(トリップヒロイン)
「私の世界は麗らかな、春の日差しのようでして、こんなに寂しい景色ではないの」
と言った女の目は美しい色をしていた。
女の言うような、美しい世界で生きている者は皆あんなに美しい瞳なのだろう。ならば私はどうだろうか。争いの中に身を置いてきた私の瞳は美しいだろうか……。
「一面の菜の花や、空を覆う桜や、目を貫く緑や、地面一杯の紅葉や、白銀の中の寒椿ばかり見ていたから」
女は遠くを思い出すようようにまぶたを閉じた。
「都会では空を穿つビル郡があって、何だか灰色をしているのだけど、私の住んでいた所は少し田舎の穏やかな所だったの」
「特に春の日は視界すべてが菜の花で、窒息してしまいそうなほどに美しいの」
まぶたを開く。
女の目には幻燈のように世界が広がっているのだろうか。ゆっくりため息を吐くと、女は私の方を向いた。
「あなたの瞳はきれいね」
「嘘をつけ」
「なぜ?」
「私はこの寂しいばかりの世界に身を置いてきたのだ。きっと瞳は濁って、淀んでいる」
「あら、まあ、そんなことおっしゃらないで。私、あなたの瞳が好きよ。冬のように透き通ってる」
女は私の瞳をじっと見つめる。
「私のまぶたには菜の花や桜や紅葉や寒椿のことが記録されているのよ」
「それは良い」
女は私の肩を掴むと、伸び上がって目を合わせた。
「私のまぶた、あなたにあげる。私の世界、すべてあげる」
そう言うと女は瞳を閉じた。
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