▼ 深海
「あなたの目は、私を見ていないのね」
学生の時分、そう言われて別れた事があった。
あれは誰だったのか全く思い出せない。
もしかしたら何かの映画だったのかも知れない。
それ程に彼女は薄ぼんやりとした影のような印象で、思い出せない存在だ。
ただ、セーラー服の白いリボンと彼女の赤い唇だけは印象に強く残っている。
「巽さん」
風が窓を揺らす音と少女の高い声で目を覚ました。
「巽さんは居眠りばかりしていらっしゃる。」
「皮肉だなあ。僕だって仕事もするんだよ。にしても名前君、君何時の間に来たんだい?」
正直、目の前に開かれたままの本を目で追っていたのは覚えている。
眠りの浅い自分が人のやって来る音に気付かなかったりするのだろうか。
「どうかしましたか、巽さん」
「いや――ところで、何か要件があるんじゃないかい」
「ええ。」
名前が唇だけで笑う。
何だか前に見た気がする。あれは何だったか――
「巽さん」
高い声がきりきりと脳の中で振動するように頭痛がした。
きりきり
きりきり
脳や鼓膜を傷つけては記憶を奪ってゆくのだろうか。
「貴方の目はどこを見ているの」
セーラー服の白いリボンがやけに目についた。
深海
記憶の海に呑み込まれる
元々中禅寺さんの夢だった不発弾小説。
どうやらホラーが書きたかった模様
2009.2.15
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