黄支子色

その日、俺は蝶屋敷の処置室で胡蝶に手当てを受けていた。真新しい腕の刀傷に消毒液を含ませた脱脂綿を押し当てながら、胡蝶は俺の顔も見ず口を開いた。

「また稀血を使ったんですか?」
「使えるもん使ってなにが悪ィ」
「何事も頼りすぎは禁物ですよ。血液だって有限ですし、出血量が多ければ頭の回転も遅くなります」
「んなこたァ言われなくてもわかってるわ」

テキパキと傷口を縫合し始めた胡蝶に、ついつっけんどんな返しをしてしまうが、当の本人はさして気にした様子もなく手を動かし続けていた。
こうやって治療の度に小言を言われるのが面倒で、基本的に怪我をしても蝶屋敷には寄らなかった。ここ最近は訳あって常連の如く定期的に寄っているのだが、それでもなるべく胡蝶には会わないように折を見ていたつもりなのに、今日は運が悪かったなと漏れそうになる溜め息をなんとか抑え込んだ。

「一体どういう風の吹き回しですか?」
「あ?」
「蝶屋敷嫌いのあの不死川さんが、最近はちゃあんと手当てを受けに来ているとか。アオイやカナヲから聞いていますよ」
「……別にいいだろォ。毎回手当てしろって言ったのはてめぇじゃねぇか」
「えぇ、そうですねぇ。だって不死川さん、縫合もしないで放っておくじゃないですか。だから傷跡がはっきり残ってしまうんですよ」

だからだろうがァ。
とは色々面倒なので口に出さなかった。傷を増やす度、大袈裟なほど心配するのだ。名前が。
正直手当てなんざしなくても、放っておきゃそのうち傷は塞がる。消毒も縫合も面倒だ。けれどそのまんま廓に顔を出したあかつきには、うるうるとおおきな瞳を潤ませて、名前のほうが痛そうな顔をして俺の傷をすりすりと撫でるものだから、そんな顔をさせたくもないし、クソ可愛いので堪えるのも一苦労だしでとにかく困るのだ。
というか、継子といい看護役の女どもといい、いちいち報告してんじゃねェよ。胡蝶にバレりゃ色々面倒なことになるだろうがァ。どうせこいつのことだから、

「察するに、名前さんのため、ですかぁ」
「ハァ………」

にこにこと人好きのする笑みを浮かべる胡蝶に、思わず盛大な溜め息が零れた。隊士の中には、こいつのこういう顔にまんまと騙されて、蟲柱様はお優しいだとか女神様だとか、そういったことをぬかす輩がいるらしい。こいつのどこが女神だ。腹ん中はドス黒いもんで満杯な、こいつが。

「泣く子も黙る風柱さんは、いつの間に遊女に入れ込むようになったんでしょうねぇ」
「人を廓狂いみてぇに言うんじゃねェ」
「あら、違うんですか?」
「違ェよ!俺はなァ、あいつに…」

真っ当な道を歩かせてやりたかった。
ふと思い浮かんだそれに、俺はひとり首を傾げた。真っ当な道ってのはなんだ?それは誰が決める?じゃあ鬼殺隊は真っ当か?
遊女が真っ当じゃないと、俺は心の奥底で考えていたのだろうか。名前は天涯孤独になって尚、遊女として懸命に生きてきたはずなのに。俺はそれを本当は、否定していたのだろうか。

「不死川さんが他人のことで悩む日がくるなんて、面白いこともあるものですねぇ」
「チッ……帰るわァ」
「まぁまぁ、まだいいじゃないですか」
「あァ?もうてめぇに話すことなんざねぇんだよ」

他人事だと思いやがって。そもそもこうして、ああだこうだ悩むのは性に合わない。あの日助けた名前が今の暮らしに満足してるなら別にそれでいいじゃねぇか。この先は俺が口を出すことではない。俺はこれまでどおり暇を見つけて名前に会いにいくつもりだし、それはこの先も変わらないだろう。息抜きだと最初にあいつに言った言葉は、そのまんまそのとおり、俺の癒しになっているのに違いはないのだから。
椅子から立ち上がれば、胡蝶は唇に人差し指を当ててなにやら考える素振りをした。まだなんかあんのかァ、と面倒くささを存分に押し出して聞けば、胡蝶は俺に目を合わせて口を開いた。

「名前さんはおいくつなんですか?」
「はァ?……あと半年で十八、っつったかァ…?」
「そうですか。それでは、あと半年でさぞご立派な女郎になられるんでしょうねぇ」
「あ?それがどうしたァ」

胡蝶が言わんとしていることがまったくわからず、自分の眉間に深く皺が寄るのがわかる。核心をあえて避けるような言い草に苛立ちを覚える。

「不死川さん。女郎になるということがどういうことだか、ちゃあんとわかってます?」
「わけわかんねぇこと言ってんじゃねェ。客が取れるようになるんだろォ?」
「そうです。名前さんはとっても可愛らしく愛嬌があるお方でした。きっと、女郎になったあかつきには沢山の馴染み客がつくことでしょうね」
「おい、なにが言いてェ。面倒くせぇな、はっきり言いやがれェ!」
「はっきり言っていいんですか?では言いますね。これから名前さんは、毎晩違う男性と夜伽をされるということです。男を知らない初な新造ではなく、男に抱かれて男を誘惑する女郎になるということですよ」

