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「──ナマエ」
誰かが私の名前を呼んでいる。優しくて、暖かくて、大好きな声。あぁ、そっか…この声は──。
「クラ、ウド…」
「あ?他の男の名前呼ぶなんて、シラケることすんなよな、と」
「……っ!?」
降ってきた声に、意識が急激に覚醒する。飛び起きるように上半身を起こしたら、頭がくらくらとして額に手を当てる。腕の隙間から見えたのは、私が寝ていたベッドの縁に肘をついて私を見つめるレノ。はぁ、と思わず大きな溜息が出た。
「ふはっ…おいおい、人の顔みて溜息はねぇだろ」
「寝起きにタークスは勘弁して」
「相変わらず可愛くねぇ。…寝顔は可愛かったのになァ、と」
「嬉しくない…」
コルネオの屋敷で首に打たれた麻酔薬がまだ効いているのか、視界がたまに揺れる中で、レノと話しているとさらに頭まで痛くなってくる。
ぐるりと辺りを見渡すと、床や壁どころか置かれた家具までやけに白い部屋。多分、というより確実に、ここは神羅ビルの内部なんだろう。
「聞かせてくれるんだよね」
「んー?なにを」
「独断で私を連れてきた理由」
「んじゃ、キス」
「は?」
「ナマエからキスでもしてくれるってんなら、教えてやるぞ、と」
ニヤニヤと口角を上げて、本気か冗談かわからない目で見るレノに、本格的にズキズキと頭が痛む。ふざけてる場合でもなんでもないんだけど。自然と顔に出てしまっていたのか、私を見ていたレノが吹き出した。
「っはは、そんなに嫌なのかよ。バカ正直だな、お前。まぁ半分冗談だぞ、と」
「…最後のは聞かなかったことにする」
「主任からの命令じゃないってのはホント。……ナマエ。お前、自分のこと知る覚悟はあるか?」
先ほどまでの意地の悪い笑みを消したレノが、似合わず真面目な顔で言った言葉。自分のことを知る覚悟…。意味がわからず、首を傾げる。
「どういう意味…?」
「そのまんまだ。お前、何のための実験に使われたかわかってんのかよ?」
「…なんとなくは。英雄セフィロス…。セフィロスの"レプリカ"、でしょ?」
「なら、代償は?」
「代償…?」
立ち上がって私を見下ろしたレノの、秘色の瞳が真剣すぎて戸惑う。それに吐かれた言葉も。代償って一体、レノは何の話をしているんだろう。
「ナマエ。ジェノバ細胞を埋め込まれたソルジャーの末路は知ってるよな?」
「…劣化による……自己崩壊」
「その通りだぞ、と。んじゃ、ジェノバ=レプリカはどうなるんだろうなァ」
「……」
少しずつ、レノが言いたいことがわかってきた。ジェノバ細胞と同じようにジェノバ=レプリカを埋め込まれた人間にも、身体能力の向上と引き換えに代償が必要。その代償が何なのか、知る覚悟はあるのかとレノは聞いているんだ。
「…どうして、それを私に?」
「なんでだろうな、と」
「はぐらかさないで」
「……俺はタークスに誇りを持ってる。ただ時々、…これでほんとにいいのかって、迷っちまったりするんだ」
私から視線を外して小さな声で呟かれたそれに、目を見開く。その姿がどこか弱々しく見えて、この人は本当にタークスのレノなんだろうかと思ってしまう。
「どうしたら、いい?」
「…覚悟が出来たら、俺について来い」
「…ん、わかった」
どこに行くのか、何を見せるつもりなのか。罠の可能性だってゼロじゃない。タークスは人の懐に上手く入り込んで、目的を果たしたら平気で切り捨てる集団だ。信用はできないけれど、少しだけこの目の前の真剣な瞳に乗ってみようと思う。それに、代償というものが何なのか知りたい。
大きく吸った息を静かに吐き出して、ベッドから立ち上がる。横目でそれを見たレノが、一瞬柔らかく笑ったような気がした。もう一度レノを見た時には、もう既にいつもの飄々とした顔だったけれど。白い部屋から出ていくレノを、覚悟を決めて私は追いかけた。