霧が濃いでしょう。今夜は濃霧だから外へ出てはイケないって。……そう、さっき、ラジオが告げてたの、体の弱い方や妊婦は外へ出るなって。露が体を冷やすからかしら、本当に? なにか、禍々しいような気がしない? 細やかな水滴に雑じって、何か良くないものが体の中に這入ってくるの。そんな気が、しない?
そう言うと、彼女の長い睫毛が上下に揺れた。寝物語だ。思い付いたことをそのまま口にする、他愛もない繰り言だ。しかしそんな危うい空想の話も、時折思いもよらぬ冒険性や浪漫に満ち満ちた物語となる。そのために私は、眠いのを我慢して、この気まぐれな女の、気まぐれな空想に付き合うのだ。
「それなら雨も同じではなかろうか。」
「いいえ、雨は服や傘があれば防ぐこともできるけど、霧は違ってよ。ゆっくり、じんわりと体の中へ浸透して、知らぬ間に、体の内側から侵されてくのよ」
息を吸えば肺から浸透してくし、瞬きすれば瞳から這入ってくるし、
「嫌な空想だ」
私はこの時とばかりに溜め息を吐いた。そんな私の態度が気に食わなかったのか、彼女は私の足に、自身の冷たい爪先をピッタリとくっつけた。
「冷たい」
「濃霧に体が冷えたの。」
「ほう」
「温めて下さらないの」
「うん。……意地悪か?」
「ええ、意地悪」
彼女の瞳が下弦になる。ぼうっとその瞳を見詰めていると、窓がカタカタと厭な音を立てた。
「怖い」
冗談めかした彼女の腕が私の首に絡む。
「まさか、霧が室内へ侵入しようとしている、というまいな」
「そのまさかですとも。」
首筋に唇が当たる。微かな振動で、彼女が笑っているのに気付いた。
「ゆっくり、じんわり、濃霧は這入ってくるの。きっと知らぬ間に私達は侵されてる。」
「まるで」
彼女の腕に力が籠められた。
「まるで、毒のようだ」
「毒?」
「そう。毎日微量摂取して、やがては死に至る。知らぬ間に侵されている。」
「気が付いたときには、きっともう、助からない」
彼女が腕を解いた。
「意地悪。」
「なぜ」
「だって、あなたは、無意識に、」
ゆっくりと彼女の頬へ手を添える。冷たい、と一言洩れた。
「私達、きっともう直ぐ死ぬのよ。きっと、多分。」
「……。」
「だって、もう助からないのよ、私達。ねえ、何とか仰って。いっそ離れようと言って。」
「もし、私が離れれば、お前は死ぬのだろうか」
「ええ。でもそれは、二人でいても同じでしょう。」
彼女が目を上げた。美しい目だ。この世の何も知らない目。それでいて総てを知る瞳。こんなに大きな目ならば、確かに濃霧も侵入しそうだ。瞳からも、口からも這入れば、常人よりも早く死に至るのだろう。きっと、もう助からぬほど、身の内に――、
「みつなりさん」
彼女の唇が微かに動く。ゆっくり瞬きすれば、不思議に涙が零れた。
「あなた、ご存知? この恋は命懸けなのよ」