In the Summer
「クラウド!海いこ、海!」
宿屋で取った俺の部屋に飛び込んでくるなり、ナマエはいつになくはしゃいでそんなことを言った。
「…海?興味ない、ティファかエアリスでも誘って───」
「せっかくコスタまで来たのに宿屋で引きこもってるつもり?いいから、行くよー!」
「はぁ?あ、おい…!」
有無を言わさず俺の腕を取ったナマエに、強引に部屋から連れ出される。勘弁してくれ、遊びに来たわけじゃない。そう溜息交じりに吐き出した言葉も、間髪入れずに息抜きも必要だからと一刀両断され、俺は抵抗を断念した。年の割に落ち着いていて、あまりはしゃがないナマエの普段とは違う一面が、物珍しかったというのもあるかもしれないが。
***
茹だるような暑さに頭まで沸騰しそうだ。これだから夏は嫌いだ。手を頭上に掲げて、少しでも日光を遮ろうとはしてみたが、大して意味はなさなかった。
「さすがリゾート地だよね、人いっぱい」
「…で、何がしたかったんだ」
「何って、海といえばひとつしかないでしょ」
「───っ、!?」
にやりと笑ったナマエが、おもむろにTシャツを捲り上げたものだからぎょっと目を見開く。一体こいつは何してるんだ。俺以外にも大勢の人間がいるんだぞ?白昼堂々、こんなところで脱ぐ気か!?止めるべきか?そんなことより先に、周りの男共の視線を遮るべきなのか?いや、それとも───、
「クラウド?なに百面相してるの?」
「は!?それはあんたがっ……ん?」
他人事のような言い方に苛立って、誰のせいだと言い返そうとしてぴたりと止まる。いつの間にかTシャツだけじゃなくショートパンツまで脱ぎ終えたナマエが、訳が分からないというように首を傾げていた。よく分からないヒラヒラが付いた黒い水着姿で。
「……はぁ、」
「え、いくらなんでも人の水着見て溜息は酷くない?」
「疲れた…宿屋に戻る…」
「ちょっ、ちょちょちょーっと待って?」
思わず盛大な溜息が零れて、どっと疲れが押し寄せてくる。頭を抱えてふらりと踵を返した俺をナマエは焦ったように止めた。
「もしかしてこういうの、嫌いだった…?」
先程までのハイテンションはどこへやら、わかりやすく眉を下げて落ち込んだナマエが上目で俺を窺う。それにぐっと息を詰めて、俺は目を逸らした。
「…失敗、かぁ。エアリスが、クラウドはこういうの好きなんじゃないかって…。えへへ、浮かれてたみたい、ごめんね」
気まずそうに苦笑してみせるナマエに、ここまで来ると流石に鈍感すぎると呆れる。わかるだろ、それくらい。…可愛すぎるから困ってるんだ、こっちは。今だって傍を通る男共がじろじろと鼻の下を伸ばしてあんたを見てる。見せたくないんだ、誰にも。
「……かわいい」
「へ?」
「っ、…もう言わない」
「ね、ねぇクラウド、今・・・!?」
「煩い」
ぱっと目を輝かせて口角を緩ませたナマエから再び目を逸らす。言いなれてないことなんて言うもんじゃないと、浴びる日光のせいだけではない顔の熱さに内心悪態を吐いた。嬉しそうな顔が見れただけ、まだマシか。
「あ、そうだ!クラウド、日焼け止め塗ってくれない?背中は自分じゃ塗れなくて」
「はぁ、なんで俺が…」
「私、体質的に肌が赤くなって炎症しちゃうんだよね」
「…そうじゃなくて、なんで俺が、」
「クラウドが塗ってくれないなら、そこらへんの人にお願いするからいいです〜」
「っダメだ!」
咄嗟に即答してしまった俺に、してやったりとナマエはほくそ笑んだ。確実に、こいつはわかってやってるな。ただもう反論する気力も残っていない俺は、差し出された日焼け止めを渋々受け取った。砂浜に膝を抱えて座り込んだナマエを前に、溜息を漏らしながらグローブを外す。ボトルを逆さにして白くどろりとした液体を手のひらへ。
「あ、髪邪魔だよね」
青いリボンで結われた灰白色のポニーテールが寄せられ、白いうなじが剥き出しになる。一瞬脳裏を過ぎった邪まな考えを頭を振って追いやって、日焼け止めを伸ばした手をぴたりと背中に置いて塗りこんでいく。まさかこうして他人に日焼け止めを塗る日がこようとは想像もしていなかった。
「…っん…ひぁ、」
「………」
いや…俺は、何も聞いてない。
「ふ、……あっ、や…ん」
「………」
まさか、な。聞こえるはずない。無心になれ、何も考えるな。
「んぅ…っはぁ、…んぁ」
「……おい」
ぴたりと手を止めて、ナマエを睨む。
「おかしな声出すな…」
「ごめ、…だって擽ったくて…」
どこか上気した顔で振り返ったナマエに、危なく変な気を起こしかけてなんとか踏みとどまる。その、情事のような声と顔、本当に勘弁してくれ…。ただでさえ、あんたの肌に触れているだけでこっちは気が気じゃないんだ。そんなことは言えるはずもなく、乱雑に塗り残した部分に手を滑らせた。この拷問にも近い状況を、一刻も早く脱したい一心で。ただ───、
「んん、…っくらうどぉ、」
艶を含んで呼ばれた名前に、自分の中でぷつりと何かが切れる音がした。思うより早く強引に腕を掴み、ナマエを立たせて歩き出す。上がった素っ頓狂な声も無視して、向かう先は宿屋。今のは、完全にあんたが悪い。
「えっ、クラウド、海は…!?」
「明日いくらでも付き合ってやる。…あんたが、明日動けたら、な」
「……っや、やだ、うそ、」
抑揚もなく淡々と放った言葉に、しばらくの間をあけてようやく理解したらしい。ぶんぶんと大きく首を左右に振るナマエに、俺は低く囁いた。
「もう遅い。覚悟しろよ、ナマエ」
結局、翌日もナマエが海に行くことは叶わなかった。自業自得だと涼しい顔をすれば、散々な非難が飛んできたが。夏は、嫌いだ。でもたまにはこんな夏も、悪くないのかもしれない。