよ」
「そうですか。それなら、良かったです」
「名前さん、ごめんなさい」
「え?」

突然胡蝶様が頭を下げるものだから、訳がわからずあたふたとしてしまう。謝られるようなことはなにもないのだから当然だ。なんとか頭を上げてもらおうと、胡蝶様の肩にそっと手を置けば、ゆっくり顔を上げた胡蝶様は困ったような表情で目を伏せた。

「不死川さんと会った時に、少し聞きました。実は、不死川さんに身請けの話をしたのは、私だったんです」
「……え、胡蝶様が、ですか?」
「ええ。不死川さんが珍しく悩んでいる様子でしたので。あ、これは不死川さんには秘密、ですよ?」

細くて華奢な人差し指を唇に当て小首を傾げる胡蝶様が可愛らしくて、話の流れや内容はわからないままに頷く。
胡蝶様に言われたから、不死川様は私に身請け話を出したということなのだろうか。それにしては、色々と飛躍しすぎている気がしてならない。

「良ければ聞かせて頂けませんか?どうして、身請けの話を名前さんが断ったのか」
「………とてもつまらない話ですが、それでもいいのでしょうか」
「はい、もちろんです。吐き出せば楽になることも、ありますからねぇ」

ああ、胡蝶様は私が思い悩んでいることに気付いていらっしゃったのだと、なんだか泣きそうになってしまった。私はずっと、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。ひとりでは到底抱えきれなくて、けれどそんな話をお聞かせできるような相手もいなくて。
ぽつりぽつりと話出せば、胡蝶様は時折相槌を挟みながら、終始真剣に私の話を聞いて下さった。

不死川様に身請け話をいただいた時、なによりも信じられないという気持ちが一番はじめにあった。遊女を身請けすると一言に言っても、その実それは決して簡単なことではないのだ。まず、遊女にはそれぞれ借金がかけられている。見世が娘を買い取った際の金額と、それから日々の稽古代や生活費、その他諸々が積み重なって値段が決まっている。勿論、遊女の位も関係があって、それが例えば花魁ともなれば、地主や大富豪でなければ手も足も出ないような法外な値段がつけられているのだ。私は畏れ多いことに振袖新造として見初めてもらって、突き出してゆくゆくは花魁の位につくことを楼主様やお内儀さんから期待されている。
ともかく、身請けにはおおきな金が絡むのだ。不死川様がそれを知っていたのか、はたまた知らずにいたのかは預かり知れないところなのだけれど、どちらにしても、ではお願いしますと簡単に答えるわけにはいかなかった。
ただでさえ名代の私を呼びつけるために、不死川様は花魁の座敷を買って下さっているのだ。それだけでもかなりのご負担になっているのに、これ以上不死川様の負担にはなりたくない。
それに、そんなに莫大な金額を支払ってまで私を身請けして、不死川様にはなんの得があるのだろう。廓でしか生きたことのない、世間知らずの娘を買って後悔して欲しくない。私としても後悔されたくはないのだ。

そんなことを拙い言葉で言い連ねれば、胡蝶様はうんうんと頷いた後ににっこりと笑った。

「不死川さんったら、本当にダメですねぇ」
「えっ?」

放たれた毒をたっぷり含んだ言葉に、私は思わず目をまるくしてしまった。今の話から、どうして不死川様がダメということになるのか、まったくわからなかったからだ。きょとんと固まっていれば、胡蝶様はくすくすと笑って立ち上がった。

「言葉が足りなすぎるんですよ、まったく」
「ええっと…?」
「自業自得というやつです。さて、私はそろそろお暇しますね」
「は、はい…」
「以前もお伝えしたかもしれませんが、本当に悪い人ではないんですよ。不死川さんは、間違いなく誰よりも名前さんのことを考えています。それは、保証しますから」

にっこりと花が咲くように笑って、胡蝶様はそのまま通りの向こうへ消えていった。あまりにも目まぐるしい展開に、長椅子から立ち上がれずに呆然と通りを見つめる。
誰よりも私のことを考えている。
その言葉は、その時たしかに、私の心の奥深くに暖かな光を灯した。

─滅紫─

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