その刹那、脳天を鈍器のようなものでガツンと殴られた気がした。馬鹿野郎、なにがこのままでいいだァ…?胡蝶に言われるまで、いちばん大事なことを俺は何故考えなかった。手出しが御法度なのは今だけだ。名前が女郎になるまで耐えようなどと、よく思えたものだ。それ即ち、俺以外の男どもも名前に手を出せるってことだろうが。
クソ、クソクソ、そんなの我慢ならねェ!!俺以外に触らせてみろ!俺はその男どもを地の果てまで追いかけて二度と廓になんぞ上がれねぇくらいまでボコボコにしてやらねぇと気が済まねェ!!!
びきびきと青筋を浮き立たせて、挙句怒りのあまりふぅふぅと息遣いまで荒くなった俺を、胡蝶は表情ひとつ変えずあの態とらしい笑みを貼り付けたまま、ぽんと手を叩いた。

「大丈夫ですよ、不死川さん。ひとつだけ方法がありますから」
「……あ゛ァ?」
「身請け、しちゃいましょう!」
「身請けだァ……?」

身請けってのは、あれか。遊女にかけられた借金を廓に納め、遊女を落籍すことだったか。なるほど、そうすりゃ名前は晴れて自由の身になるし、外に身寄りがないってんなら俺の屋敷に迎え入れればいい。毎日帰りゃァ名前が出迎えてくれるのか。おい、悪くねぇじゃねぇかァ。いや、むしろそうなりゃ滅茶苦茶に頑張って、早く帰路につくだろう。
こうして不死川実弥は、名前を廓には絶対に置いておかねェと強く強く心に決め、そしてはじめて現実的に、遊女の身請けというものを考え始めたのだった。


***


その晩、私は夢を見た。
懐かしくて、暖かくて、ちょっぴり悲しい夢だった。
私よりほんの少し背が高い男の子が、見覚えのある赤い天竺葵を差し出していた。逆光で男の子の顔は見えない。夢の中の私は、その男の子をお兄ちゃんと呼んでいた。
兄はいない。もとより私はひとりっ子なのだから、当たり前だ。それなのにその子をお兄ちゃんと親しげに呼んで、私はとても嬉しそうに笑っていた。
私の失った記憶がそれを見させたのか、はたまた本当にただの夢だったのか、わかりようもなかったけれど、目が覚めた私は胸が切なくてどうしようもなかった。あの子は誰なんだろう。なにか大切なことを、私は忘れてしまっている気がした。

「名前、大丈夫?具合でも悪いの?」
「っ、鯉夏姐さん…。ごめんなさい、ぼうっとしていました」
「そう…」

ああ、私ったら、鯉夏姐さんに生け花のご指導を頂いている最中にぼうっとするなんて。ふるふると頭を振って、鯉夏姐さんに深く頭を下げれば、姐さんは心配そうに私を見つめていた。

「天竺葵がどうかした?」
「え…?」
「名前、あなた天竺葵を手に持ったまま固まっているんだもの」

はっとして手元を見れば、私の右手には黄支子色の天竺葵。押し花にしたものとも、夢でみたものともまったく違う黄色の天竺葵だった。そうか、これを手にした途端今朝みた夢を思い出して、物思いに耽ってしまっていたらしい。

「いえ、なんでもありません。姐さん、ご指導の続きをお願いいたします」
「わかったわ。…その前に、名前?」
「はい?」
「その黄色の天竺葵、花言葉は知っている?」
「花言葉、ですか?……天竺葵は、色で花言葉が違うことくらいしか…」
「そう、黄色はね、予期せぬ出会い」
「予期せぬ出会い……」

なんだかそれは、不死川様と私のことのようだとふと思う。たまたま出会って、でもそれが必然だったかのように私は不死川様に惹かれて。本当に予期すらしていなかった出会いだった。なんだかそう考えれば、今手に持っている天竺葵がとても愛おしいもののように思えて、花器のいちばん真ん中の目立つところに、私はそれを丁寧に刺した。

「姐さん、それでは赤い天竺葵の花言葉はなんでしょうか?」
「赤?赤い天竺葵は…、」
「鯉夏、ちょっといいかい」

姐さんが紅をつけた綺麗な形の口を開いた途端、襖の向こうからお内儀さんが姐さんを呼んだので、その言葉が続くことは無かった。

「えぇ、今行きます。……名前、ごめんね。続きはまた今度」
「はい、ありがとうございました」

立ち上がった姐さんに再び深くこうべを垂れて、襖を開けて廻廊へ出ていく姐さんを見送る。
残った草花を活けながら、私はなんだか、もやもやとわだかまりが胸の奥に残るのを感じていた。思い出したいものが、うまく思い出せないような、もどかしい感覚だ。
夢でみたあの男の子に、きっと私は過去会っている。そんな確信じみた思いが、あったのかもしれない。

─黄支子色─

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